解毒薬の味
横になったままの男が、目を瞑って眉根を寄せている。男は自分の中に魔力壁を作る事が、なかなか出来ずにいた。
集中を解いて体の力を抜き、「ふう」と大きく長く息を吐く。
「大丈夫?」
リルは男を振り向きながら声を掛けた。
「私自身は大丈夫だが、魔力壁自体は全然だ」
「ちょっと、根を詰め過ぎじゃない?」
「しかし・・・他に出来る事もない」
「そうだけど、焦らないでのんびりとやった方が、上手くいくかもよ?」
そう言うとリルは自分の手元に視線を戻した。
男は目を閉じて、小さく呟く。
「・・・そうだな」
その後しばらくは拠点内に、リルが作業で立てる音のみが聞こえていた。
男は顔を倒してリルの背中を見詰める。そして首を傾げた。
「何をしているのだ?」
「薬作ってる」
「薬を?この臭いはポーションではないのだな?」
「うん」
リルはそこで言葉を切る。男はリルの邪魔になるかと思い、それ以上は声を掛けなかった。
しばらくしてリルが小さな声で「出来た」と呟いた。
「薬と言うのは何を作っていたのだ?」
「え?解毒薬よ」
そう言って笑顔で振り返るリルを見て、男は眉根を寄せる。
「解毒薬などと物騒な物を作って置きながら、君は随分と楽しそうだな?」
男の言葉にリルの眉根も寄るけれど、「そうか」と呟くとリルは苦笑した。
「解毒が必要な状況が、私とあなたで違うのね?」
「状況?」
「これは魔毒用の解毒薬。普通の解毒薬とは違うの」
「そうなのか?普通の毒薬には効かないのか?」
「う~ん?その人の持つ毒を分解する力を強める作用もあるから、効き目がない事もないと思うけど、でも毒薬専門の解毒薬よりは弱いでしょうね」
そう言ってリルは男の傍に来て座ると、解毒薬の瓶を傾けて、自分の指先に一滴垂らした。
「ゴボウルフに噛まれたから、あなたの体には魔毒が入ってしまってて、それを消すのにも使ったのよ。この臭い、覚えてない?」
そう言われて男はリルの手の甲を握り、リルの指を自分の鼻先に持って行った。
「いや、分からない。私に飲ませたのか?」
「うん。ゴボウルフの噛み跡に塗りまくったし、その後残りを全部あなたの口に突っ込んだわ。舐めてみる?思い出すかもよ?」
「これも不味いのか?」
「私としては、弱いポーションより不味くて、強いポーションよりはマシね?」
男はリルの指先を見て、リルを見て、もう一度指先を見てから口を開けて、解毒薬の載っているリルの指を咥えた。
「ひやぁ!」
「うわ!」
悲鳴と共にリルが指を引き抜くと、男も驚いて声を上げた。
リルは男から距離を取って、舐められた方の手を守る様に胸に抱いて半身に構える。目を細めて男を睨み、何度か深呼吸して動悸が少し落ち着いて声が出せる様になってから、リルは怒鳴った。
「なにすんの!」
「え?・・・え?」
「『え?』じゃないわよ!人の指舐めて!」
「あ、いや!違うのだ!」
「違わないでしょう!」
「いや!違うのだ!誤解なのだ!そうではないのだ!」
「・・・誤解?」
「そうなのだ!」
「もしかしたらあなたの常識では、女性に指を差し出されたら舐めなければならないとか?」
「いや!その様な常識がある筈はないだろう!」
「じゃあどう言う事なのよ!」
「いや、逆に、君の常識では、指を舐めたり舐められたりがするのが当たり前なのかと、考えてしまったのだ」
「そんな常識・・・ある訳ないでしょ?」
「その様だな。君の驚き様を見て、私もそう気が付いた」
「気付くの、遅いわよ」
「いや、全くその通りだ。誠に申し訳ない」
横になったまま、男が頭を下げる。
「たとえそうだったとしても、そこまで私に合わせなくて良いのに」
「いや、そうなのだが、少しでも君の事を理解したいとは思っているのだ」
「・・・治れば忘れるのに」
「まあ、そうなのだよな」
そう返して男が苦い表情を浮かべた。
その様子を見て、一呼吸置いてからリルは体の力を抜くと、舐められた手はまだ胸に抱えながらも、体の正面は男に向けた。
「油断した私も悪かったわ」
「いや、悪いのは私だ。申し訳ない」
「ううん。それで、指を舐めたり舐められたりしたら、あなたの常識では何かしなければならない事ってある?」
「しなければならない事とは?」
「密室に男女二人だと、離婚してでも結婚しなくちゃなんでしょ?」
「それで言うならば、指を舐める行為など、それ以上だ」
「それ以上?」
「あ、いや、この場合はそれ以下と言った方が正しいのか?」
「・・・それなのに?離婚以上なのにやったの?」
「いや、誠に申し訳ない。責任を取れと言うなら、喜んで取らせて頂く」
「喜んでってなによ?」
「あ、いや、まあ、私に出来る最大限の方法で、責任を取らせて貰う」
「・・・良いわよ。忘れてくれれば良いわ」
「・・・分かった。約束しよう」
「ええ、お願い」
「ちなみに、君の常識的にはこの様な場合、どの様な責任の取り方をするのだ?」
「二度と口を利かないとか、話し掛けられても無視するとか」
「・・・そうか。本当に、申し訳ない事をした」
「・・・でも、まあ、相手にもよるわ」
「そうか・・・今は私が君の患者である事に付いて、私は感謝しなければならないのだな」
男の声が本当に情けなさそうに聞こえて、リルは思わず「ふふ」と声を漏らした。
「それは嫌ってる相手ならよ?」
「嫌っている相手?」
「ええ。そんな事をして来る人って、それまでも私の意見なんか聞かずにしつこかったりするから、そう言う人と縁を切るチャンスに出来るでしょ?『最低!もう話し掛けないで!』って言って」
「君にはそんな経験が、あ、いや、失礼した」
「ううん。そう出来なかったから、言えた事はないけどね?」
肩を竦めてそう言うリルに、男は「そうなのか」と暗い声で返した。
それを上書く様に、リルは男の傍に座ると明るい声を出す。
「それで?解毒薬の味はどうだった?」
「味?」
「舐めてみて、どんな味だった?」
「いや、美味しかった、のかな?」
「え?」
男の答えにリルはイヤそうな顔を男に向けて、体を男から逸らした。
「美味しいって、あなた?どうかしてんじゃない?」
「あ、いや、咄嗟の事だし慌ててしまったので、良くは覚えていないのだが、少なくとも不味くは感じなかったが」
「ホント?もう一度舐めてみる?」
そう言ってリルはまた指に解毒薬を一滴垂らす。そして今度は男の手を取って、その指先に解毒薬を移した。
男は解毒薬を口に入れ、眉根を寄せる。
「不味くはないが、美味しくもなかったな」
「不味くないって、え~?」
リルは再び、男から体を逸らした。




