17話 ハルナ、初めてのおままごと
第17話:ハルナ、初めてのおままごと
朝の支度はいつも通り、少しだけドタバタしながらも笑顔で終わった。
数日前の高熱が嘘のように、ハルナは元気を取り戻していた。むしろ回復してからの方がテンションが高い。子どもとは本当に不思議な生き物だ、と祐介は靴ひもを結びながら思った。
「パパ、はやくー!」
玄関でランドセルの代わりにくまさんのリュックを背負ったハルナが、元気よく声をかけてくる。
「はいはい。今日も元気にいってらっしゃい、っと」
祐介がハルナの手を握り、保育園の門の前でしゃがみ込むと、彼女はくるりと笑って言った。
「きょうね、おともだちと、あそぶの」
「お、いいじゃん。何するの?」
「えっとね……おままごと!」
その言葉を聞いて、祐介は少し目を細めた。
そうか、もう“ごっこ遊び”ができるほど言葉も増えて、他の子と関われるようになったんだな、と。
園内に入り、先生に挨拶をすませたあと、ハルナはすぐに靴を脱いで教室へ駆けていった。
その日の午前、教室の奥では子どもたちが“おままごとコーナー”に自然と集まっていた。
おもちゃのキッチンセット、フェルト製のハンバーグ、紙でできたレジスター、ぬいぐるみの赤ちゃん──。
「わたし、ママやる!」
「じゃあ、ボクはパパ!」
「じゃあ、わたし、おみせやさん!」
子どもたちはそれぞれの役を名乗り合う。その中で、ハルナは一歩だけ遅れて立ち尽くしていた。
(どうしよう……“おままごと”、わからない……)
見よう見まねで日本語を覚えてきたとはいえ、「ままごと」という文化自体が、彼女の異世界には存在しなかった。
だが、そんな彼女の背中を押してくれたのは、一人の女の子の笑顔だった。
「ハルナちゃん、いっしょにママしよう?」
その子は、少し年上で、いつも絵本を読んでくれる優しい子。
ハルナはおずおずと頷くと、そっとその輪に加わった。
「じゃあ、ごはんつくるね!」
「ごはんつくる!」
言葉を真似しながら、ハルナはおもちゃの鍋を手に取り、フェルトの野菜を“炒める”しぐさをした。
最初はぎこちなかった手の動きも、だんだんと笑顔とともに柔らかくなっていく。
「ママ! ごはんまだー?」
「まっててね! ハルナ、つくってる!」
いつの間にか、彼女は“おままごと”という遊びの中で、しっかりと“生活”していた。
おもちゃのスプーンで料理を盛りつけ、ごはんの時間を演出し、ぬいぐるみにミルクを飲ませる。
それは、小さな世界の中での“家族ごっこ”であり、ハルナにとってはとても新鮮な体験だった。
その日の夕方、祐介が迎えに来ると、先生は笑顔で報告してきた。
「今日はね、ハルナちゃん、お友達と初めて“おままごと”できたんですよ」
「……ほんとですか」
「ちょっとぎこちないところもあったけど、最後には“ママ役”がすっかり板についてました」
ハルナは、祐介の顔を見るなり、駆け寄ってきて手を握った。
「パパ、きょうね、ごはんつくったの!」
「お、すごいじゃん。何つくったの?」
「にんじんと、おにくと……あめ!」
「あめ?(笑)」
「たべさせてあげるー」
小さな手が、ごっこ遊びの延長で祐介に“見えないスプーン”を差し出す。祐介は笑って、それを口に入れるふりをした。
「……うまっ! なんだこれ、天才シェフか?」
「えへへー、ハルナがつくったの!」
そんな些細なやりとりが、夕焼け色の帰り道をあたたかく染めていた。