18話 姉、襲来/ハルナ泣く
第18話:姉、襲来/ハルナ泣く
土曜日。
珍しく予定のない、ゆったりとした朝だった。
「……パパぁ、おはよう」
「ん、おはよう……」
目覚ましよりも少し早く、ハルナの小さな声で起きた祐介は、まだ温かい布団の中で微笑んだ。隣で眠っていたハルナが、むくりと顔を上げ、まだ眠そうな目でこちらを見つめている。
「きょう、どこいくの?」
「今日はね、どこにも行かない。家でまったりしよう」
「まったり?」
「……のんびりってこと。パパもハルナもゴロゴロ~って」
「ごろごろ~!」
笑い声が部屋に広がった。
何でもない休日。そんなささやかな幸せを、祐介は少しずつ噛みしめていた。
だが──。
ピンポーン。
その音がすべてを破壊した。
「……うわ」
「だれ?」
「悪い人だよ」
「えっ?」
すっと表情を消した祐介は、ドアのインターホン越しに表示された“来訪者の顔”を見て、心の中でため息をついた。
「あの姉貴、なんでいつもアポなしで……」
そう。そこにいたのは、スーツ姿に大荷物という、謎のハイテンションをまとった祐介の実姉、笹原さやかだった。
「はぁい! かわいい姪っ子ちゃん~! お姉ちゃん来たよぉぉぉ!」
「……う、うわあああああ」
ハルナは祐介の背中にぴったりと隠れ、怯えた子猫のように震えた。
目の前の“騒音源”に対し、本能的な危機感を感じたのだろう。
「やっぱり怖がってるだろ……! 姉貴、静かにしてくれって言ったじゃん!」
「いやいやいや、これは“愛”だから! 表現の違いだから!」
「お前の愛情はな、叫びすぎて音速を超えてるんだよ」
それでもさやかはおかまいなしに部屋へと上がり込み、カバンから次々と“おもちゃ・絵本・ドレス・ぬいぐるみ”を取り出していく。まるでサンタクロースのような勢いだった。
「さぁ~ハルナちゃん、今日はお姉ちゃんとお姫さまごっこしましょうね~!」
「……っ」
ハルナは一歩、二歩と後ずさり──ついには、ぽろりと涙をこぼした。
「こわい……」
その言葉に、さやかの動きが止まる。部屋の空気が、ぱたんと冷えた。
「……ちょっと、姉貴。ハルナ、泣いてるぞ」
「……」
「やりすぎなんだって、毎回。相手はまだ三歳の女の子だぞ。声のでかいオバサンが、いきなり抱きついてきたら、そりゃ怖いに決まってるだろ」
さやかは、一瞬だけ言葉を失った。
だが次の瞬間、彼女の目が潤んだ。
「……う、うそ……ハルナちゃんに……嫌われた……? わたし、そんなつもりじゃなかったのに……!」
「……大声出すのやめたら?」
祐介がハルナを優しく抱き上げ、背中をとんとんとなでる。
「大丈夫だよ。パパいるからな。怖くない」
「……うん」
ハルナの小さな手が、祐介の服をぎゅっと握りしめる。
その姿に、さやかは口元を押さえ、どこかへ逃げるように洗面所へ姿を消した。
その後、祐介の仲裁でなんとか場は収まった。
ハルナも、お気に入りのぬいぐるみを手にして落ち着きを取り戻し、リビングで祐介と並んでテレビを見ていた。
さやかはといえば、隅っこで小さくなっていた。
「……私って、接し方、間違ってたのかなぁ……」
「うん、間違ってた」
「即答!? いや、たしかにうるさかったけど!?」
「まあ……ちょっとずつ慣れていけよ。ハルナのペースで」
「……うん」
しょんぼりと頷く姉の背中を見ながら、祐介は少しだけ笑った。
たしかにドタバタはあった。ハルナは泣いてしまった。でも、こうやって“人との関わり方”を学んでいくのもまた、大事な経験なのかもしれない。
──ハルナの世界は、少しずつ広がっている。