9話 お迎え、そして夕ご飯
第9話:お迎え、そして夕ご飯
こばと保育園の門をくぐった瞬間、祐介の足は自然と速くなった。
夕暮れ。空はオレンジと薄紫が溶け合い、風が少し冷たくなってきたころ。
園庭のベンチに、ちょこんと座る小さな影――それがハルナだった。くまさんリュックは背中にかけたままで、ブランコに揺れる子どもたちをぼーっと見ている。
「ハルナ!」
思わず駆け寄る祐介の声に、ハルナがぱっと顔を上げた。
「ぱぱっ!」
走ってくるその足取りに、今日一日ずっと張り詰めていた緊張が、祐介の胸の奥で音を立てて崩れた。
「……がんばったな、ハルナ」
しゃがみ込んで抱きしめると、小さな体がきゅっと腕の中に飛び込んでくる。
「ともだち、できたの」
「……えっ」
「こーちゃんと、みっちゃん。あと、せんせい、やさしかったの」
「……そっか……そっか……!」
祐介は目を潤ませながら、娘の頭を撫でた。
「おやつのとき、おかし、まえのこがこぼしたから、はるながあげたら、ありがとうっていってくれたの」
「……もう……お前、天使か?」
「はるな、えんじ!」
「保育園児ってことな」
連絡帳を受け取った帰り道、祐介はふと思い出す。
(……今日は、何か“お祝い”してやりたいな)
初めての社会デビュー。言葉の壁を越え、初対面の子どもたちの中に入り、自分なりに優しさを見せた三歳児に、親として報いてやりたかった。
その夜、祐介は冷蔵庫を睨みつけた。
「……よし、今夜は特別だ。なんでも好きなもん作ってやる」
「なんでも?」
「ああ、ハルナが好きなやつ、全部言ってみろ」
「うーん……ごはん、しゃけ、いちご、プリン、ぱぱのつくるカレー!」
「最後、強いな……。よし、なら全部乗せで行こうじゃねえか」
まずは鮭を焼き、彩りのために出汁巻き卵を添える。炊きたての白米は、小さめのおにぎりに。冷蔵庫にあったいちごを冷やし、プリンはコンビニで買ってきたお気に入りのやつを。
メインは祐介特製の“とろける野菜カレー”。ハルナでも食べやすいように、甘口ルーに擦りおろしたリンゴと人参を加え、じっくり煮込む。しかも今日は特別。型抜き人参入り。
そして――
「できたぞ、ハルナ。今夜はスペシャルプレートだ!」
「わぁ〜! ぱぱ、すごいの!」
テーブルの上に並ぶカラフルな料理に、ハルナの目がきらきらと輝いた。カレーの匂いが部屋いっぱいに広がり、ハルナは嬉しそうにスプーンを握った。
「いただきます!」
ひとくち口に入れて、「おいしい!」と叫んだその瞬間――
「……ああ、これは反則だな……」
祐介はスマホを手に取り、思わず写真を撮る。頬をぷっくりさせてカレーを頬張る娘の姿は、何度見ても飽きなかった。
食後はプリン。いちごも食べて、最後はお気に入りの絵本を一緒に読みながらのんびりと過ごした。
「ぱぱ……あしたも、ほいくえんいくの?」
「うん。大丈夫そうか?」
「うん。でも……おむかえ、はやくきて?」
「わかった。がんばって定時であがる!」
「やくそく!」
「約束!」
布団に入ったハルナは、すぐにすうすうと寝息を立てはじめた。
小さな手が、布団の上にそっと伸びてくる。
祐介はその手を優しく握り返した。
(……本当に来てくれたんだな、お前)
異世界から届いた、小さな命。
それが今、当たり前のように、自分の人生の真ん中にいる。
祐介は電気を消し、そっと目を閉じた。
静かな夜。娘の寝息が、ゆっくりと夢の世界へ誘っていく。