魔力の移動
「まだダメなの?」
リルの質問に、横になったままの男は首をゆっくりと小さく左右に振った。
「それはどっちなの?ダメなの?大丈夫なの?」
「・・・まだ臭い」
男は弱々しい声でそう応える。
「自分の息が臭くて堪らないから、しゃべらなくても良いだろうか?」
「そんな事はもうない筈だけど。やっぱり、止めておけば良かったわね」
男は弱く首を振る。その様子を見てリルは苦笑いをする。
「せっかくだから、ちゃんと自分の魔力を感じて置いてよ?」
男は小さく2回肯いた。
「でも、まだあなたの魔力、容量いっぱいにならなかったわ。どれだけあるんだろう?」
男は小さく左右に首を振る。
「ちょっと回復魔法、掛けるね?」
リルは男の額と胸に手を当てて回復魔法を弱く撃つ。
「ぁn」
「え?」
男にはそぐわない声に驚いて、リルは手を離した。
「大丈夫?」
「あ、いや、大丈夫だ」
「そう?続けるわよ?」
「ああ、頼む」
リルはもう一度、回復魔法を弱く撃つ。男はピクリと体を震わせたが、今度は声を出さなかった。
「う~ん、やっぱりまだ、魔力の回復にばかり持って行かれちゃうな」
「それは、つまり?」
「つまりまだ、いつになったらあなたの体力が回復するのか、分からないって事」
「もう大分体を動かせる様にはなって来てはいるが?」
「そうね。でも筋力は大分落ちてしまうだろうから、このままだと治った時には立ち上がれなくなってるかも?」
男は手を持ち上げて手のひらを見て「そうだな」と呟くと、その手で顔を覆ったけれど、直ぐに「臭い」と言って手を離した。
「手に零してもないから臭い訳ないし、清浄魔法を掛けたから、もうどこにも臭いは残ってない筈なんだけど」
そう言ってリルは男の手を取ると、自分の鼻に持って行った。
「ほら?」
少し不機嫌な顔をリルに向けられて、男ははっと我に返ると手を引っ込めた。
「息だって」
そう言って顔を近付けて来るリルの肩を手で止めて、男は反対側に顔を逸らした。
「いや、もう、鼻の中に臭いがこびり付いているのかも知れないな、うん」
「そう?私の手も臭く感じる?」
そう言ってリルは逸らした男の顔を手で覆って来る。その手首を掴みながら、男は目を閉じて息を止めて、口だけで「大丈夫だ」と答えた。
リルの手を押し返して、男はリルを向く。
「それより何か、気が紛れる事はないだろうか?」
「気が紛れる?何かって?」
「自分の中の魔力を感じる様に集中していると、どうしても臭いが気になってしまう」
「集中出来ないの?」
「いや、集中すればするほど臭う様に思える。もしかして私の魔力が臭いのか?」
リルはふっと笑った。
「魔力自体には臭いも味もない筈よ?感じた事ないし」
「魔力がないと思われていた私の魔力は、特殊だとか?」
「あなたの魔力からも臭いは感じないけど」
「・・・命の恩人にこんな事を言うのはなんだが、君の鼻は当てにならないのではないか?」
「それを言ったらあなたの舌も当てにならないわよ?」
「そうだな。これに付いては2人で言い争っても、結論は出ない」
「そうね。それで?こうやって話してても、自分の魔力は感じられてるの?」
「ああ。臭いと共に」
男の真面目な表情が、「臭い」と言う時には少し歪む。それを見てリルは笑いを漏らす。
「そうなのね。臭いはどうでも良いけど、それなら魔力操作で魔力を動かしてみる?」
男は顔に喜びを表した。
「是非、教えて貰いたい」
その顔を見てリルは更に笑みを深めると、「ええ、喜んで」と応えた。
リルは男の両手を握った。
「私が魔力をどっちの手から流したか、当ててね?」
「分かるものなのか?」
「ええ。あ、自分の魔力を感じながらね?」
「分かった」
「では、やるわよ?」
そう言いながら、リルは魔力を流さない。
男は眉間に皺を寄せながら、思案する様に目を動かした。リルの魔力を感じない男は、しばらくすると集中する為に目を閉じた。
それから2拍置いてリルが魔力を流すと、男はビクリと片腕を縮める。腕には鳥肌が立っていた。
「こちらだ」
目を開けて答える男に、リルは「正解」と笑って応えた。
「反対側も流すね?」
男が応じるより先に、リルは魔力を流す。開きかけていた男の口から「はぅ」と小さな声が漏れた。再び男の腕には鳥肌が立っている。
「感じた?」
「ああ。今度は直ぐに分かった」
「さっきも直ぐに分かってたけど?」
「・・・直ぐに流さず、時間を置いていたのか?」
「もちろん」
嬉しそうに笑うリルに、男は苦笑いを返す。
「でも、かなり敏感になったよね?」
「そうなのか?」
「うん。あなたが最初に自分の中に魔力を感じた時は、波立たせる為にこれくらい」
男が素早く両腕を縮め、リルから手を放した。
「流していたのよ?」
男の様子を見たリルの言葉は、笑いに揺れていた。
「くすぐったかった?」
「かなり」
「そうよね?私も良く母に・・・」
「母君に?」
「あ、ううん。なんでもない。ゴメンね?」
「あ、いや」
「それでね?自分で魔力を動かしても、そんな感じになるの。自分でやるからくすぐったくはないけどね?」
「なるほど」
「くすぐらないから、もう一度、手を貸して」
「あ、ああ」
「ゆっくりと流すね?」
「ああ。ああ、確かに」
「自分の魔力が動くのを感じる?」
「ああ、感じる」
「やっぱり、かなり敏感。こんな風に魔力を自分で押せれば、魔力操作の初歩が出来た事になるから、やってみて」
「やるにしても、押し方が分からないのだが?」
「それはそうよ。でも、あなたも生まれた時には、何も出来なかったでしょう?でも今は、今は立てないけど、治れば歩けるし、走れるし、今も喋れる」
「ああ、そうだな」
「何が切っ掛けになるかは分からないけど、魔力を認識出来たのだから、あなたにも魔力操作は出来るわ」
「分かった。やってみよう。ちなみに君は、どれくらいで魔力操作を出来る様になったのだ?」
「小さい頃だから、覚えてない」
リルの声の調子が少し下がる。
親の話や子供の頃の話はリルにはしない様にしよう、と男は心に留めた。
「そうか。とにかくやってみる」
そう言うと男はまた目を閉じる。
リルはその表情を見て、クスリと笑った。
「臭いを追い払う様にしたら、上手くいくかも?」
「せっかく臭いのを忘れていたのに、思い出してしまったではないか?」
目を開けてリルを睨む男に、リルは笑顔を向けた。




