7 かくしてその地に狂気が降り立った②
自分が死んだことも、その自分をわざわざ神が呼び出した理由も理解できた。
しかし残念なことに、『英雄』として世界を救うというその使命とやらにそもそもあまり関心がない。
「ちなみにお聞きしたいのですが、あなたの管理する世界とはどのようなところなのでしょうか? やはり私がいた世界とは全く違うのですか?」
「ふむ、そうだね……。君たちの言葉でいうところの、いわゆる『ハイファンタジーの世界』を想像してもらえればおおよそ合っていると思うよ」
ほら、やっぱりだ――志穂は内心で舌打ちする。
なんか剣とか魔法とかでモンスターやらと戦ってどうこうするみたいな世界。そんな世界で英雄ごっこに興じるなんて、ハッキリ言って志穂にとっては楽しくもなんともない。なぜならそこには人間を轢き殺せるような機械が存在しないのだから。
「――ところで、もし私が転生を断った場合は?」
「君が何を言おうと、転生させることに変わりはないさ。だって僕はそのために君をここに呼んだんだからね」
完全に自分が世界の中心だと思っている。人間の意志なんてものは毛ほども気にしていないのだろう。これだから神とかそういう輩は度し難い。
見るからに不満そうにしている志穂の様子は気にも留めず、神はさらに話を進める。
「――とはいえ、ただの人間では『英雄』とはなり得ない。それに値する力がなければ、ね」
すると、神の両手の間に小さな光の珠が現れる。それはゆらゆらと少しずつその姿を変えていき、やがて小さな剣となった。
(男子小学生が修学旅行で買いがちなキーホルダーみたいだなあ……)
そんなことを志穂が思っていると、そのキーホルダーめいた剣を見た神が呟く。
「なるほど――『剣聖』だね」
すると剣は一瞬強い輝きを放ったかと思うと、キラキラとした光の粒に形を変える。そしてその光は志穂の身体に吸い込まれるように消えていった。
「今与えたのは『剣聖の祝福』だ。これより赴く世界において、君は並ぶ者のない剣の力を振るうことが出来るだろう」
(――うわ、つまんない能力)
正直なところ、あまり面白いとは思えないありきたりな能力だ。
もちろんモンスターだらけの異世界を生き抜くには不可欠な力であることはわかる。しかし志穂はチャンバラなどには何の興味もない。彼女が愛してやまないのは『斬死』ではなく『轢死』なのだから。
「そしてもう一つ」
どうやらまだなにかあるようだ。サービスのいいことだが、志穂にはさしたる関心はない。これからのつまらない生活が、わずかでもマシになればといった程度だ。
「先程のものは僕が外から与えた力。次は君の内なる力を引き出すとしよう」
すると今度は、志穂の身体の内側から何かが吹き出すような感覚があった。そして志穂の周りをオーラのような光――というよりは赤黒く邪悪にうごめく瘴気のようなものが包む。
「おやおや、ずいぶんとおぞましい力のようだ。まるで君の内面そのままだね」
先ほどからいちいち失礼をはさんでくる神の言葉に、リアルでもつい舌打ちが出そうになる。
「――なるほど。君の能力は『乗り物』を召喚し、それを自在に操る力らしい」
「乗り物を召喚して操る力……」
それを聞いて、志穂は自分に与えられたという『能力』について考えを巡らせる。するとほどなくして、その瞳がみるみるうちに輝きを増していった。
興奮であふれそうになる気持ちをどうにか抑えながら、志穂は神に問いかける。
「それってつまり、電車や自動車を喚び出すことができるってことですよね? そして自在に操れるってことは、それを誰かに向かってぶつけるなんてことも――」
「ふむ、できるだろうね」
志穂はその心のなかで、高らかに歓喜の叫び声を上げる。
つまりその『能力』を使えば、志穂は自らの手で敵を轢き殺す事ができる。そしてその世界は倒すべき魔物や悪人で溢れているという。そんな連中が死んだところで志穂の心が痛まないことは、つい先ほど文字通り死ぬほどの快楽を味わうことができたことからも証明されている。
今までのように『レキシ』をただ観ているだけではない、これから赴く世界では、志穂自らの手で『レキシ』を作っていく事ができるのだ。
喜びを隠しきれない様子の志穂を見て、神はわずかに笑みを浮かべた。
「二つ目の能力――どうやら君も気に入ってくれたようだね」
その神の言葉で、志穂の思考が不意に引き戻される。『君も』ということは、当然能力を授かったのは志穂だけではないということだ。
「――もしかして、私の他にも何人か送ってますか?」
「もちろん。これまでもすでに何人かを『英雄』として送り出しているよ。先に言った通り、僕には送り出した『英雄』がどうなったかを直接的に知ることはできないからね。その生死さえわからぬ以上、保険としてできるだけたくさんの『英雄』が必要なのさ」
さも当然と言わんばかりのその答えは、聞いただけなら筋が通っていると思えなくもない。
しかしよくよく考えれば、それが平和を取り戻す目的に沿っているかはかなり疑問だ。
(人が死ぬことをなんとも思わない人間に、強大な力を与えて送り込む……。そんなの『英雄』どころか、魔物や悪党よりもよっぽど厄介な存在になりかねないんじゃない? それとも神様だけに人間の心なんてちゃんと理解してないってことなのかな……)
だが今それに異論を唱えたところで、何がどう変わるというものでもない。
大なり小なりネジの外れた、自分と同等の力を持つであろう転生者――今から向かう世界ではそんな連中に出会うかもしれない。志穂はそれだけ心に留めておくことにした。
「さて、もう聞きたいことはないかな?」
志穂は黙って頷く。
細かいことはとりあえず後回しだ。今はとにかく異世界を楽しむことを考えよう。
「――では行くがいい。君が世界の平和を取り戻してくれることを期待しているよ」
神のその言葉とともに、志穂の身体は白い光に包まれていった。