タヤのダンジョンでのトラブル
「リル?」
心配で、黙っている事に我慢ができなくなったハルが、リルに声を掛けた。
リルは「ん」と返し、片目を薄く開く。
「もしかして、眠いのか?」
「ん~」
「眠いなら、横になった方が良い」
「ん~ん」
リルは小さく首を左右に振る。
そしてまた、リルは動かなくなった。呼吸はしているし、脈もちゃんとありそうだけれど、自分の鼓動なのかリルの鼓動なのか、ハルには今ひとつ判然としない。
「寝ているのか?」
「起きてる」
起きているのか、とハルは心の中で呟いた。いや、起きていて良いのだけれど。
リルに寄り掛かられて、ハルは落ち着かない。そして落ち着かない理由が、自分でも良く分かっている。
散々リルに破廉恥だなんだと言っていたのに、とハルは目を瞑って少し上を向いて、自分の気持ちを落ち着けようとした。上を向いたのはリルの匂いに、理性の箍が弾け飛びそうだったからだ。
「夕食を食べるか?」
そう言ったものの、ハルは熱魔法が使えないから、肉を焼くならリルに頼まなければならない。
外から木を切って来て、水魔法で乾燥させて、風魔法で換気をするのなら今のハルにも出来る。だが肉を焼く為に木に火を着けるのは、やはりリルの熱魔法を頼らなければならなかった。
リルが顔を上げてハルを見上げる。
「お腹、空いた?」
「あ、いや、そうでもないが」
何よりハルは、鼻腔に留まって薄まらないリルの匂いで、胸がいっぱいだったりしていた。
「もう少しこのままでも良い?」
そう言ってまた胸元に頬を付けてくるリルに、ハルは唾を飲み込んでから「ああ」と答える。
ハルは観念をして、リルの頭に自分の頬を寄せた。
「ダンジョンの中で治療したから、デメースの神殿とトラブルになって」
「ちょっと待ってくれ」
確かさっきはリルが自分に抱き付いた事に付いて話した所で終わっていた筈、とハルの眉根が寄る。まあ良いか。
「済まない。トラブルとは、何があったのだ?」
「神殿も、冒険者達の治療でお金を取ってるから」
「・・・取ってるから?」
「取ってるから、私と両親がダンジョン内で治療してしまったら、お客さんが減るでしょ?」
「客とは呼ばないだろうが、まあ、そうだな。だが、それがトラブルなのか?」
「さっきの話、治療が間に合う人は助けるけど、間に合わない人は見捨てるって言ったでしょ?」
「見捨てると言うとあれだが」
「でも、相手にしたら見捨てられたと思うし、その人の家族や友人にも、見捨てたって思われるから」
「・・・そうだな」
「うん・・・それでね?私や両親が見捨てても、その人の仲間が見捨てなければ、ダンジョンを出て神殿にケガ人やアンデッドになった人を運ぶでしょ?」
「・・・そうか」
「うん。神殿に運び込まれても手遅れで、結局は亡くなってしまうけれど、それを神殿は両親の所為にしたから」
「それでデメース神国を出る羽目になったのか」
「あと、デメースの貴族の子がダンジョンで死んだのも、両親の所為にされて」
「そうか・・・その者も御両親の治療が間に合わなかったのか」
「ううん。全然知らない人」
「え?リルやリルの御両親が治療したのではないのか?」
「うん。私も両親もダンジョンで暮らしていた訳じゃないから、時間を決めてダンジョンに入ってたし」
「それはそうだろうな」
「冒険者の治療は、午後から夜までが多いからね」
「その貴族はリル達がいない時間に、死亡したのか」
「うん。それはダンジョンへの入退場の記録で確かめられたんだけど、今度は、なんでダンジョン内にいなかったんだって責められて」
「そんな言い掛かりを貴族にされたのか」
「うん。そしたら神殿からの非難も激しくなって、ダンジョン内でわざと冒険者を死なせてるって言われて」
「わざと?」
「うん。お母さんも私も、聖浄魔法も使えたから」
「うん?清浄魔法ではなくてか?」
「うん。アンデッドに成り立ては清浄魔法で人間に戻るけど、聖浄魔法は効き目が強すぎて、アンデッド成り立てでも死んじゃうの」
「え?それだとアンデッドは、神殿に連れて行っても手遅れと言う事か?」
「うん。アンデッド化しても直ぐに清水で治療すれば、その後なら聖浄魔法でも助かるけどね」
「聖水はどうなんだ?」
「量の調整による。多ければアンデッド成り立てでも死んじゃうらしいから、見極めて使うのが難しいらしいんだよね」
「そうなのか」
「うん。それでね?ゾンビにまでなってたら、お母さんも私も、聖浄魔法を使うのよ。もう助けられないから。でもそれの事もわざと死なせてるって言われたの」
「いや、だが、そもそもゾンビになってしまったのなら、もう助からないのだろう?」
「それが、神殿の奥義なら助かるんだって」
「奥義?そんなものがあるのか?」
「そう言う話だけど。その時初めて聞いたし、どんなものなのかは今も知らないけど」
「だが、その様な手段があるなら、普段からそれを使うだろうから、知られていない筈がないと思うが」
「金額次第って事も考えられると思うけど?」
「・・・値段が高いから頼む者がおらず、知られていないと言う事か」
「そうかも知れないし」
ハルは口角を下げて、眉根も寄せた。リルに若返ったと評価されている顔に、皺が寄りそうになる。
「その後にスタンピードがあったのだな?」
「うん」
「そうすると少なくとも、その奥義はスタンピードには効かないと言う事か」
「あ、そうか。そうね。でも、対象人数が少数限定とかなら、分かんないわよ?」
「なるほど。そう言うものか」
「見てないから、分かんないけどね」
リルは片手を肩の高さまで持ち上げて、手のひらを上にして肩を竦めた。
「それから両親も私も、ダンジョンへの出入りが禁止されて」
「なんだと?それは、貴族が手を回したのか?」
「分かんないけど。それと両親は外で治療院もやってたんだけど、そこも襲撃されて」
「襲撃?怪我は?」
「みんな大丈夫。襲撃者達はいつも私より弱かったし」
「いつも?何度もあったのか?」
「ええ」
「その襲撃は誰の仕業だったんだ?」
「それも分かんない。犯人は脱獄しちゃったから」
「誰かが手を回したのか?」
「それも分かんなかった」
「・・・そうか」
「うん。それでさすがに危険かも知れないって、タヤを離れたんだけど、清水もポーションもデメース国内での販売が禁止されて」
「それは貴族の差し金だな?」
「分かんない。清水もポーションも、神殿の商売と被るし」
「商売って、まあ、そうか」
「それなので、デメースを出る事にしたの」
「・・・そうか」
リル達がダンジョンを離れた後にスタンピードが起きている事に、ハルは因果関係を感じたけれど、それをリルに向かって言う事はしなかった。




