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8 かくしてその地に狂気が降り立った③

 広々とした草原の中でまばらに伸びる樹木。志穂が再び目覚めたのはその木陰の中だった。

 木漏れ日がキラキラと眩しい。

 耳をすませば、どこからか鳥の美しいさえずりが聴こえてくる。

 一応は都会と呼べるような場所で育ってきた志穂にとって、この場所はまるでヒーリング映像の中にでもいるかのようだ。


 このままもうしばらく癒しの時間に浸っていたいという気持ちを振り切るように、志穂は少しばかり勢いをつけて立ち上がる。その身体は自分のものではないかのように軽かった。


 そのまま辺りを見回してみる。

 開けた草原は、鳥の声と時折風の音が聴こえるだけのいたって平和な場所だ。

 いわゆる街道というものだろうか、幅二〜三メートルばかりの踏み固められた土の道が、草原に引かれたラインのようにはるか先まで伸びている。

 異世界というからにはモンスターの一匹でも現れるかと期待していたが、今のところその様子もないようだ。


 周囲を確認した志穂は、次に自分の身体に目をやる。

 身につけているのは、羊毛ウールなのか亜麻リネンなのかよくわからないが、とにかく何かしらの布で作られたチュニックと膝丈のスカート。さらに腰には小さなポーチが付いたベルト、足には革製のロングブーツだ。

 腰のポーチを開けてみると、中には金貨が五枚。おそらくこの世界における通貨なのだろうが、志穂にはどのくらいの価値があるのかは見当もつかなかった。

 加えて防具らしきものとして、革製の胸当てと小手。厚みも重さもさほど無いそれらは、攻撃を防ぐにはいささか心許ない。そして武器としては、鞘に納められた剣が腰に差されていた。

 総じてあまり上等な装備とは思えない。RPGに例えるなら、『むらびとのふく』の上に最初の町で買える革の装備を重ねた状態といったところか。


 他に気になるものと言えば、左腕に着けられた腕輪バングルだろうか。その滑らかな金属面には、何か文様のようなものが浮かび上がっている。それは志穂にとって非常に見慣れたものだった。


(――これって、時計?)


 その文様は秒針のないアナログ時計のようだった。よく見ると、長い方の針が僅かずつ動いているのがわかる。もし時計だとすれば、それが示す時刻は一時過ぎ。現在の太陽の位置を見るに、少なくとも大きくはズレていない。どうやらこの世界における腕時計のようなものと考えてもよさそうだ。


 一通りの持ち物を確認した志穂は、試しに腰の剣を抜いてみる。少なくとも見た目は何の変哲もない鉄製の剣。しかしその刀身は鏡面のように滑らかで、志穂の顔がはっきりと映り込んでいる。

 おかっぱのように切り揃えられた金色の髪に、緑色の瞳。顔立ちには以前の面影が残っているような気がしないでもないが、二十一歳という実年齢からは幾分幼く見える。つまりは、ほぼ別人の姿と言っていいだろう。


(うーん、異世界だから想定内といえば想定内だけど、この『レキ』の姿は結構衝撃的ね……)


 志穂はいつの間にか自分の名前を『レキ』だと自認していることに気づく。

 そして一度気がついてしまえば、志穂は『志穂』である以上にすでに『レキ』であった。


(レキ……。私の名前はレキ……か)


 そうしてレキとして目覚めた彼女の前に、小さな人影が現れた。

 身の丈百四十センチメートルほどで、見た目は緑色の肌をした人間のよう。子供くらいの背丈に反して顔はまるで老人のようであり、その手には粗末な棍棒が握られていた。


(あれって、ゴブリン……だよね? 多分)


 ゴブリン――いわゆるファンタジー世界にさほど詳しくないレキでさえも知っているほどの、定番中の定番モンスターだ。空想上の生物であるため正確な見た目などというものは当然無いわけだが、目の前にあるこの姿がステレオタイプ的に定着していると言えるだろう。


(モンスターなら殺しちゃってもいいのかな……? でも、もしかしたら、見た目がこんなんでもこの世界では無害で温厚な種族なのかもしれないし……)


 見た目だけで人を判断してはいけません――というのは、ごく一般的な道徳観念の一つだ。そんなことは子供の頃から繰り返し叩き込まれている。

 しかしそんなレキの懸念は、あっさりと杞憂に終わる。

 ゴブリン?が手にした棍棒でレキに殴りかかってきたからだ。


「キィエエエッ!」

「――きゃっ!」


 多少面くらいながらも、その攻撃をあっさりと躱すレキ。身体が軽いとは思っていだが、やはりこの世界では身体能力が強化されているようだ。

 的を外して叩きつけられたゴブリンの棍棒は、土ぼこりを上げながら地面を深くえぐった。完全にこちらを殺すつもりの攻撃である。


 初めて向けられる明確な殺意に、レキは思わずつばを飲み込んだ。

 だが神の言ったことが事実ならば、今の自分には類稀なる剣の実力がある。そこらのモンスターなどに遅れをとることはあるまい。


 レキは自分にそう言い聞かせると、目の前の敵をまっすぐに見据える。

 達人は相対しただけで相手の腕前がわかるなどというが、どうやらレキにもそんな感覚が備わっているらしい。コイツは自分よりもはるかに下だ。


「――先に仕掛けたのはそちらですからね。容赦はしないですよ!」



 数秒後、レキの目の前にはバラバラの肉片が散らばっていた。


「――ふぅん、ゴブリンの血って緑色なんだ……」


 そんなことに感心しながら、レキはもう動くことはないゴブリンの腕を剣先でつつく。

 モンスターが相手であるためか、命を奪ったことへの罪悪感のようなものは特に湧いてこない。あるいは神の言ったように、レキが『まともじゃない』からなのかもしれない。


 そして戦いを振り返ってみると、これまで剣を振ったことなどないレキの手で放たれた斬撃は、まるで何万回も繰り返された動きのようにスムーズだった。それに加えて動体視力も上がっているのか、ゴブリンの動きもまるでスローモーションのように見えていた。

 きっとこれが『剣聖の祝福』とやらの力なのだろう。


「それにしても――剣で斬ったものだと、同じバラバラでもさほど興奮しないなぁ」


 レキは緑色の血の海に散らばる肉片を見下ろしながら独りごちる。しかし言葉とは裏腹に、その心はわずかに昂りを見せていた。


「やっぱり『轢死』じゃないと! ああっ、早く『能力』を使ってみたい!」


 抑えがたい衝動に身体を震わせていると、レキの耳が遠くで金属のぶつかり合うような音を捉えた。

 その方角に目を向けると、街道の伸びた先が小さな森に遮られて見えなくなっている。

 人間かモンスターかはわからないが、どうやらその先で何かしらの戦いが起こっていると考えて間違いなさそうだ。


「おやおやおやぁ? これはもしかして早くもチャンス到来――かな?」


 レキは獲物を捉えた蛇のように口角を吊りあげると、音のする方向へと駆け出していった。



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