交渉
「あなたはオフリーで下級ポーションを作っていましたね?」
牢の中に箱を運んだ男がそう尋ねるが、リルは答えない。
「調べは付いているのです。あなたは濁った、低級ポーションと呼ばれる物を商店に卸していた。そうでしょう?」
「知らないわ」
黙秘は肯定と取られそうなので、リルは否定を口にした。
「これはあなたに取って悪い話ではない。私はあなたの味方ですよ?リル?低級ポーションを作って下さい」
そうしたら牢から出してくれるのかと考えたが、それを訊いたらポーションを作れる事を認めた事になる。それにそもそも、この男に牢から出して貰う事が、ハルの不利益に繋がるかもしれない。
そう考えてリルは、男に何も返さなかった。
「作ってくれれば、あなたは生き延びられる」
「・・・作れなければ、私を殺すって?味方じゃないのね?」
「そうではないですよ。あなたが本当に聖女でも、水や食事は必要でしょう?」
オフリーの聖女とされていた方が良いのかどうか、リルには判断出来なかった。それなので、その部分は否定しない様に注意する事にする。
「低級ポーションを作ってくれたらその報酬に、水と食料を持って来ますよ」
「水と食料はこっちで運ばせるぞ?」
牢の外で鍵を持つ男が口を挟んだ。
「水とか止めて死なれたら、面倒な事になる」
「黙ってて貰えます?」
箱を運んだ男が、鍵を持つ男を振り返って睨む。
「え?死んでも良い事になったのか?」
「黙って」
箱の男に睨まれ続け、鍵の男は口を閉じた。
箱の男がリルを振り向く。
「後ろにいるあの人は、リルをここに閉じ込めている人達の仲間です。あなたが死んでも良いと思えば、水を運ぶのを止めるでしょう。殺そうと思えば毒入りを持って来るかも知れない。でも私は違います。あなたにポーションを作って貰う事で、私は利益を得られる。あなたが死んだら利益を失う。つまり私はあなたに死なれては困る。ね?どうです?これなら私を信じられませんか?」
箱男もここに来る事にはリスクがある筈。そのリスクを背負ってもポーションから得られる利益を手にしたいと言う事だろう。それならリルがかなりの要求をしても受け入れる筈。
「私と一緒にいた男性次第」
「リルと一緒に魔獣を倒していた男性ですか?」
「ハルとか言う?」
箱男は振り向いて、鍵男を睨んだ。
「ハルに会わせて」
箱男はリルに向き直り答える。
「それは無理ですね」
「ハルと相談してからでなければ答えない」
「相談?」
箱男は首を傾げながらそう言うと、鍵男をまた振り向く。
「なんだ?」
「2人が遣り取りしたり出来ますか?」
「いや、無理だろう?」
「だそうですよ」
箱男はリルに向き直ってそう返した。
「そう」
リルがそう言って、それ以降何も言わないので、箱男は焦れる。
「あの?他の事で何かありませんか?」
「ない」
「そう言わず。あ、食事にデザートを付けるのはどうです?それともお酒が良いですか?」
「そんな事、できるのか?」
鍵男のその言葉を箱男は無視した。
「寝具を運ばせましょうか?着替えも要りますよね?」
箱男の言葉をリルは無視する。
「編み物はどうです?牢の中は暇ですよね?本は読みます?」
「要らないから」
いつまでも止めなそうなので、リルは口に出して断った。
「あなたよりポーションを高く買ってくれる人が現れたら、その人から貰うから」
箱男は自分の失敗を悟る。ポーションにかなりの価値がある事をリルに教えてしまった。交渉は負けだ。
しかしリスクを負ってこの場にいる以上、手ぶらでは帰れない。
「それならハルと言う人物の情報ならどうです?」
「情報?」
「ええ。無事なのかとか」
「賓客待遇らしいな」
箱男は振り返って鉄格子を蹴った。
「何するんだ!」
「いい加減にしてくれ。私がこれにいくら掛けてると思ってるんだ?」
箱男の雰囲気が変わる。口調にも態度にも顔付きにも、荒さが見えた。
「そんなの知るか!」
「明日から家族揃って路頭に迷いたくなければ、もう口を開くな」
「なんだと?」
「良いな?私はやると言ったらやるぞ?」
「・・・分かった」
箱男に睨まれて鍵男はそう答えると、リルの入れられている牢から離れて距離を取った。
「それで?ハルのどんな情報が提供出来るの?」
リルの言葉に箱男は肩を落とす。
「ハルの好きな食べ物とか、ハルの好みの女性とかじゃないわよね?」
ハルはウリボアも好きだけど、どうもミディアの方が好みらしい。好みの女性はリルと答えそうだけれど、自分とは違う女性像を上げられたら困るからリルは聞きたくない。
「どんな情報が欲しいんだ」
リルを振り返って箱男が渋い顔をした。
無事が分かれば、この箱男を通して知りたい事はない。ハルに直接訊けば良い。
しかしこの箱男が、ハルも知らない情報を集める可能性もある。
「持って来た情報に拠って、ポーションを渡すわ」
「なんだと?」
「ハルのどんな情報でも、私に取って価値が有れば、価値に見合ったポーションを支払って上げる」
「情報だけ聞いて、ポーションを渡さない気だろう?」
「そんな事をしたらあなたは情報を集めて来なくなるでしょう?あ、でも、私はそれでも困らないか」
「・・・なに?」
「じゃあ、情報のあらすじで価値を判断して、ポーションを渡すわ。それから情報を受け取る。それでポーションと情報に価値の差があったら、次の取引で清算する」
「結局はお前の好き勝手になるじゃないか」
「それでイヤなら、ここに来なければ良いのよ。そもそも相手を信じられないなら、取引にならないんだし」
箱男は黙って考え込む。自分の有利は望めなくても、少しでも不利にならない様な手を探した。
「ポーションはいつ作るんだ?」
「え?それ、ポーションの材料でしょ?」
リルは箱男の足下の箱を指差した。
「それで作れるだけ作っておくわ」
「渡す時じゃなくて予め作ったら・・・そうか。お前の作るポーションは、使用期限がないんだったな」
リルは首を傾げそうになるのを抑えた。
使用期限のあるポーションなんてあるの?そんなのあったら、いざって時に困らない?密封しないの?
「分かった。それで手を打とう」
「食事は出るらしいけど、不味かったら食事や水の差し入れもして貰うから」
「・・・分かった。仕方ない」
「それと魔草。もっと新鮮なのじゃないと、それだけあっても大した量は作れないから」
「だが王都で手に入るのはこのレベルだぞ?」
「ダンジョン産は難しくても、森から集めれば?このままでも良いけど、出来上がりが少なくても文句付けないでね」
「・・・分かった。検討する」
箱男は後ろを振り向いて、鍵男に牢の扉を開ける様に命じた。
箱男が牢から出ると、鍵男がまた直ぐに扉に鍵を掛ける。
「近い内にまた顔を出す」
「もしそれまでに私が釈放されてたら、置いてったポーションは上げるから」
「・・・そうか。分かった」
箱男と鍵男が廊下を進んで見えなくなって、遠くで扉の開閉音と鍵を掛ける音がした。
リルの周囲には闇と静寂が戻る。