綻び【傍話】
最初の1頭は小型の魔獣だった。人々の足下をすり抜けたが、ほとんどの人は気付かなかった。
しかしそれが、2頭、3頭と続き、気付いた1人が「魔獣?」と呟くと、魔獣が第2城壁を越えて来た事実が、恐ろしい速さで住民の間に広がった。
どこに現れたのかは分からなくても、皆が逃げる。
第1城壁と第2城壁に挟まれた第2層は、瞬く間に混乱に陥った。
第2城壁の上では兵士や冒険者達が、前日と同じ様に眼下の魔獣に攻撃をしていた。
魔獣は1頭、また1頭と第2層に入り込んで来て、第2城壁の外側の第3層からは減っていたのだが、城壁の上からそれに気付く者はいない。
先日来注目を集めていた目の前の土ドームに動きがなくなっている事は、噂として城壁上を広まって行った。しかし背中側にあたる第2層の状況には、城壁上の誰もが気付かなかった。
兵士や冒険者が第2層の騒ぎに気付いたのは、逃げてきた住民達が城壁の上まで上って来てからだった。
第2層に魔獣が出た。魔獣は第2城壁を越えたらしい。
上がって来た住民からそう聞かされて、第2層に魔獣を退治しに行こうとする兵士や冒険者はいたが、第2層から逃げてくる住民で城壁の階段は詰まり、下に下りる事は出来なかった。
第2層にも兵士はいたが、魔獣がどこに出たのか分からず、退治するどころか、住民の避難を誘導する事も出来なかった。
混乱した人々が何もなせない内にも、第2層に入り込んだ魔獣は増えていく。
魔獣が第2城壁に開けた穴は、魔獣が通る度に広がっていき、徐々に大きい魔獣が穴を通れる様になっていった。
そして魔獣の大きさや数が目立つ様になって始めて、人々の逃げ出す向きに流れが出来はじめた。
そしてその流れは第2城壁の階段での様に、魔獣退治を命じられた兵士達の移動を妨げた。
「何故だ?!何故城門を開けなかったのだ?!」
国王が飛ばした唾に、宰相は顔を蹙める。
「落ち着いて下さい、国王陛下」
「なすべきをなさずに、何を言っておる!」
「良くお考え下さい。第1城壁の城門を開ければ、第1層に魔獣が入って来るのは自明ではありませんか」
「だからこそ!第2城壁に魔獣が集まった時点で!第1層に住民を非難させる様に命じたではないか!」
「何かの行き違いがあったのかも知れませんな」
「なんだと!」
「しかしどちらにせよ今となっては、第1城壁の城門を開く訳にはいかんでしょう」
「住民を見捨てる気か!」
「そう言う国王陛下は、高貴なる方々を危険に曝す気ですか?」
「そうよ。宰相の言う通りだわ。なんでそんな危険を冒そうとするのよ」
王妃が宰相に同調する。
「それならさっさと兵を送って、魔獣を退治させろ!」
「それはとうに命じております」
「毎日毎日、やってたの、国王は知らなかったの?」
「まだ兵は残っているではないか!それらを投入して早期に魔獣を退けろと言っておるのだ!」
「残っているのはこの第1層を守る兵ではありませんか」
「私達を守らない気なの?馬鹿げてるわ」
「私達を守るだと?そもそもなんで聖女の王妃がいるのに、王都に魔獣が入り込んで来るのだ!」
「知らないわよ」
「さっさと聖女の力で追い出さないのは何故だ!」
「やってるでしょう!そうやって国王が横からグダグダうるさいから集中出来なくて、上手くいかないんでしょう!」
「そうですな。国王陛下も聖女様にお任せするならお任せするで、余計な口出しは控えた方が国の為ではありませんか?」
「なんだと?」
「聞こえませんでしたか?」
「なんだと?!」
「聖女様。国王陛下はお疲れの御様子ですので、お休み頂いた方がよろしいのではありませんかな?」
「そうね。私と王太子がいれば問題ないし、宰相がいてくれれば大丈夫だものね」
「ふざけるな!」
「お前達。国王を寝室に連れてって」
「冗談ではないぞ!」
「寝ないと疲れが取れないだろうから、無理矢理にでも寝かせてあげて」
「お前達。聖女様のご命令だぞ」
「いや、しかし」
「聖女様のご命令に逆らうのか?」
王妃に睨まれた兵士達が、胸を押さえる。中には蹲る者もいた。
「私に逆らうと神罰が下るわ。知ってるでしょう?」
その様子を見た国王は、身を翻すと自分から足早に退室した。
「やっと行ったわ」
「やはり神罰は恐いのでしょうな」
「意気地がないのよ。声を荒げれば偉いと思って」
「声が枯れかかっていましたな」
「ねえ?魔獣は大丈夫なのよね?」
「既に3分の2は倒したとの事です。第2城壁で3分の1になったのなら、第1城壁を通り抜ける事は不可能です」
「それなら良いわ。でも、そもそもなんで魔獣が入って来たのかしら?私が王都を守ってるのに」
「第3層に怪しい者がいるそうです」
「誰なの?」
「冒険者の様です。その者達が魔獣を運び込んだ可能性もありますな」
「捕まえたの?」
「命令は出しました。ご安心ください。直ぐに捕まるでしょう。そうすれば魔獣騒動も収まるでしょうな」
「さすが宰相ね」
「聖女様にお褒め頂き、光栄に存じます」
「いいえ。あなたが良くやってくれてるから、私も王太子も安心だわ。では私は部屋に戻って、お祈りの続きをするわ」
「それでしたらお部屋まで、お送りさせて頂けますか?」
「ええ。お願いするわね」
「畏まりました。喜んで務めさせて頂きます」
いつもの様に宰相にエスコートされ、王妃は自分の部屋に戻っていく。
その場には、まだ胸を押さえている兵士達が残された。