つい
「君の荷物は無事だったのだな」
「え?ええ」
リルは男の視線に釣られて自分のバッグを見ると、「ああ」と溜め息の様に声を出した。
そして自分のバッグを男の傍に置く。
「どうぞ」
「どうぞ?」
「ペンダントが入ってないか、調べて下さい」
「え?・・・いや!違う!君のバッグを疑ったのではないのだ!」
「ええ?そうなの?」
「いや、本当なのだ!」
「まあ盗んだらあなたに見付からない様に、直ぐに別の場所に隠すよね」
「いや!本当に君を疑ったりはしていない!私は君に紙とペンを貸して貰おうと思っただけなのだ!」
「紙とペン?どうするの?」
「今は荷物も失って君に何も礼が出来ないから、一筆書いて渡して、後で取りに来て貰おうと思ったのだ」
「無理。わざわざ取りになんて行かないから」
「いや、しかし、その鞘を礼として渡す訳にもいかないし、命を助けて貰って置いて、これでは礼が出来ない」
「お礼が欲しくてやったんじゃないから、いらない」
そう言うとリルは男に背を向けて、肉を焼き始めた。
土ドームの中に肉の焼ける音だけが響く。
美味しそうな臭いを立て始めた肉の臭いを嗅ぎながら、命の恩人の機嫌を損ねてしまった事を男は辛く思った。
「やはり、紙とペンを貸して貰えないだろうか?」
男はリルの背中に向けて声を掛けた。リルは肉から目を離さずに答える。
「持ってない」
「なに?持っていない?」
「ええ」
「紙もペンもか?」
「ええ。どっちも持ってないから」
「しかし、君は冒険者だと言っていたな?」
「ええ。ヒーラーだった」
「冒険者なら、必要な事を記録したりはするのではないのか?」
「必要なら覚えるし」
「覚える?」
「覚えてないと、緊急時にメモを見たり出来る訳ないでしょ?」
「冒険者に必要な知識とは、覚えきれる量なのか?」
「それは人によるけど、それこそメモを多量に持ち歩くなんて、現実的じゃないでしょ?」
「そうなのか・・・凄いな」
「普通」
無愛想にそう応えて「よし」と小さく呟くと、リルは男の前に焼けたイガグリズリー肉とナイフの載った皿を置いた。
「じゃあ私は行くけど、食べられたら食べて」
「待て!私を置いて行くのか?!」
「何言ってるの?連れて行ける訳ないでしょ?」
「君の機嫌を損ねた事なら謝る!」
「そう言うの良いから、もう」
「しかしここに置いて行かれたら、私は死んでしまう!」
「はあ?」
「私は魔法が使えない!だからここから出られない!しかし出入り口を開けて行かれたら、体の自由が利かないから魔獣に殺される!」
「あ!違う違う!大丈夫よ?戻って来るから」
「本当か!いつ?!」
「直ぐよ。薬の材料を集めて来るだけだから、大丈夫」
「なに?そうなのか?」
「あなたが動ける様になるまでは傍を離れないから。大丈夫だから」
そう言ってリルは微笑んで見せた。
「そうなのか。私は早とちりをしたのだな?あ!いや!私は、あ!いや!俺は君を信じていない訳ではないのだ!」
「分かってる。怪我をしたら心細いのは、みんな一緒だから」
「いや、済まない」
「それに俺じゃなくて、私で良いよ?」
「私?あ、いや、それは違くてだな」
「身分を隠したいんでしょ?大丈夫。あなたが誰か知らない方が、私は安全なんだろうから」
「それは、だが」
「詮索しないし、あなたの怪我が治ったら、あなたの事は忘れるから、大丈夫」
「あ、いや、そう言えばそれでは、君に礼が出来ない」
「良いってば。その代わり、私もこの口調で許して。偉い人向けの言い回しなんて、良く知らないし、疲れるから」
「それは構わない。君は私の命の恩人なのだから、その様な事は気にしなくても良い」
「ありがと」
リルの笑顔に男は怯んだ。
「だが、命の恩人に何も礼が出来ないと言うのは」
「あんまり面倒な事を言うと、見捨てるけど?」
「・・・分かった。私の名は」
「待って!」
リルは男に向けて手のひらを突き出した。
男の体が反射で動くけれど、起き上がり掛けて直ぐに崩れた。
リルは男の体を支えて、横になるのを助ける。
「何を言おうとしてるの?名前なんか聞きたくないんだけど?」
「しかし、君の気が変わって礼を求めたくなったり、あるいは私の助けを必要とする事もあるかも知れない」
「いいえ。誰かを頼ったり頼られたりは、もうしたくないから」
「・・・そうなのか?」
「ええ。これからは一人で出来る事だけやって、一人で生きて行く積もりだから」
「まだ、その、若いのに」
男は幼いと言いそうになって、若いと言い換えた。誤魔化す様に言葉を続ける。
「それに今こうやって、私は君に頼っている。一人で生きて行くと言うのなら、私の事を助けたりしないのではないのか?」
「そっれは、そうだけど、つい助けちゃったんだから、仕方ないでしょ?」
「つい?」
「職業病かな?ヒーラーやってたからつい、危なかったり怪我をしたりしてたら、考える前に反射的に助けてしまう。それだけだから」
「・・・そうなのか」
「うん」
「つい人を助けてしまう君が、たまたま私の近くにいてくれたから、私は助かったのだな」
「まあ、そうかな。そんな感じ」
「それでも、君にとってはつい助けただけであっても、私は君に感謝を捧げる。ありがとう」
起き上がれない男は体を横にして、リルに頭を下げる。
「私はリル殿の事を一生忘れない」
リルは男に誰だと訊かれた時につい、名前を名乗ってしまったのは失敗だったと思った。