4 その空白は血と臓物に②
「それじゃあ志穂ぉ、また明日ねぇ~」
「志穂ぉ、もっとウチらのこと構えよなぁ。さび死んじゃうだろぉ」
「はいはい、またねー」
それから時が経ち、志望大学に合格して晴れて大学生となった志穂は、友人に囲まれながら充実したキャンパスライフを送っていた。
そんな彼女は、傍目からは高校の頃から何も変わっていないように見えただろう。
「さぁて、今日は原点に立ち返って電車にしようかなぁ~」
自室に戻った志穂は、そんなことを言いながら上機嫌にパソコンの電源を入れる。
今の彼女にはかつてはなかった生きがいとも呼べる『趣味』があった。
(やはりG-400はイイっ……! 白銀のボディに飛び散る赤は芸術的とも言っていいほどのまさに絶妙なコントラスト……!)
大画面のモニターで流れているのは、ただ線路上を電車が走っているだけの動画だ。
しかし志穂の目には、フロントに飛び散る血飛沫や車輪に潰されていく肉片、シャフトに引っかかってどこまでも引き摺られていく腸などがありありと映し出されていた。
志穂の『趣味』――それは乗り物によって人間が轢き殺される様を妄想すること。
一般的な感覚からすれば明らかに常軌を逸しているであろうそれに、彼女はどっぷりとはまり込んでしまっていた。
そして志穂は自分にとって初めてできたその『趣味』に、労を厭わず全力で取り組んだ。
多種多様な『轢死』をリアルに妄想するため、電車に限らずあらゆる乗り物について調べ上げた彼女は、今やそのディティールやスペックなどマニア顔負けの知識を持つまでに至っている。
人が死ぬところを妄想して悦に浸るなんて、到底人には話すことなどできない非道徳的で後ろ暗い趣味だ。そんなことは志穂自身が一番良く理解していた。
一方で、そんな趣味が志穂の心を豊かにしていったことも紛れもない事実だ。
かつてのような上っ面ではなく、志穂は心の底からの笑顔を見せるようになっていた。周囲の人間の中にも、そんな彼女の変化に気づいた者はきっといたことだろう。
そんなふうに生き生きと日々を過ごしていた志穂であったが、彼女にも時に心が暗く沈んでしまうほどの大きな悩みが一つだけあった。
「千路さん、歴史が好きなんだってね。もしかして『歴女』ってやつなのかな?」
その日は友人の紹介で知り合った男子学生と、二人で大学近くのオープンカフェに来ていた。
最初は正直気乗りしなかった志穂だったが、実際に会ってみれば彼との会話は存外に楽しい。
「歴史って、実は俺も結構興味あるんだよねー。定番だけど、戦国時代とか幕末とかさぁ。千路さんはどの辺りが好きなの?」
周りから趣味を聞かれたとき、志穂は「レキシが好き」と答えるようにしていた。実際嘘ではない。志穂は『レキシ』が大好きなのだから。
「――車とか電車って……。技術史とかそういうこと? マニアックな感じもするけどそういうのも確かに面白そうかもねー」
目の前の彼に対して、志穂は少なくとも悪い感情は持っていなかった。話は面白いし、何より周囲への気遣いをいつも欠かさない。あまり恋愛感情というものを理解できない彼女からしても、彼と一緒にいること自体は楽しいと感じられた。
「いやぁ、千路さん面白いなぁ。よかったら今度俺と――」
次の瞬間、猛スピードで乗り上げてきたトラックが、志穂の眼前から彼の姿を攫っていった。
そしてそのままトラックごと店舗の外壁に激突した彼の身体は、圧し潰された水風船のようにグチャグチャに弾け飛んでしまう。
最後に発せられた彼の音色は今までのどんな言葉よりも魅力的で、目の前で真っ赤にさらけ出された彼の内面は今までのどんな表情よりも美しく感じられた。
その光景を恍惚とした表情でただ見つめていた志穂は、やがてはっと我に返る。
(――私は、私はまたこんな……!)
志穂がこのような事故を目撃したのは、実は今回が初めてではなかった。
最初に『轢死』を目撃したあの日から、志穂の身の回りでは今回のような事故が時折起こるようになっていた。そしてそれらは志穂に歓喜と悦楽をもたらしてくれる一方で、その心の内に常に矛盾を突きつけていく。
本来の志穂は、人の死を望むような人間などでは決してない。
突然に人生を絶たれた本人の無念、遺された家族や友人たちの想い――そんなことを想像すると心がひたすらに痛くなる。たとえそれが赤の他人であったとしても、善良な人たちが目の前で死んでいくことに、志穂はいつだって胸が引き裂かれるような思いだった。
だがそんな彼女の気持ちは、いつも歪んだ悦びによって覆い潰されていく。
人の死を前にして悦楽に浸っている自分を最低な人間だと思った。それでも心に湧き上がるその感情を否定することはどうしてもできなかった。
人が死ぬのを見るのが好き、だけど罪もない人々が命を落とすことは辛い。
志穂はかけがえのない生きがいを得たのと引き換えに、その心のなかにはそんな矛盾した思いも抱えてしまうこととなった。
そんな志穂にとって最大の事故が起こったのは、大学三年生の冬のことであった。