23話初めてのお泊まり保育(祐介視点)
第23話:初めてのお泊まり保育(祐介視点)
「ただいまー……」
誰もいない部屋に向かって、祐介は声をかけた。
反射的に靴を脱ぎ、玄関にしゃがみこむ。だが、いつも聞こえる小さな「おかえりなさい、パパ!」の声はない。
──ハルナは、今日は保育園で「お泊まり保育」。
先生に勧められて、本人も「いってみたい!」と嬉しそうだったし、親としては成長の一環として喜ばしいイベント……のはずだった。
(……なんだろうな、この虚無感)
いつもより少し早く退勤し、途中でハルナの好きなプリンを買って帰ったことを思い出して苦笑した。
意味ねぇな、今日は帰ってこないんだった。
夜。
久々に一人分の晩飯を作る。味噌汁と焼き魚と冷奴。
炊飯器を開けて、二合炊いたことに気づいてまたため息をついた。
「……くせってこわいな」
冷蔵庫には、ハルナ用の小分けゼリー、子どもヨーグルト、りんごジュース。
普段の“日常”が、こうして形だけ残っているのに、肝心の主役がいない。
テレビをつけても、ニュースもバラエティも、まったく頭に入らない。
視線の端に、落書き帳が映る。
そこにはハルナが描いた「パパとハルナ」の絵があって、まるで手紙のように「だいすき」って書かれていた。
……泣きそうになった。
(馬鹿か、俺)
ほんの一晩だけなのに。
熱出して寝込んだ夜だって一緒にいた。
迷子になった時だって、もう二度と離さないって誓った。
なのに──たった一晩、隣にいないだけで、こんなにも部屋が冷たい。
夜更け。
ベッドに入っても、眠れなかった。
「ハルナ、ちゃんと歯、磨いたかな……」
「パジャマ、前後逆じゃないかな……」
「ちゃんと寝られてるかな……」
自分が思っていた以上に、父親してるんだなと実感する。
(あの子のいない夜なんて、もう二度といらないな……)
横の枕に手を伸ばす。そこには、いつもの小さな温もりがなかった。
「おやすみ、ハルナ……」
誰も聞いていない夜の静寂に、そっと声を落とした。
朝。
保育園の門の前には、開園前から祐介が立っていた。
他の親たちもやってくるが、そんなことはどうでもよかった。
──ハルナが、笑って出てくるか。
──泣いていないか。
──ちゃんとご飯は食べたか。
不安と期待が混じったまま待ち続けたその時。
「ハルナーッ!!」
園庭の向こうで、小さな茶髪の女の子が顔を輝かせて駆けてきた。
「パパー!!」
そして、二人は再び抱き合った。
「さみしかったか?」
「ちょっとだけ。でもがんばったよ!」
ハルナは胸をトンっと叩いて、少し誇らしげに笑った。
祐介は、それを見て思った。
──たった一晩。
──されど一晩。
この子は、また一歩成長した。
そして俺も、また一歩、父親として強くならなきゃいけないんだろうな。
「……じゃあ今日は、がんばったごほうびにプリンでも食べようか」
「やったー!」
ハルナは無邪気に笑った。
その笑顔がある限り、きっと大丈夫。
そう思えた。