空と君のあいだに③
三人の背中を見送り残されたレキだったが、立ち尽くしたまま動けずにいた。
理性が早くこの場を離れることを強く促す一方で、皆を見殺しにしたくないという感情がどうしても両脚を縛り付けて離してくれない。
しかし目の前ではすでにワイバーンとの戦いが始まっている。レキがこのまま立ち尽くしていれば、あの三人は無駄死にだ。
論理的に考えれば、レキの取るべき行動はこれ以上ないくらいに明らかだろう。
セリナたちがいくら好感に値するとはいえ、所詮は昨日知り合ったばかりの他人。そのために自らの命を捨てるなどというのはあまりにもナンセンスだ。そして何より、レキが無事に逃げることを望んでいるのは彼女たち自身ではないか。
レキは戦いに背を向けると、遺跡の外へと走り出す。
そう、今は逃げるべきなのだ。なぜならばそれがレキが為すべきことであり、レキに課せられた使命であり、レキに託された望みであり――。
「――ああっ! もうっ! しらないしらないしらないしらないっ!!」
足を止めてしゃがみ込んだレキは、両拳を何度も地面に叩きつけた。
唇を噛み締めながら顔を歪める彼女の両目には涙が滲んでいる。
「だってみんないい人なんだもん、それなら助けたいじゃん! みんなが死んだらリーネちゃんは一人ぼっちになるんだもん、そんなの可哀想じゃん! 理屈がどうとかもう関係ないんだっ!!」
道理に合わない愚かな選択だ。だがそれの何が悪い。
感情に振り回されただけの浅はかな行動だ。だがそれの何がおかしい。
意を決して立ち上がると、レキは宙を舞う翼竜を睨みつけた。
「絶対に考えてやる、あいつを倒す方法を……!」
その覚悟とともに、レキの思考がオーバーヒート寸前まで一気にフル回転する。
必ずあるはずだ、空中の敵を倒すための方法が。
言葉を変えれば、空中の敵を攻撃するための方法が。
さらに言い換えるならば、高いところにいる敵を攻撃するための方法が。
つまりは要するに、高いところに攻撃を届かせるための方法が――。
その時、頭の中でどこか懐かしい声が響いた。
『――すごいね、そんなに高いところに届くんだね』
瞬間、レキの脳内でフラッシュバックする一つの記憶。
それはレキがかつて志穂だった頃の記憶だった。
◇◇◇◇
「ねえ、志穂ちゃん。何を読んでるの?」
家のリビングで一冊の本を開いていた志穂の背後から、姉の遥香が覗き込んでくる。
そのとき志穂が眺めていたのは乗り物の図鑑。
まるで小さな男の子のようで少し気恥ずかしい気持ちがしたが、遥香は冷やかすような素振りも見せずにニッコリと笑いながら志穂の傍らに腰を下ろした。
「私も一緒にみたいな」
そうして姉妹は、小さな子供のように仲良く肩を並べながら図鑑のページをめくっていった。
大好きな姉と二人きりの穏やかな時間が、ただゆっくりと過ぎていく。
「――あ。志穂ちゃん、これ見て」
やがて遥香がとあるページを指差す。
「四十メートルだって。すごいね、そんなに高いところに届くんだね」
◇◇◇◇
そんな姉との記憶とともに、レキには一つの策が浮かんでいた。
しかしそれは自分の命をも落としかねないほどに、あまりにも危険な策でもあった。
そんなことをするくらいならいっそこのまま逃げてしまいたい――拭い去りがたい恐怖に、レキの心が萎縮してしまいそうになる。
(――ダメ、もう決めたんだ! 私はみんなを助けてみせる――!)
自分の中の弱い気持ちを必死に抑え込むと、レキは目の前の地面に向かって右手をかざす。
「〈キタノ NLL5‐40S〉――!」
そこに現れたのは、真っ赤に染まった大型の車体。
それはかつて姉とともにその姿を眺めた、あの緊急車両であった。