5 その空白は血と臓物に③
その日、駅ホームの端にはカメラを携えた二十人ばかりの男たちが押し合うように集まっていた。
その中には、あろうことか持ち込んだ脚立の上にまたがっている者までいる。
ある意味では乗り物の情報を集めることが趣味とも言えるがゆえに、志穂には彼らの界隈に関する情報を目にする機会もそれなりにあった。
(――ああ、『M2000系』のラストラン、確か今日だったっけ)
最近見かけたネット記事が、深緑色のレトロな車体の写真とともに彼女の頭に浮かぶ。
そして彼女にもそこまで詳しいことはわからないが、どうやらこのホームからはいい感じの構図の写真が撮れるとのことで、普段からそういう趣味の人間がいつも何人かはカメラを構えていた。
彼らが引退車両の最後の勇姿をフィルムに収めようと待ち構えているということであれば、この異様とも思える光景にも一応納得ができる。
やがて電車の到着を知らせるアナウンスが流れると、彼らは遠目でわかるほどに大きく沸き立った。
「ぶおおおっ! 来るよ来るよぉ!」
「構図ッ! ブイィィな構図をッ!」
そして目当ての車両が姿を現した瞬間、それは熱狂と呼べるほどに激しさを増した。
その様子はとても人間とは思えぬ、飢えた豚かなにかのようだった。
「はい、下がってくださーい! 危険ですから黄色い線から出ないでくださーい!」
苛立たしげな肉声のアナウンスがホームに響く。
しかし人としての知性も理性も失ったと思しき彼らは、もはやその言葉の意味すら理解できていないのではないかというほどひときわに喚き散らす。
「ぶひっ! ぶひっ! 来た来た来たァァ!」
「右ッ! もっと右ッ! クソッ、どけよお前ェ!」
「さ・が・って・くださーい! 線路に身を乗り出さないで――」
その時志穂は、自分がこれまで幾度も味わってきた感覚の中にいることに気がついた。
駅のホームでも、幹線道路でも、そしてあのオープンカフェでも、その瞬間はいつもそうだった。
志穂の周りが突然スローモーションのようになり、どんな細かな動きでもその目で捉えることが出来るようになるこの感覚。
そしてそれはつまり、これから何かが起こるという予兆めいたものといってもよかった。
脚立の男がカメラを構えたまま線路側に大きく身を乗り出す。
平均と比較してもかなり重い部類に入るだろう彼の身体を支える脚立は、その急激な重心移動に耐えることができずに線路へと倒れていく。
続いてその周囲にいた数人が、それに巻き込まれるかたちで落下する。
彼らもまた少なからず線路に身を乗り出していたため、僅かな衝撃で身体のバランスを容易に崩してしまったのだろう。
さらに彼らがとっさに伸ばした手に掴まれた者たちが、そのまま次々と線路に向かって引き落とされていき――。
気が付けば男たちは、わずか数人を残してその大半が線路へと転落していた。
何が起こったのかもわかっていない様子の彼らは、ただ口を開けて線路の上でへたり込んでいる。
そして彼らの目の前には、その到着を今か今かと心待ちにしていた深緑色の車両。
獲物を捉えた肉食獣の目のようにギラリと光るヘッドライトを見て、彼らの一人がようやく自分たちの置かれている状況を理解する。
「あっ――」
その後に待っていたのは、|あまりにも残酷で凄惨極まる《かつてないほどにすばらしい》光景だった。
肉の潰れる音と内臓の弾ける音と骨の砕ける音、そして最期に喉から漏れ出た声にもならない声が、オーケストラのような重厚さをもって志穂の鼓膜を揺さぶる。
何度も、何度も、何度も!
大輪の花のごとく美しく宙を舞い踊る赤い宝石たちのキラキラとした眩しい輝きが、ハリウッド映画のような鮮烈さをもって志穂の網膜を焼き付ける。
何度も、何度も、何度も!
そしてあの可愛らしいとさえ感じられていたあの深緑色の車体は、その身を血と臓物で染め上げながら無力な人間を次々と蹂躙していく鉄の怪物と化し、その圧倒的かつ破壊的な有り様はあたかも神話の神々の如き雄大さと荘厳さで志穂の心をかつてないほどに激しく揺さぶった。
それはこの世界で最もスペクタクルなショーを目の前にしているとでもいうべき驚きと感動のリフレインであり、エロティックな快楽のように何度も衝き上げられた志穂の激情は肉体という器さえも突き破ってしまわんばかりにはち切れていく。
普段であれば命を落としていくものへの哀悼の思いが志穂の心を締め付けていただろう。
しかし目の前の連中に対してはそんな気持ちは微塵も感じられない。
どう考えても自業自得で同情の余地もないバカどものために、どうしてわざわざ心を痛めてやる必要があるだろうか。
志穂はついに理解した。これこそが彼女の求めていた純度百パーセントの快楽なのだと。
そして後ろめたさなどなにもない無垢なる悦びがもたらすこの充実感を。
そう、至福! ただただ至福!
ああ、幸福! ただただ幸福!
そうして彼女の意識もまた、愉悦と快楽の渦へとゆっくりと飲み込まれていった――。