10話 姉、壊れる
第10話:姉、壊れる
金曜の朝。
それは一見、何の変哲もない――むしろ平和で、穏やかな一日になるはずだった。
「ぱぱ、きょうのよーふく、くまさんがいい!」
「オッケー。くまさんTシャツに、白のスカート……っと。よし、完成!」
「くるっとまわって! はるな、まんぞく!」
登園前の着替えを終え、鏡の前で満足げにくるくる回るハルナ。
祐介はその様子を微笑ましく見つつ、トーストをトースターに放り込んだ。
――チャイムが鳴ったのは、そのときだった。
「ん? 宅配……にしては早いな。まさかまたハルナの新しい服とか送ってきたんじゃ……」
警戒しつつモニターを見ると、案の定、そこに映っていたのはスーツ姿でにこやかに微笑む“悪魔”。
姉・真希だった。
「よぉ〜、祐ちゃん。朝から元気そうじゃな〜い?」
「なぜいる」
「ノックもせずに入ってくるな、というツッコミが欲しかったんだけど? ほら、私って“姉”だから?」
「勝手に合鍵使うな。あれは緊急時用って――おいハルナ、逃げるな! 姉に捕まる前にこっちへ!」
しかし時すでに遅し。真希の足は一歩、二歩と音もなく忍び寄り――
「ついに……この日が来た……!」
「え……なに?」
「登園服のくまさんTシャツ……くるっとまわって……あ〜〜ッ!」
がしっ。
ハルナは姉の胸に抱きしめられた。
「はるなちゃん……今日も……今日も最高にかわいいね……! このまま登園せずに一日中撮影会でもいいんじゃないかな……」
「はるな、えんいく。おともだち、まってるの」
「その真面目なところも好き……!」
「ほら姉ちゃん! 邪魔だから退いて。俺も仕事あるんだよ!」
祐介は姉を引きはがし、ハルナのくまさんリュックを手渡した。
「わかった、わかった。邪魔はしない……けど、仕事帰りに寄ってもいい?」
「なんで」
「どうせ週末だし、ね? “新居のセキュリティチェック”とか言えば理由になるし」
「姉の侵入そのものが最大のセキュリティリスクだって気づいて……」
祐介はため息をつきながらもハルナを車に乗せ、姉の視線から逃れるように登園した。
夕方。祐介が仕事を終えて帰宅すると――家の玄関に置かれていたのは、見慣れぬ段ボール箱と、玄関マットに寝転がる姉の姿だった。
「なにしてんの……」
「見たのよ……」
「なにを……?」
姉はゆっくりと立ち上がり、スマホを祐介に見せた。
画面には、保育園のブログに掲載された“今日の一枚”が表示されていた。
それは――三谷先生に手を引かれながら笑っているハルナと、しゃがみこんで手を振る祐介の写真。
見方によっては、完全に“若い夫婦と娘”そのものだった。
「どうして……あんなに自然なの……?」
「いや、俺はただお迎えに行っただけで……」
「どうして……三谷先生、祐ちゃんのほう見て笑ってるの……?」
「えっ、それ俺関係ないでしょ?」
「“若い保護者の中でも笹原さんは優しいパパさんですね♪”って保育士間でLINE回ってるんだけど!?」
「な、なに調べてんだよ姉ちゃん!!!」
姉・真希の背後に、黒いオーラのようなものが立ち昇る。
「……もうダメかも……私の癒しだった“兄×幼女”という神聖なシチュが……現実になった瞬間、なぜか……失われた……」
「姉の精神構造が理解できねぇよ……!」
その後、姉は冷蔵庫を勝手に開け、ハルナのカレーをつまみ食いし、勝手にお風呂に入って寝落ちしていた。
その夜。
リビングの隅で、姉は毛布にくるまったまま呟いた。
「祐ちゃん……ハルナちゃんが大きくなって……もしも“お父さんきらい”とか言ったら……慰めてあげるから……」
「その想像やめろ!!!!」
「でも、最終的には“やっぱりパパが一番”とか言って抱きついてくるんだよね……!」
「だからその妄想を現実の子どもに投影するな!!!」
ハルナはそんな大人たちを尻目に、静かにテレビの“アンパンマ●”を見ていた。