壁の基礎
横になっている男の額と胸に、リルは手を当てている。
男は目を閉じて、自分の中の魔力を感じていた。
「魔力の濃さが薄くなり始める所は分かる?」
「濃度の違いは分かるが、どこから薄くなっているのかは分からない」
「濃い所は魔力操作が出来るけど、薄い所は出来ないでしょ?魔力操作が出来にくくなる所があるから」
「ああ、それなら分かる。なるほど。確かに薄くなり始めているな」
「濃さが変わらないのがあなたの中。薄くなり始めるのがあなたの外。外にある魔力は散ってしまうから、これを漏らさない様にする必要があるの」
「ああ、納得だ」
「試しにやってみるね」
そう言うとリルは男の中の魔力を動かして、外との境の男の中に薄い壁を作る。
「どう?感じたでしょ?」
「ああ」
「こんな壁をグルリと作れば、魔力は漏れないんだけど」
「なるほど」
男から手を離すと、リルは床に絵を描く。
「はい、目を開けて、これを見て」
目を開けた男に、リルは床の絵を指差した。
「魔力の壁も魔力で作るのは分かった?」
「ああ」
「魔力濃度を上げる事で壁とする事も?」
「ああ、理解できている」
「いいわ。そしたらこれが少し難しんだけど、魔力の壁の魔力濃度は、外側が濃くて内側を薄くするの」
「うん?それは何故?」
「こうすると漏れにくくなるって教わったから」
「一律では駄目なのか?等質の壁では?」
「ね?私もそう思うけど、濃淡を付ける様に教わって、それしかした事がないから、ちょっと分からないのよね」
「なるほど。世の中には濃淡を付ける方法しかないのか」
「あ、いや、どうだろう?普通は魔力の壁なんて作ってる人いないし」
「そうなのか?」
「うん。魔力容量を増やせるって話だけど、魔力壁を作るのに苦労するらしいわ。魔力の漏れを防ぐのも、普通は中心に魔力を集める様にするらしいし。それに普通は魔力が漏れてもそれ以上に魔力を作れるから、壁がなくても問題にならないから」
「なに?そうなのか?」
「うん。あなたみたいな人は、初めて見たもの」
「それなら君は?君も魔力の壁を作ってないのか?」
「作ってるけど、確かに変ね?」
「変て、君も私と同じ体質なのではないのか?」
「・・・もしあなたと同じ体質の人がいたとしたら、その人は生まれて直ぐに魔力の壁を作らなければならない筈」
「生まれて直ぐ?」
「そうではないと、魔力の壁を作れる様になるまで、ずっと外から魔力供給しなくちゃならないでしょう?体力が奪われるし。お母さんのお腹の中では、お母さんから貰えるんだろうけど」
「なるほど。乳児にはその様な事をしないのか?」
「聞いた事はない。もしかしたら母乳にそう言う効果があるのかな?」
「もしも効果があるのだとしても、君がそれを知らないのは不自然ではないか?」
「それも、そうかも?」
首を傾げたリルは、忘れていた事を思い出すして、目を見開く。
「そう言えば、ねえ?ゴボウルフと闘う前に、他の魔獣と闘った?」
「他の?あの時か?」
「ええ。私が声を掛けた時は、周りにゴボウルフしかいなかったけど、あ?そう言えば、ゴボウルフの噛み跡しかなかったから、あの時じゃないのかも知れなかった」
「いや。人を相手に剣の訓練はしていたが、魔獣と戦ったのはあの時が初めてで、ゴボウルフ以外はいなかったと思う。まあ、ゴボウルフと言う名も知らなかったから、もしかしたらあの中に他の魔獣もいたのかも知れないが」
「でもあの時のあなたには、ゴボウルフの噛み跡しかなかった。人間相手の訓練でも良いから、魔法を使う相手と戦った事はある?」
「いや、ないが?」
「そうなのね」
「何かあるのか?」
「うん。ゴボウルフの噛み跡からあなたの体に魔毒が入ってたんだけど、噛み跡の数より魔毒の量が全然多かったの。質も違ったし」
「そうだったのか?だがしかし、魔獣に噛まれたのもあれが始めてだし、私は魔法が使えないから、魔法の攻撃を受ける様な訓練も受けさせては貰っていない」
「小さい頃も?」
「いや、ない筈だ。と言うか、あり得ないだろうな」
「覚えてないだけではなくて?」
「いや、あり得ない」
「そう・・・」
「他に魔毒が入る可能性はないのか?」
「食べ物とか?」
「それもあり得ないな」
「そうよね。普段は毒見して貰ってるんだもんね」
「あ、いや、それは、まあ、うん」
「後はあるとしたら、あなたが魔毒を作る場合だけど」
「そんな事があるのか?」
「分からない。聞いた事はない。魔草って知ってる?」
「ああ。見た事はないが」
「この辺りにも生えてるから、見てるとは思うけど」
「そうなのか?」
「うん。それで魔草の中には種が凄く小さいのがあって、間違って体の中に入って芽が出る事があるんだって」
「そうなのか?」
「話にしか聞いた事ないから、本当かどうかは分からないけどね?普通は体に入っても消化されちゃうし。でも芽が出ると、人の魔力を吸って体内で魔毒を作る事があるらしいの」
「では私の中に魔草が?」
「ううん。あなたの体の中には、魔草も魔樹も魔獣も寄生してなかったわ」
「魔獣?魔獣が寄生なんて、あり得るのか?」
「それも聞いただけだけど、体に噛み付いた小さな魔獣が傷に隠れてるのに気付かなくて、被せる様に治療しちゃうと、体の中に魔獣が住み着いちゃうって」
「そんな話、聞いた事がない」
「だから治療する時はちゃんと確認しなさいって教わるから、起こらないし、知られてないんだと思う」
「そうか。ヒーラーには常識だけど、と言う事か」
「ヒーラーと言うか、治療に携わる人には常識だと思うけど・・・どうだろう?」
「どうだろう?」
「あ、ううん。実際には見た事も聞いた事もないから、みんなちゃんと気を付けてると思う。大丈夫」
「まあ、そうだろうな。それに付いては心配しないで置くとしよう」
「でも、そうすると、やっぱり、あなたの中にあった魔毒の量は、説明出来ないんだけど」
「魔力がないと言われていた私の魔力容量が多いと言うのと、何か関係があると言う事か?」
「あるの?」
「私が訊いているのだ。あるのだろうか?」
「そうね・・・ある気もする。分からない事がたまたま2つも一緒にあなたに起こったと考えるより、何か1つの原因で2つの症状が現れているって言う方が、可能性が高いよね?」
「そうだな」
「でも、その原因がなんだか、私には分からない」
「そうなのか」
「うん。魔毒、消し切っちゃったから、手掛かりもなくなっちゃったし」
「それは、仕方がない」
「うん。ゴメンね?」
「あ、いや、仕方がないとは言ってしまったが、私を助ける為には必要な事だったのだろう?」
「分からない。もしかしたら他の方法でも、あなたを助けられたかも知れない」
「そうかも知れないが」
「原因が分かった方が正しい治療が出来るのは当然なのに、症状への対処を優先してしまったから」
「いや、それで良い。君は正しかったし、そのお陰で私は助かった。そもそも君が助けてくれなければ、私は助からなかったのだから、君は間違っていない」
「でもあなたはまだ助かったとは言えないじゃない?魔力漏れがなくならない限り」
「大丈夫だ。やり方は教わったし、理解した。私はつい先日まで、魔力を感じられなかったのだぞ?素晴らしい進歩ではないか?」
「ええ。優秀だし魔法のセンスもあるわ」
「先生が良いからな」
「・・・先生って、私?」
「もちろんだ」
「そんな、私が先生なんて」
「師匠の方が良いか?」
「え?止めて」
「では先生で。教師も医師も先生と呼ばれるのだから、構わないだろう?」
「いえ。調子に乗りそうだから、これまで通り、リルか君で良い」
「私の先生は謙虚だな」
「もう!止めて!」
リルはそう言うと男に背を向ける。
見えなくなる直前のリルの顔が、恥ずかしがっていると言うよりは本当に嫌がっている様に見えたので、何かあるのかも知れないと思って、先生呼びをしない事を男は心に留めた。




