常識
リルは男の頭の傍に座り、仰向けに寝たままの男にバンザイをさせて、リルは両手で男の両手をそれぞれ握る。
男は反射で腕を縮めた。
「どうしたの?手を伸ばして」
「いや、今の格好は?」
「両手から魔力を流し込むから」
「私の手を握るのか?」
「え?そうだけど?」
「いや、うら若き女性に男の手を握らせるのは、少し」
リルは男の手を取ろうと伸ばしていた腕を下ろす。
「・・・何言ってんの?」
「いや、それは、分かっている。既に肌にも触れられているので、今更なのは分かっている」
「・・・分かってないじゃない」
「いや、それでも命を助けて貰う治療の為と、魔力操作を学ぶだけの為とでは、やはり意味合いが違うのだ」
「・・・魔力操作が出来なくてもポーションを飲み続ければ死なないけど、その事ではなくて、『うら若き女性』って何?」
リルは声を低くして男に尋ねた。
「私が男だったり、お婆ちゃんだったら良いの?」
「あ、いや」
「前にも『うら若き女性』って言ってたよね?」
「いや、そうだったか?」
「私が女で、まだ少女みたいだから、ダメだって言うんだ?」
「いや、違う。そうではない」
「違わない。信用できないって言うんでしょ?」
「いいやリル殿。私はリル殿を信じていると言った筈だ」
「口ではそう言っても、咄嗟に行動に出てるじゃない?」
「いや・・・だが・・・そうだな」
男は胸に片手を当てる。
「リル殿に不快な思いをさせた事は謝罪する。申し訳なかった」
男は仰向けに寝たまま頭を下げた。
「別に良い」
リルの突き放した言い方に、男は首を左右に振る。
「そう言わないでくれ。私の常識では、未婚の女性の肌に直接触れる事は、それが指先でも破廉恥な事なのだ」
「ハレンチなんて・・・そうなの?」
「ああ。それなので、手を握ったり私に触れたりするのには、手袋をして貰えないだろうか?」
「確かに手袋は持ってるけど、あれは魔力を通さない為の物だから、今は使えない」
「そうなのか?」
「うん。それに未婚って、私が結婚している筈がないと思ってるのね?」
「え?!」
男は体を捻って半身を起こした。
「リル殿は既婚者だったのか?!」
「いえ」
「いえ?」
「結婚してないけど、あなたにはそんなに幼く見えてるのね?」
「あ、いや、違うのだ」
そう言いながら男は体を戻し、リルも男が横になるのを助ける。
「考えてみれば、今もこうしてリル殿に、素手で触れられているのだったな」
「考えてみるまでもないでしょ?」
「ふっ、そうか」
男は仰向けになって、苦笑いをした。
「私の常識では、既婚女性でリル殿の髪型はあり得ないのだ」
「そうなの?ダンジョン探索の為に、短くしてるからね」
「そうだったのか。私から見ると、それは少女の髪型で、だからこそリル殿をまだ幼いと決め付けてしまったみたいだ」
「・・・そうなのね」
「それはそれとして、リル殿が幼いからとか少女だからとか思って、信用していない訳ではない事は信じて欲しい。私はリル殿を信じている。本当だ」
「幼いとか少女とかは気になるけど」
「いや、しかし、年頃の女性だと思ってしまうと、私はいたたまれない」
「あなたの常識的に、ダメなのね?」
「絶対に駄目だ。この様な密室に未婚の女性と二人きりなど」
「許されないの?こうなったらどうするの?」
「赦される筈がないし、責任を取って結婚するしかない」
「え?男性が既婚だったら?」
「離婚して責任を取る事になる」
「え?奥さんがそれを許すの?」
「妻は、夫に浮気をさせてしまった事への責任を取る事になる」
「え?浮気させてしまったってなに?非道くない?奥さんは被害者でしょ?」
「いいや。私の常識では妻も加害者なのだ。妻としての責任を果たしていないと判断される」
リルは言葉に詰まった。
説明した男も、リルが納得出来ないのであろう事は感じていた。
「・・・それなら、もし、奥さんが浮気をしたら?」
「・・・救われない状況が待っている」
「その時、旦那さんは?」
「・・・罪を問われるかどうかなら、夫には咎めはない」
「・・・非道くない?」
「ああ。こうして口にしてみると、非道いな」
「口にするも何も、そんなにアンバランスで不公平なら、女の人は結婚したがらないんじゃないの?」
「そうだな・・・本音はそうなのかも知れない」
男が片手の甲を額に当てる。
リルはその様子を見下ろして、小さく息を吐いた。
「あなたはどうするの?」
「どう、とは?」
「奥さんは?」
「いや。私は結婚はしていない」
「え?もしかして、別れたの?」
「は?いや、未婚だ」
「もしかして、結婚しない主義なの?」
「そうではないが、私にはまだ婚約者もいない」
「そうなの?これから結婚するの?」
「まあ、そうだな」
「と言う事は、この状況がバレても問題ないって事じゃない?」
「いや、問題あるだろう?と言うか、人に知られなくても充分に問題だ」
「そう?だって、奥さんがいないのだから、離婚はしなくて良いんでしょ?」
「それは、まあ、結婚していないのだからな」
「責任取るって言っても、治療の為だし」
「治療と言っても、状況が状況だ」
「私は平民だから、責任対象にはならないんじゃない?」
「いや、そんな事はない」
「最初の頃にも言ったけど、私はあなたを直したら、あなたの事は忘れて旅を続けるから、全然問題ないんじゃない?」
「いや、しかし」
「密室に二人きりでも、何も起こる訳がないし」
そう言われると男は言葉が出ない。
「でも、あなたはまだ結婚してなかったのね?」
「・・・ああ。していると思われていたのか?」
「だって、それなりの歳なんでしょ?」
「それなりの歳?いや、君よりは上だろうが、まだそれ程の歳ではないぞ?なぜそう思うのだ?」
「だって、顔が老けてるし」
「え?顔が?」
「だから、子供はいると思ってたわ」
「え?私の事を君は、その様に思っていたのか?」
「ええ。お父さんが死んだら子供が可哀想だって思って、あなたの事を頑張って治したんだから」
「・・・そう言われると、私は自分の老け顔に感謝すべきなのか?」
「そうかもね」
「しかし、顔が老けているなどと、初めて言われたぞ?」
「それは、だって、あなた、実は偉いんじゃないの?」
「それは、まあ、それなりに」
「でしょ?偉い人に老け顔だなんて、周りの人は言えないんじゃない?」
「・・・君には言われたが?」
「だって私はあなたが偉い事を知らない訳だし」
「まあ、そうして接して貰った方が私も気楽で良いし、今の立場からするとそうして貰うしかないのもあるが」
「だから、素手で触っても良いでしょ?あなたもこの場の事を忘れれば良いんだから」
「いや、しかし、それでは恩が」
「私に恩を感じるなら、早く魔力操作を覚えて、早く私に旅を続けさせて」
「それは・・・そうだな」
「そして、私の事も忘れて」
リルの言葉に男は応えられなかった。
その様子を見下ろしながらリルは、顔は老けてるけど肌や体は確かに若いな、と思って小さく肯いた。