回復
男は意識を取り戻し、薄らと開けた目にリルの姿を写すと、体を捻って転がってリルから距離を取り、腰にやった手をスカッと空振りさせた。男が腰に付けていた鞘は、治療に邪魔なのでリルが外していたからだ。ズボンは履かせたけれど、上半身は裸のままでもある。
「誰だ?!」
片膝突いた状態から更に後ろに下がり、土ドームの壁際の下がり始めて低くなった天井に頭を擦りながら、男がリルに問い掛ける。
「リルです」
反射的に名前を答えたリルに対し、知人だっただろうかと男は記憶を探るけれど、顔は思い当たらない。しかしその声を男は覚えていた。
「君は、そうか。わたし、俺が魔獣に囲まれていた時に声を掛けて来た」
「そうです」
「そうか。あの時の・・・少女か?」
「違います」
小柄なリルの心の中では、リルはまだ少女なのではなくて、もう乙女なのであった。
「あ、いや。それは、失礼をした」
男の心の中ではリルは、まだ変声期前の少年になった。
リルに向かって頭を少し下げた男が、片手を床に突いた。そのままの姿勢で一旦動きを止めたけれど、今度はもう一方の手も突いて、立てていた方の膝も床に突く。
「大丈夫ですか?」
リルは慌てて男の体を支え、そのまま横にならせた。
「済まない」
男が小さな声を出す。
「はい。もう少し休んだ方が良いです」
仰向けになって薄目を開けて、男は天井を見上げる。
「ここは、どこなのだ?」
囁きほどのその声を拾って、リルは答えた。
「あなたがゴボウルフと戦っていた場所の直ぐ近く。土魔法で作ったドームの中です」
「土魔法?君の?」
「ええ」
「この明るさは?」
「光魔法ですね」
「そうか」
男は目を閉じて息を吐いた。
「君がわた、俺を助けてくれたのか?」
「結果的にはそうです」
「君一人で?」
「そうですね」
「そうか。感謝する」
「はい」
リルの返事に男は目を薄らと開けた。リルの応えに、「いいえ」ではなくて「はい」なのか、なんてどうでも良い疑問が浮かび、その考えの取るに足らなさに、男は苦笑を浮かべる。
それにリルが気付いた。
「どうしました?」
男が何を笑ったのか、リルには分からない。リルから見れば、男は笑えない状況だった。
清浄魔法が効き過ぎてオカシくなったのかも?とリルは不安になる。この閉塞空間にオカシな男と二人きりなんて怖過ぎる。
「いや。俺が戦っていた魔獣は、ゴボウルフと言うのか」
「え?ええ」
ゴボウルフを知らない?それとも清浄魔法が効き過ぎて記憶を喪失?
「私が見た時にあなたが戦っていたのは、ゴボウルフだけでした」
「うん?・・・そうか」
「はい」
リルはイガグリズリーの事を言おうともしたけれど、ゴボウルフを知らないくらいではイガグリズリーも分からないだろうと思って止める。
取り敢えず命は助けたけれど、関わると面倒臭くなりそうだとリルは感じた。
でも助けたからには、このまま見捨てて行くのは出来そうにない。夢に見たりしたらイヤだし。
「あの」
「なんだ?」
「体力と魔力を回復させますけれど、良いですか?」
「回復?」
男が上半身を起こそうと力を入れるが、僅かに体を捻るだけの結果になる。
「回復とはもしかして魔法でか?」
「え?ええ。はい」
「君が聖女なのか?」
「え?いえ、違います。ただのヒーラーです」
「ヒーラー?」
「はい。聖女って確か、神殿の人ですよね?」
「まあ、そうだが、ヒーラーとは?」
「ヒーラーは冒険者の中で、パーティーメンバーの回復を主な仕事とする者です」
「回復を・・・そうなのか」
「ですので、あなたを回復させて良いですか?」
「それは是非頼む。礼は弾もう」
礼も何も、男は荷物もないし、金目の物も身に付けてはいない。
父の故郷まで行く為には旅費が必要だけれど、欲張ってこの男から礼を受け取るよりは、男の夢を見ないで済む程度にさっさと治して離れた方が良い、とリルは思った。
イガグリズリー肉を食べたお陰で魔力も少し回復したリルは、「ではやります」と呟く様に言うと、さっそく男に回復魔法を掛ける。枝の杖はまたなくなったので、リルは男の体に手を当てた。
男はリルに触れられて、反射的に身動ぎをする。
「動かないで」
「あ、ああ。分かった」
男は回復魔法を掛けられながら、少年が聖女の訳はないか、と考え付いて、また苦笑を漏らす。
男のその笑いを見たリルの腕には鳥肌が立って、リルは思わず手を離した。