第4章:未来へのスタートライン
霧の朝、彼女は姿を見せなかった。
取り残されたグラウンドで、副部長は初めて、自分の中に残っていた後悔と向き合う。
6時42分。
いつものように、副部長は時計を見下ろした。
昨日と同じ場所、同じ時刻。けれど、心のどこかに少しだけ“待つ余裕”が生まれていた。
霧の向こうに、人影が現れる。
ゆっくりと、でも確かにこちらへ歩いてくるその姿に、自然と肩の力が抜けた。
「……おはよう」
彼女は軽く頷き、髪を耳にかける。
その仕草が、以前より少しだけ柔らかく見えた。
「遅れてごめん。靴紐、結び直してた」
「二度結んだ?」
「うん、いつも通り」
ふたりは何も言わずに、グラウンドを走り出す。
最初はゆっくりと、やがて自然にペースが揃っていく。
遠くで踏切の音が鳴った。
カン、カン、カン——。
そのリズムに合わせるように、副部長が口を開く。
「ずっと、気になってた。あのとき、ちゃんと謝れなかったこと」
彼女は走りながら目を細めた。息は少し上がっていたけれど、その表情は穏やかだった。
「わたしも。……逃げたのは、あんたのせいじゃないよ」
「でも、あの一言がきっかけにはなったよね」
「うん。でもね、それだけで終わってたら、また走ろうなんて思えなかった」
一周、また一周。
霧がゆっくり晴れていく中で、ふたりの言葉も少しずつ重なっていく。
「思い出にしちゃうには、早すぎた。終わったって言葉だけじゃ、どうしても納得できなかったんだ」
「じゃあ……引退後も走り続ける変人、ふたりってことだね」
「うん。たぶん、それが正解なんだと思う」
ふたりは笑いあった。
校舎の窓に朝日がまっすぐ差し込んでいる。霧はすっかり晴れていた。
ふと、副部長が腕時計を見下ろす。
「最後に、全力で一周だけ走らない?」
彼女は目を細め、そして頷いた。
「うん。……競争ね?」
スタートの位置に立つ。
ふたりだけの、最後のスタートライン。
息を整え、深呼吸を三回。
彼女は、靴紐をもう一度きゅっと確かめる。
「せーの、で行くよ?」
「うん。……せーの——!」
足音が、霧の晴れたグラウンドに響き渡る。
風がふたりの背中を押すように吹き抜けていく。
もう、逃げない。
もう、終わりじゃない。
これが、ふたりの新しいスタートだった。




