プロローグ
プロローグ
月の光が差し込む白い森。その奥深く、風に揺れる枝葉の隙間から、静かに降り注ぐ星々の光。
笹原祐介はその幻想的な光景の中に、ただ一人、佇んでいた。
夢だと気づくのに時間はかからなかった。現実にはない柔らかな空気、静寂に包まれた空間、そして目の前に立つ存在――。
それは、白銀の髪を揺らす一人のエルフの女性だった。腰まで届く真っ直ぐな髪と、湖のように澄んだ瞳。肌は雪のように白く、まるで時間の外に生きているかのような神秘性をまとっていた。
「あなたに、お願いがあります」
その声は鈴の音のように透明で、しかし確かに哀しみを帯びていた。
「この子を……私の娘を、あなたに託したいのです」
祐介の目の前に、そっと差し出される小さな腕。その腕に抱かれていたのは、まだ三歳ほどの少女だった。茶色のふわふわした髪、少し尖った耳、そして……怯えるようにこちらを見つめる大きな瞳。
「ハルナ……この子の名前です。私は、もう……この子を守れません。ですが、あなたなら……きっと」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は……ただのサラリーマンで、子育てなんて――」
「……あなたなら、大丈夫」
その言葉が響いた瞬間、景色が一変する。白い森は霧に包まれ、音も光も飲み込まれていく。
「待って! おい、何なんだよこれ!」
祐介が声を上げた時には、すでにすべてが暗闇に溶けていた。
――そして、目が覚めた。
窓の外には、東京の朝が広がっていた。騒がしいカラスの鳴き声、通勤の足音、電車の走る音。見慣れた六畳一間のアパートの天井が、視界に戻ってくる。
祐介は寝ぼけまなこで天井を見上げ、軽くため息をついた。
「……変な夢見たな。あんなリアルな夢、久しぶりだ……」
そう呟きながら、身を起こそうとした瞬間。
隣に、何かがいた。
彼の布団の中、彼の腕のすぐ横に、茶色い髪の少女が眠っていた。小さな体、穏やかな寝息、そして――尖った耳。
「…………」
祐介は、もう一度ゆっくりと横を見る。
……いた。
まさしく、夢で見たあの少女。ふわふわの髪、エルフの耳、そして小さな体が布団にくるまっている。
「う、うわあああああっ!」
祐介は慌てて布団を跳ねのけ、部屋の隅に飛びのいた。頭が混乱している。何が起きたのか、どうしてこんなことに……。
「夢だ……これは夢に違いない……」と呟きながら、祐介は自分の頬を強くつねった。
「……痛ぇ!」
現実だった。
目の前にいるのは、夢に出てきた少女。異世界の白髪エルフが「娘」として託した――ハルナ。
その瞬間、少女がまぶたをひらき、ふわっとした声を出した。
「……パパ……?」
心臓が、止まりかけた。
――これは、夢ではない。