剣聖と剣聖①
『剣聖』アルファウス――その二つ名が示すところはこの世界の人間としては最強クラスの剣の使い手ということに他なるまい。王国内に数人しかいないというAランク冒険者であることもその実力の程を示している。
事実、その場にいた者たちは全員が彼を畏敬のこもった目で見つめていた。特にセリナは、例えるならまるで推しのアイドルを目の前にしたファンの少女のようだ。
「わ、私、王都の剣術大会でアンタを見て! それからアンタにずっと憧れてて……!」
顔を赤らめながら話すセリナに、アルファウスが微笑む。
「それは光栄だな。『星の十字団』のセリナくん」
「俺たちのことを知ってるんですか!?」
そう驚いたのはアリオスだ。
「王国内で有力な冒険者の情報はなるべく集めるようにしているんだ。なかなか活躍していると聞いているよ」
感激で言葉も出ない様子のアリオスたちだったが、レキだけは全く違うことを考えていた。
はっきり言って、この状況で言い出すにはあまりに空気を読めてなさすぎる。しかし今を逃せばこんな機会は永遠に巡っては来ないだろう。
「――アルファウスさん」
レキは意を決してアルファウスに声を掛けた。
「私と手合わせしていただけませんか?」
予想していた通り、その場の空気が凍りつく。
それでもレキは確かめるべきだと思っていた。『剣聖の祝福』を受けた自分と、『剣聖』の二つ名を持つ剣士の、いったいどちらが上なのかを。そしてそれは、この世界で自分がどれだけのことができるのかを知りうることでもあるように考えられた。
一瞬の沈黙の後、ルキアとアリオスが口を開いた。
「無茶よ!」
「お前、さすがにそれは――!」
しかし二人の言葉をアルファウスが手振りで遮る。
「私は構わない。しかし――」
穏やかな口調のまま、彼の言葉が重さと鋭さを帯びていく。
「この私とまともに打ち合えるだけの技量があると考えていいのだろうね……?」
アルファウスから発せられる威圧感は、レキを怯ませるのに十分なものだった。
自分の技量が彼の満足させるに及ばないとは思っていない。しかし、平凡な一学生に過ぎなかった彼女の精神は、百戦錬磨の猛者から受けるプレッシャーを撥ね返せるほどにはまだ強くなかった。
しかしそんなレキ背中を押すように、セリナが言い切ってみせる。
「彼女の力は少なくとも私より数段上です。それは保証します」
アルファウスはニヤリと口元を歪ませる。きっとセリナの言葉に確かなものを感じたのだろう、湧き上がる昂りを抑えきれないとでもいう表情だ。
「――なるほど、それは楽しみだ。なにせ私の名を聞いた上で挑んでくる者など、最近は全くと言っていいほどいなくなってしまったものだからね」
そこまで言うと、アルファウスは店主のドワーフに顔を向けた。
「店主」
「お、おう!?」
不意に声を掛けられて面食らう店主の様子を気にするでもなく、アルファウスが続ける。
「この店に打ち合いのできる場所はあるだろうか?」
「ああ、そうだな……。それなら裏庭を使ってくれていいぞ」
店主はそう言うと、入口とは逆側にある扉を指さした。
店の裏側には塀で囲われたバスケットボールコートほどのスペースがあった。端の方には巻藁のようなものがいくつか備え付けられている。おそらくは、買い物客が武器の試し斬りを行えるようにと用意された場所なのだろう。
レキとアルファウスは、店主からそれぞれ木剣を借り受けると、十メートルほどの距離をおいて対峙した。それなりに離れているように思えるが、彼女たちであれば一足飛びに間合いに入ってしまうことも可能な距離だ。
「さて、君の名前をまだ聞いていなかったな」
「――レキといいます」
「ありがとう、レキくん。お互いベストを尽くすとしよう」
そう言うとアルファウスは気合いとともに剣を構える。
「さあ、どこからでも来るがいい!」
アルファウスの言葉とともに、レキは一気に距離を詰めて飛びかかった。
勢いに任せただけの上段からの一撃は、当然のように防がれる。それでも攻め手を緩めることはしない。そのまま二撃、三撃と続けざまに攻撃を放っていく。
しかしさすがと言うべきか、アルファウスはレキの激しい攻撃を無駄のない剣捌きで全て受けきってみせる。
「なかなかやる――ならば!」
次に放たれたレキの一撃を大きく弾くと、アルファウスはそこから攻撃に転じた。
だがレキもまた、疾風のように繰り出される彼の攻撃を次々と躱していく。やがて剣を受けた勢いそのまま後ろに跳び、仕切り直しとばかりに再び距離を取った。
先ほどまで剣撃の音が響いていた空間が、しばしの静寂に包まれる。
「どっちもすげぇな……、これがAランクの実力かよ」
アリオスが思わず感嘆の声を漏らす。
「いや、どちらもまだ本気じゃない」
そう言い切るセリナの額にも、一筋の汗が流れるのが見て取れた。そしてその言葉が聞こえていたのか、アルファウスがレキに声を掛ける。
「小手調べはこんなところでいいだろう。それとも私では全力を出すには不足かな?」
「――いいえ、次は本気でいきます」
「よろしい、ならば今度は私から仕掛けさせてもらおうか」
アルファウスはレキのもとに一気に走り込んでくると、その勢いままに横薙ぎに剣を払う。そして身を躱したレキにそのまま連撃を加えていった。
レキはそれらの攻撃を身体の動きのみで躱していく。腕力はアルファウスのほうが上だろう。剣で受けてしまえば威力で押されてしまいかねない。
(流石に速い……! でも剣筋はなんとか追えるし、身体も付いてきている!)
アルファウスの攻撃は『剣聖』の名に恥じぬ苛烈なものだっだ。しかしそのギリギリの状況で、レキの感覚は次第に鋭さを増していく。そして彼女の動きはそれにつれて、ステップを踏むかのように軽やかなものとなっていった。
「――ぬぅ!」
一向にレキの身体を捉えることができない焦りの気持ちが剣に伝わったのだろうか、アルファウスが放ったその一撃にはほんのわずかに攻撃への偏りがあった。隙とも呼べぬほど小さなその揺らぎを、極限まで研ぎ澄まされたレキの感覚が見逃すことはない。
レキがその一撃を合気のように受け流すと、重心を外されたアルファウスはそのまま大きく体勢を崩した。
「ぐっ――!」
がら空きとなった上段に向かって、レキは止めの剣を振り下ろす。
(――決まった!)
しかしその瞬間、アルファウスの身体がくるりと翻る。そこから放たれた蹴りは、カウンター気味にレキの鳩尾に突き刺さった。
「ぐえぇっ!」
直撃を受けたレキの身体は、そのまま後方に数メートルばかり吹き飛ばされる。
「しまった!」
アルファウスは我に返ったように叫ぶと、木剣を放り出してレキのもとに駆け寄っていった。