その時の状況
腕を痛めた男が医務室に運ばれて行って室内が落ち着いてから、別の男がハルを尋ねて来た。
年配のその男もハルの事を知っている筈の人物だ。
ハルと男は丸テーブルを挟んで向かい合って座る。
今度の男もハルの正体には気付いていなかった。
「君に幾つか質問があるのだが、答えて欲しい」
「私も訊きたい事がある。それに答えてくれるなら」
「分かった。私が答えられる質問には答えよう」
男はあっさりと肯いた。
「しかし私は職務で君に質問をするのだ。私の質問に先に答えて欲しい」
男の言葉にハルは「分かった」と肯いた。
本当なら真っ先に、リルの事を訊きたい。けれど男のする質問から読み取れる情報もある筈だ。そこから今の状況を少しでも把握して、リルに危険を近付けない様に進めたい。
「では、まず、あの部屋で起こった事を訊きたい」
「あの部屋とは、私が男性と2人で入った部屋の事だろうか?」
「そうだ」
「いいや。それが全く覚えていないのだ」
ハルは惚ける事に決めていた。
「全く?隠すと君の為にはならないぞ?」
「分かっている。この後、私から質問をさせて貰おうと思っているのだ。だから私も正直に答えている。あの部屋に入って席に着いた筈だ。だがその辺りからもう覚えていない」
「入って直ぐに壁が壊れたと言うのか?」
早速、新たな情報が出た。
「壁が?あの部屋の?壊れたのか?」
「ああ」
壁が壊れたのなら、壊したのはリルだろう。誰がと訊くと得られる情報が絞られていってしまう。
「私とあの男性は、その壁の下敷きになったのか?」
「君は違うが、彼はその様だ」
「あの男性は無事なのか?」
「重体だ。瓦礫に当たって大怪我をしたらしい。まだ意識がない」
「そうか。それだから、あの部屋で何があったのか知りたいのだな」
「そうだ。君は壁が崩れた事も知らないのだな?」
「ああ」
「それなら魔法で作ったと思われる壁の中に、君が閉じ込められていたのも知らないか?」
「知らない。あの男性に閉じ込められていたのか?」
「いいや。彼にはあの魔法は使えない筈だ」
「そうなのか?どんな魔法なのだ?」
「床材を薄く引き延ばし、君の体をすっぽりと覆っていた」
「それなら私かも知れない。私はその魔法を使える」
「え?君が?」
「ああ。まだ魔力が戻っていない様だから直ぐには見せられないが、土ドームと言って土魔法の1つだ」
「もしかして、魔獣を倒す時にも使っていたのか?」
「ああ。休憩する時に土ドームで安全な場所を確保する。魔獣にもなかなか壊されない」
「確かに堅過ぎて、撤去が困難だったそうだな」
「それは申し訳なかった。しかし私が大した怪我ではなかったのは、土ドームで自分を守ったからなのだな」
土ドームはリルが作った筈だと思いながら、ハルはそう言った。
「それが実は、良く分からないのだ」
「どう言う事だ?」
「その、君と一緒に来たリルと言う少女も、その土ドームの中に閉じ込められていた」
「リルが?だがリルは隣の部屋で待っていた筈だ」
「そうなのだ。そして目撃情報からは、隣の部屋との壁を壊したのは彼女だと思われるのだ」
「え?何故?」
「いや、分からない」
「え?リルは何と言っている?」
「いや。まだ彼女には話を聞けていない」
ハルは体に入っていた力を少し抜く。少なくともリルは生きている。しかし・・・
「リルも意識がないのか?」
「彼女は壁を壊したので、犯罪者として収監されている」
「え?犯罪者?どうして?」
まあそうなるな、とハルは思ったけれど驚いて見せた。
「王宮の壁を壊したのだから、それなりの罪になる」
「そんな。何故壁を?」
「犯罪者となったので所管が異なり、我々はまだ話を聞く事が出来ていない」
「所管の人から話は?」
「いま、所管の人間は忙しくて、手が回らないそうだ」
「忙しい?王宮の壁が壊された事件より、優先される事があるのか?」
「魔獣が王都に出たのだ。その後始末に借り出されているのだろう。犯人はもう捕まっているのだし、壁の破壊の件は優先順位が下げられている筈だ」
「それもそうか」
王都内の魔獣は倒し切っていたので、ハルに取ってはもう終わった事であり、素でそう思っていた。
「いや、待ってくれ。リルが壁を壊したのなら、リルが一緒に土ドームに入っているのはおかしいではないか」
「そうなのだ。我々もそれが分からない。目撃情報では君達が隣の部屋に移った後、彼女はジッと壁を見ていたそうなのだ」
「壁を?」
やはりリルは探知魔法を使っていたのだろうと推測しながらも、ハルは分からない振りでそう返した。
「ああ。それでしばらくしてから壁が壊れて穴が開き、その穴を彼女が通り抜けた」
「それで?」
「後は部屋にはカップが2つ落ちていた。お茶を飲んだ記憶はあるか?」
「いや分からないが」
ハルはお茶を出された事を覚えていたけれど、このまま何も覚えていない振りを続けた方が情報を引き出せそうなので、惚け続ける事にする。
「だが今の話では、リルが壁を壊したのかどうか、分からないではないか」
「それはそうなのだが」
「それにリルが壊したとすると魔法を使った筈だが、王宮の壁はそんなに簡単に壊せるのか?」
「いいや。魔法に耐性を持たせているから、壊すのは簡単ではない筈だ」
「そうだろうな。そして私は土ドームを作った覚えがない。土ドームはリルも作れる。つまりリルが私を守る為に、土ドームを作ったと考えるのが自然だ」
「そうなのかも知れないが、何から君を守ると言うのだ?」
「あり得るのは魔獣だろう」
ハルにはその時の状況が正確に把握出来ていた。
しかし壁を壊したのがリルではない事に出来るかも知れないので、その線で話を進める。
「何?魔獣?」
「リルは魔獣の気配を感じられる」
「索敵魔法か?」
「ああ、その様なものだ。それなので、魔獣の気配を感じて探っていたのだろう」
「壁を見詰めてか?」
「ああ。そしてあの部屋で魔獣が行った攻撃で壁が壊れ、私と男性が気を失う。そこにリルが私を助ける為に飛び込んで来た」
「魔獣は?」
「リルが倒したのなら魔獣の死体が残っていた筈だ。それが見付かっていないのなら、逃げたのだろう」
「なるほど。だが王宮内に魔獣が入り込んでいたのなら大問題だ」
「壁を壊した容疑者として捕まった時、リルは何か言ってはなかったのだろうか?」
抵抗をして怪我をしたりしていなければ良いけれど、とハルは心配になる。
「いいや。土ドームを壊して2人を掘り出した時、彼女も意識がなかったそうだ」
リルがハルを助ける為に、魔力枯渇に陥っていた可能性が高まる。背中に冷たい汗が流れた。
「頼む!彼女が無事か確かめてくれ!」
「あ、ああ。分かった。確認してみよう」
「よろしく頼む!」
ハルは立ち上がって頭を下げる。
シャツが背中に貼り付いた。