第2章:沈黙のラン
陸上部の引退後、誰もいない朝のグラウンドに現れるふたり。
無口な元エースと、真面目な副部長。
理由も語らず、ただ毎朝、霧のなかを並んで走る。
第2章:沈黙のラン
「今日、少し寒いな」
そう呟いた副部長に、彼女は答えなかった。代わりに、うっすら赤みを帯びた指先を、そっとこすり合わせる。
その仕草がどこか幼く見えて、副部長は少しだけ歩幅を合わせた。
走り始めて一週間が経つ。
最初の数日は、互いの存在に気づかぬふりで、ただ並んで走るだけだった。けれど最近は、沈黙の中にも、なにか“形”のようなものが生まれ始めていた。
距離は、ほんのわずかに近づいている。
ペースも呼吸も、自然と揃うようになっていた。
踏切の音が鳴る。遠くで、貨物列車がゆっくりと通り過ぎていく。
彼女が、その音に目を細めたのに気づいて、副部長は思いきって話しかけた。
「踏切、嫌い?」
「……ううん。好き」
短い返事。でも、それはこの一週間で最も自然なやり取りだった。
「小学校のとき、ここ通るの怖くてさ。なんか……時間ごと遮断されるみたいで」
「……わかる気がする。線、引かれてるみたいで」
彼女は、視線を落としたまま言った。その目は、グラウンドの土ではなく、どこかもっと遠くを見ていた。
副部長は、あえて続けた。
「でも今は、鳴るとホッとする。あ、今日もここにいるって……確認できるから」
走りながら、ふたりはしばらく無言になった。だが、それは気まずさではなく、むしろ心地よい静けさだった。
やがて五周目に入る頃、彼女がぽつりとこぼした。
「ケガ、したの……三年の春」
副部長は驚いた。これまで、誰にも話さなかったはずだ。その事実だけは知っていたが、本人の口から聞くのは初めてだった。
「スタートの瞬間に、足が止まった。……そのとき全部、終わったと思った」
その声に、怒りも悔しさもなかった。ただ、淡々と自分を責める響きだけがあった。
副部長は、走りながら言葉を探した。けれど、うまく出てこなかった。
代わりに、ふと腕時計を見下ろし——
彼女が、それに気づいて、笑った。ほんのわずかに、口元が緩んだだけ。
「それ、いつも見てるね。まだ逃げないよ、私」
副部長は不意に顔が熱くなるのを感じた。
いつもの冷たい空気のはずが、どこか温かく変わったような気がした。
「……じゃあ、明日も来るってこと?」
「さあ。明日は明日の私が決めるから」
そう言って、彼女はほんの少しだけ、ペースを上げた。
副部長も、黙ってその背中を追う。
ふたりの距離は、やはり少しずつ、近づいていた。




