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第1章:残された二人

卒業式を目前に控えた、早春のある朝。

坂道の多い地方都市、その丘の上に立つ高校には、白い霧が立ち込めていた。

陸上部はすでに引退し、グラウンドには誰の姿もない——はずだった。

これは、「もう終わったはずのふたり」が再び走り出す、最後の朝練の物語。

朝の空気は冷たく、吐く息が白く揺れた。

グラウンドの周囲を包む薄い霧が、冬の名残を漂わせている。校舎の窓はまだ暗く、生徒の気配はない。


「……おはよう」


そう言ったのは、副部長だった。

灰色のジャージの上に部活指定のウインドブレーカー、襟元まできちんと閉じて、姿勢はいつも通り真っ直ぐだ。


彼女は返事をしなかった。ただ軽く頷いて、ストレッチもなくそのまま走り出す。古びたTシャツ、擦り切れたバッグ。靴紐は二重に結ばれていた。


それが、この朝練が始まって三日目のこと。


すでに陸上部は正式に引退した。最後の大会も終わり、部室の鍵も返却済み。なのに、副部長は毎朝グラウンドに立ち、そしてなぜか彼女——元エースの幽霊部員——もそこにいた。


言葉は交わさない。合図もなしに、ふたりは同じペースで走り始める。


一周、また一周。霧の向こうに、白くにじむ校舎。聞こえるのはスパイクの音と、踏切のベルの遠音だけ。


副部長は何度か横目で彼女を見た。けれど、彼女は顔を上げない。前だけを見て走り続ける。


——どうして来るの?


訊いてみたいと思った。でもそれは、自分にも跳ね返ってくる問いだった。自分だって、もう来なくていいはずなのに。


やがて五周目。彼女がほんの少しだけペースを落とした。副部長がそれに合わせると、彼女がぽつりとつぶやいた。


「……まだ終わってないから」


それが何の話なのか、副部長は訊かなかった。訊けば何かが壊れそうで、ただ黙って横に並んだ。


朝日が霧を割って差し始める。ほんの少しだけ、校舎の窓に光が映った。

いつもの朝練よりも、少しだけ長く走った気がした。


グラウンドの端、古びたベンチに荷物を置きに行く途中、彼女が立ち止まり、髪を耳にかけた。


「……あんた、時計見なくていいの?」


副部長は、思わず腕時計に視線を落とした。いつもの癖だった。


「……大丈夫。今日はちょっと、余裕があるから」


「ふーん」


短い返事。でも、その目は初めて副部長をまっすぐに見ていた。

その瞬間、ふたりの距離がほんの少し、近づいた気がした。


だが、そのわずかな変化は、踏切の警報音にかき消される。


カン、カン、カン——。


音が響く中、副部長は思った。

——明日も来てくれるだろうか。

確信はない。けれど、なぜかそう思った。


そしてその翌朝。ふたりは、また霧のグラウンドにいた。


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