合意
リルの体全体から少し力が抜けて、ハルの胸を押す力も僅かに弱まる。リルの体を包むハルの腕が、輪を僅かに狭めた。
「でも・・・」
「・・・でも?」
「好きだからって、すぐ結婚って、おかしいわよ」
「そうかも知れないな」
「そうかも知れないって」
「私の常識では、まず家同士の同意があって交流がスタートする。それは結婚を前提としたものだ。そして特に問題がなければ交際開始になるが、交際前に婚約をするのが当たり前だからな」
「やっぱり、そうなのね」
「ああ。そして交際期間中に相手を好きになる」
「それって・・・好きになれない時はどうするの?」
「好きにならなければ、お互いに辛いだけだ」
「それはそうでしょうけど、それでどうするの?」
「だから、相手をお互いに好きになるのだろう」
「え?むりやり?」
「ああ。無理矢理にでも好きにならなければならないのだろうな」
「それでも、好きになれなかったら?」
「言っただろう?ただ辛いだけだ。それだけだ」
「そんな・・・」
「それなので、結婚してから浮気する事は基本的にはないし、浮気したりされたりする事は基本的に許されない」
「許されないって、女性が一方的にでしょ?」
「まあ、そうだが、だからと言って、男性が浮気し放題と言う訳ではない。法律で罰せられる訳ではないが、そう言う事のあった男性の回りには、良識のある女性は一切近寄らない。何故なら、次に巻き込まれるかも知れないからだ」
「それはそうよね。でも、それって罰としては釣り合ってないんじゃない?」
「そうだな・・・だが言って置くが、私は浮気はしない。リル以外の女性と破廉恥な事ももちろんしない」
「・・・そんな事、分からないじゃない」
「いや、分かる。私は父の正妻の事が、何と言うか、その、苦手だ。いや、苦手と言うか、はっきり言って、嫌悪していると言っても過言ではない」
「はっきり言ってって、嫌いって事?」
「まあ、そうだ」
「そう・・・それで?」
「ところがこれまで私の回りにいたのは、全て父の正妻と同じ様なタイプの女性なのだ」
「みんな同じタイプを目指して育つって言ってたっけ?」
「ああ。父の正妻を目標とする様な女性しか、私の周囲には存在しなかったのだ」
「そうなのね。でもそれは、ハルの世界の話でしょ?平民だったら私みたいな人、いくらでもいるから」
「その様な訳はないだろう?冒険者協会にいた女性達も、父の正妻と変わらないのではなかったか?」
「え?そう?」
「リルはそう言っていただろう?」
「え?私が?正妻さんの事知らないんだから、言ってないと思うけど?」
「いや。単に私の見た目に惹かれたとか、討伐した獲物の凄さに惹かれたとか、あるいは金を持っていそうだから近寄って来たとか、どれも変わらない」
「見た目って、前は髪や目の色、違ったんでしょ?」
「以前は父の地位を私が継ぐからと近寄って来たり、我が家の持つ財産が目当てで近寄って来たり、あるいは弟の方が有力だから、弟への足掛かりとして私に近寄って来たり、逆に弟より与し易いとして私に近寄って来たり、女性に限らないが、私の回りにはその様な者しかいなかった」
「・・・私も一緒かもよ?」
「リルは私を好きと言いながら、私とは結婚出来ないと言っているだろう?」
「それは、だって、そんな根性ないし」
「根性と言うのが私に合わせる事に対してなら、私がリルに合わせるから問題はない」
「だから、それはダメだってば」
「駄目ではないのだが、その事でもそうやって直ぐに私とは別れて、リルは別の道を進もうとする」
「だって、それは、仕方ないし」
「何が仕方ないのだ?」
「だって・・・」
「だって?」
「・・・分かって訊いてるでしょ?」
「理解が合っているかも知れないが、リルの口から正解を聞きたい」
「・・・言わない」
「何故?私が分かっていると思うなら、聞かせてくれても良いではないか?」
「そんなイジワルな事言う人に、絶対言わない」
「まあ、先程の私の言葉を否定しなかったのが、既にリルの答えではあるが」
「え?なんの事?」
「私とリルのお互いの気持ちが近付いて行ったから、リルが私と同じくらい、私の事を思ってくれていると言う事だ」
リルは拳で強めにハルの胸を叩いた。
「リル・・・リル?」
「・・・なに?」
「リルの御両親は愛し合っていたのだろう?」
「え?」
リルは顔を上げてハルを見た。
「リルはそう思うと言っていたな?」
「・・・うん」
リルは肯いて視線を下げるとそのまま顔を上げず、額をそっとハルの胸元に付けた。
「私の父も、私の母の事を愛しているのだと思う」
ハルの言葉にリルはまた顔を上げる。そしてハルと目を合わせた。
「推測だが父は婚約者時代に、母と心を通わせていたのだろう。その意味では正妻は可哀想な人だとは思う。だが父と母の愛を信じているからこそ、私はこれまで何と言われても、父の私への愛を信じて来られた。そして父が母を思う様に、尊敬する父の様に、一人の女性にだけ愛を捧げたいと思っているのだ」
「・・・ハル」
「リル。私は男女間の愛と言うのが良く分からない。だが愛と言うのは一人では育てられないものだと思っている。リル」
「うん」
「先程のプロポーズで結婚して欲しいと望んだが、もちろんリルに私と結婚して欲しいのだが、正しくは私との間に愛を育てて欲しいのだ」
「・・・ハル」
「リル。君の事が好きだ」
「・・・ハル」
「リル。私と一緒に愛を育ててくれないだろうか?」
リルは顔を伏せハルの胸に片頬を付ける。
「私で良いの?」
「もちろんだ。私にはリルでなければ駄目なのだ」
その言葉は、胸に付けていない耳に優しく届き、胸に付けた耳には包み込む様に響いた。
「うん」
リルは両手をハルの背中に回す。
ハルはリルを包む腕の輪を更に少し縮めた。




