万が一の予備
最初は「もっと強力なポーション」と呼ばれていたポーションが当たり前となって、ただ普通に「ポーション」と呼ばれる様になっても、男は臭いに慣れる事はなく、今も顔を蹙めていた。
その男の表情を見て、リルは苦笑しながら提案を口にする。
「魔法での肉体強化を試してみる?」
リルの言葉に男は「是非!」と力強く肯いた。
「これも魔力操作の1つだから、魔力壁を作る練習にもなるかもね?」
「それは期待が高まるな」
そう言う男の声が、先程までの表情とは全然異なって明るい事に、リルの顔には微笑みが零れた。
リルは男と両手を繋ぐ。
「あなたの足を動かしてみるから、力を抜いてて」
「了解だが、少し待ってくれ」
そう返して男は足を振らせて、左右の爪先を何度か打つけた。
「良し。力を抜けたから、始めてくれ」
「うん。自分の魔力と筋肉の動き、両方みててね?」
「了解した」
リルが魔力を流すと男の足の指は操られて、開いたり閉じたりをする。男は「おお!」と声を上げた。
「逆らってみても良いか?力を入れてみても?」
「良いけど?」
男の足指は閉じたまま動かなくなる。
「力はそれ程強くないのか?」
「そうかも。筋肉の出せる力よりは弱いかな?でも自分でやれば、もう少し力が出ると思う」
「最大が筋肉と同程度と言う事か」
「そんなものかな?でもそれでも、自分の体重と同じ重さは苦もなく運べるしね?」
「おお!なるほど。金属鎧を着て歩ける人間なら、かなりの重さまでいけそうだな」
「そうなのかな?あとは瞬発力?自分の体だけなら、重さ半分みたいなものだから、動かし易いと思う」
「そうなのだな。確かに騎士の中には、真似が出来ない速さで動く者がいる。あれは肉体強化を使っているのか」
「そうかもね。さあ、自分でやってみて」
「基本は魔力操作と同じなのだな?」
「ええ。肉体強化って言ったけれど、これは筋力強化かな?あと他に、防御力強化とかあるけど、そっちは魔力壁より難しいかも?」
「なるほど。その様なものもあるのか」
「私の感覚だけどね。あなたにとってはどれが簡単か、また違うかも」
「そうか。取り敢えず、筋力強化をやってみよう」
男はもう一度足の力を抜いて、目を開けたまま天上を見詰めた。
その様子を見てリルは、男の傍を離れる。そしていつもの様に男に背を向けて、作業を始めた。
上を向いていた男が、顔を倒してリルに話し掛けた。
「また知らない臭いがするが、今度は何を作るのだ?」
「解熱剤」
「・・・凄いな。君は薬を何種類作れるのだ?」
「う~ん、どうだろう?レシピは習ったけど、作った事のない薬も多いし」
「作った事がなくても、必要になったら作れるのか?」
「う~ん、旅の間は最小限のものしか作らないけどね。重いし」
「まあ、そうか。旅の間は何種類を作るんだ?」
リルは手を止めて、少し上に視線を泳がせながら、小首を傾げる。
「何種類だろう?低級ポーション、解毒薬、解熱剤、下痢止め、吐き気止め、咳止め、頭痛止め、震え止め」
「震え止め?」
リルは「うん」と答えて、男を振り向いた。
「体が震えてたら、薬の調合が出来ないでしょ?」
「なるほど。そうすると詰まり、震え止めさえ切らさなければ、他はなんとか出来ると言う事か」
「時間があればね。魔獣に追い掛けられてたり戦ってたりする最中には、作ってる暇ないし」
「まあそうだろうけれど、その様な時に解熱剤を作る必要はないのだろう?」
「魔毒の種類によっては、熱が出たりするのよ」
「そうなのか?」
「うん。余裕があれば解毒薬とポーションを使うけど、完全には直せなくても取り敢えず熱を下げないと、逃げるのも上手く出来なかったりするから」
「そうなのだな。知らなかった」
「そう言えばあなたはゴボウルフと戦ってたけど、失くしたバッグには解毒薬とかは持ってたの?」
「いいや。疲労回復剤などは持っていたが、魔獣と戦う為の準備は持ち合わせてはいなかった」
「一緒にいた人は?」
「持っていたかも知れないが、分からないな」
「そうなのね」
リルは視線を手元に戻して、「分かった」と声を出す。
「うん?何が分かったのだ?」
「あなたにも一通りの薬、渡すわね?」
「あ、いや、しかし」
「効果や飲み方は説明するけれど、もしかしてメモが必要?」
「あ、いや、どうだろう?何種類くらいあるんだ?」
「20はいかないと思うけど」
「薬の見分け方はあるのだろうか?」
「ビンには薬の名前を書いて置く。ただビンだから、読める様に用法まで書くのは難しくて」
「瓶に書く?そうか。今さら気付いたが、ポーションの瓶も君が作っていたのだな?」
「うん。土魔法で」
「皿や串もだよな?」
「うん」
「そうか・・・」
「どうしたの?」
「君は色々と魔法で解決させているが、冒険者は皆、君の様に魔法を使い熟している訳ではないな?」
リルは男を振り向いた。
「え?なんで?」
「私が知っている魔法使いには、君ほど多才な者はいない」
「・・・そう?」
リルはまた手元に視線を戻すけれど、手は止まったまま動かない。
「ああ。治療が終わったら君の事を忘れる様にと、君が執拗に繰り返すのは、私が君を利用しようとする事を恐れているのではないか?」
「・・・だったら?だったらなに?」
「いいや。礼も褒美も要らないと言う事に、やっと納得が出来た。確かにこれなら、忘れる事を約束させられる筈だ」
「・・・それで?」
「それで?それでとは?」
「あなたはどうする積もり?」
「命の恩人の望みを叶えるだけだ。リル殿の事は忘れるし、誰にも話す事はない」
「・・・もしどうやって助かったのか訊かれたら?」
「忘れてしまっているのだ。忘れたとしか言いようがないではないか?」
「そう・・・そう約束してくれるなら、良いわ」
「ああ、信じてくれ。だが、そうだな、1つ条件を追加しても良いだろうか?」
「え?・・・なに?」
「万が一、リル殿が私に助けを求めて来た時には、リル殿の事を思い出す事を許して欲しい」
「そんな約束、無理でしょう?私はあなたが誰だか知らないんだし」
「普通に考えたら難しいだろうが、それでも私を探し出したとしたなら、その時はリル殿はかなり困難な状況にあると考えられるだろう?」
「なによもう、ヤな事言うわね?」
リルは笑いを作って顔に浮かべ、男を振り返って体を向けた。
「まあ、万が一だよ。君は見ず知らずの私を助けたけれど、ヒーラーのクセとやらで、また誰かを助けるかも知れない」
「・・・それがなに?」
「その相手が君の力を知り、君を利用しようとするかも知れない」
「ホント、ヤな事言う」
「だから万が一だ。普通なら私みたいに君に感謝をするだろうし、普通なら命の恩人を利用してやろうなどとは思わないだろうからな」
「・・・そう。あなたの常識では普通、そうなのね」
「・・・君さえ良ければ、私は君の盾になる」
「そんなの要らない」
「ふふ、そう言うとは思っていたよ。君はなんの礼も要らないと言っていたけれど、それは詰まりどんな礼を貰うよりも、自分が自由である事の方が大切なのだろうと、私は考える様になったのだ」
「それは当たり前じゃない。お礼の振りして自由を奪うなんて、あり得ない」
「そうだな。君にはそうなのだろう。だがもし、君のその自由を邪魔する人や出来事に出遭ってしまったなら、その時は私の事を思い出してくれ」
「・・・それはなに?その相手の代わりに、あなたに捕まるって事?」
「もしかしたら私の用意した籠の中で、暮らしてもらう事になるかも知れないが」
「そんなの、イヤよ」
「そうだとは思うが、もしその籠が、君が普段の生活をする範囲より広かったなら、考えてみる価値はあるのではないか?」
「・・・万が一の話よね?」
「ああ、万が一の話だ」
男に真面目な表情を向けられて、リルは少し顔を伏せた。




