意識を戻す
物音でハルの意識が戻る。リルではない。まだぼんやりした頭にその結論が浮かぶと、ハルの意識はしっかりと覚醒した。
体を起こそうとしてバランスを崩す。下が柔らか過ぎ、突いた手のひらが想定より沈んでいた。
「あ!目が覚めたのね」
女性の声に振り向くと、やはりリルではない。それは声でも分かっていたし、その前に気配でもハルは気付いていた。
「いま、お医者様を喚ぶから、横になっていて」
女性はそう言うと扉の前に立つ兵士に声を掛け、扉を鍵で開けて貰って扉を潜る。その扉の先にも兵士と扉が見えた。
ハルは横になりながら、周囲を見渡す。そしてこの場所が、貴族の容疑者を軟禁する為の部屋だと気付いた。
身元が知られたのだろうか?確かに自分が誰だか気付かれた。
しかしナイフを投げられた。あれはあの場で亡き者にしようと判断したのだろう。そしてそうなのであれば、この様に軟禁するのは整合性が取れない。
それに正体が知られているのなら、今のメイドの態度もおかしい。もっと慇懃に接するか、逆に蔑みを漏らすかする筈だ。
扉を守る兵士もそうだ。あの様に弛んだ雰囲気にはならないだろう。
ハルは今の状況を把握する為に、気を失う前の状況を推測し、その後に起こった事を推理しようとした。
自分は咄嗟に肉体強化を使ってナイフを避けながら、土魔法で盾も作ってしまった。それの所為で魔力枯渇を起こしたのだろう。それだからそこまでしか、記憶がない。
それを踏まえて、先ずはリルに付いてだ。
リルは隣の部屋にいた。きっと探知魔法で様子を把握していただろう。
そうするとナイフが投げられた事も、リルは気付いた筈だ。
問題はその後だ。
自分が今、どれ程の魔力があるのか、正直分からない。だが体調は良さそうなので、体力はかなりある。そうすると体力を削って魔力を作る状態は抜けている筈だ。
これはきっと、リルが直ぐさま治療してくれたのに違いない。
だがそうすると、この場にいないのはおかしい。意識が戻るまで傍を離れるとは思えない。
リルが治療をした上で、この場にいない状況はあり得るのか?あるとしたらどの様な事が起こったのか?
ハルの心に不安が広がる。
ハルは一心に考えた。本当は次にナイフを投げた男の事も考える積もりだったけれど、ハルはリルの事だけを考えていた。
医師が来て、一通りハルを診察した。
特に異常がないとの診断で、ハルはベッドから出る事を許可される。
しかし、部屋から出る事は許されなかった。
また、医師が治療をしたのかと尋ねると否定された。ハルは意識を失った状態でこの部屋に運び込まれたが、特に治療は施されていないとの事だった。
ハルはリルが魔力枯渇を治療した事を確信する。
そしてそれと共に、リルがハルを守って怪我をしたりしていないか、心配になった。
もしかしたら、自分を助ける為にリルが魔力枯渇に陥ったのかも?そう考えるとハルの心に焦りが浮かぶ。
落ち着け、とハルは思う。焦りに気を取られている場合ではない。リルが危険な状態かも知れないのなら尚更だ。
ハルは自分の身元が知られていない事から、一緒にいた男に何らかのトラブルがあった事を想定した。男が無事なら、リルがハルを治療するのを黙って見逃すとは思えない。邪魔をするならリルが対抗するだろう。そしてリルなら男に勝てる筈だ。だが、リルが怪我をしているかも知れない。
そして男の身に起きたトラブルの中には、男の死も考えられた。もしリルに手を汚させていたなら。そう考えるとハルは胸が痛い。その様な事実があるなら、リルの心は傷付いているだろう。今も苦しんでいるかも知れない。
守ると言ったのに。
ハルは今後の自分の言葉や選択で、更にリルに危険が迫る可能性もある事から、くれぐれも言動に注意する事を自分に言い聞かせた。
診察が終わると食事が出された。
毒の事がハルの頭を過ったが、殺す積もりなら意識がない時にいくらでもチャンスはあった筈だ。
そう考えて、体調を完璧にする為にも、ハルはしっかりと食事をした。ハルが満足するまで料理が追加されたのはラッキーだった。
でもハルはやはり、リルが焼いた肉が食べたかった。