5.使者の思惑
ディーンドーン。
ふくろう魔法薬局のドアベルの音が、久しぶりに重々しく変わった。
ラディとミーナにだけ聞こえるようになっており、他者には『リンローン』と軽やかないつもの音だ。
カウンターで手伝っていたミーナは、そっと抜け出し、1番奥の部屋に向かう。
子犬に見えるフェンリルのアルバスも着いてきた。ミーナが抱えて部屋に入る。できたら一緒に入るように、ラディの指示だ。
いつも通り、ラディが仕掛けてある《結界》を、ドアノブの操作で完了させ、浮かび上がった《秘匿》の魔法陣の中にアルバスと座る。
「今日はなんなんだろ」
この時間はすごく嫌だ。お父さんと離れるなんて、絶対嫌だ。だから約束は守る。
大人しく横に座るアルバスを撫でながら、セバスチャンが持ってきてくれた魔物の本を読む。
アルバスの毛並みの柔らかさと温かさが、恐さを和らげ、いつのまにか本に夢中になっていた。
気付くと、ノックの音が響き、ラディがドアを開けて入ってきた。魔法陣も消えほっとする。
「お父さん。ねえ、なんだったの?」
ミーナから初めて尋ねる。
今までは、『恐いモノが来て、ミーナを連れて行き、父ラディと暮らせなくなる』と聞いていた。
「ちょうど昼休みだ。ご飯を食べた後、教えるよ」
「はい、お父さん」
ラディは話せることはきちんと話す。
そういう点ではミーナを極力、子ども扱いしていなかった。
〜〜*〜〜
じゃがいも肉団子とごろごろ野菜のスープを、はふはふしながら食べる。
じゃがいも肉団子はもちもちした皮を噛むと、肉汁がじゅわあと口の中に染み出してくる。
ミーナのひと口に合わせてカットしてくれている野菜も、スープの旨味が野菜に含まれ合体している。
ラディはスープ料理が得意だ。ミーナも好きだ。
旅が多くて、肉も野菜も一度に取れて、固いパンも食べやすくなる。一石三鳥なんだぞ、と笑顔で話してくれたこともあった。
今日はふわふわパンを口直しに、うまうまスープとのループで食べ切った。
不安も美味しい食事が、いつのまにか忘れさせてくれていた。
患者さんから分けてもらった甘夏をデザートで食べた後、歯磨きし終えたミーナの前に、手紙が置かれた。
「ミーナ。アルバスを飼い始めた日、森で怪我人の親子に会った。覚えてるか?」
「はい、お父さん」
「デニス・エディントンとロバートの親子だ。
父さんのラディという名前と魔法薬局をやってるって話したのを覚えてて、人に探させて、さっき使いの人がこの手紙を届けに来た」
「そうなの?だったら、どうしてこわいモノの音がしたの?」
「使いの人は魔術師だったんだ。とっても魔力の強いね」
「……こわい、人なの?」
「まだ全くわからない。父さんはわからないモノは恐いモノだと思う。
手紙の内容は、怪我をしてくれたお礼をしたいそうだ。屋敷に招待したいと書かれてる」
「エディントン、さんのお家に?」
「身分が伯爵だった。エディントン伯爵だ。前にも話したね。
ここ、王都では王様の下に7つの身分がある。
王様、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、騎士爵、王都民だ。伯爵は上から4番目、貴族と呼ばれてる」
「エディントン伯爵のお屋敷に、お父さんだけが行くの?」
「まだわからない。手紙で断ってみるが、この調子だと多分無理だろう。貴族との付き合いは面倒なんだ。
王都民なら一度は遠慮して断らないと、図々しい無礼者だと言われる」
「お父さんは無礼者なんかじゃない!」
「ありがとう、ミーナ。その通りなんだが、これもマナーの一つなんだよ。ミーナもこれから覚えてく一つだ」
「……マナー、なんだ」
「ああ。それにとても魔力の強い魔術師が関わってるなら、慎重にゆっくり対応した方がいい。
わからないモノが味方なのか、普通なのか、恐いモノなのか、調べられる。
エディントン伯爵についてもね」
「お父さん、気をつけてね」
「ああ、父さんはミーナと一緒にいたいからね。気をつけるよ。今日はよく隠れられた。えらいぞ」
ラディはミーナの栗色の髪をゆっくり撫でた。
〜〜*〜〜
「デニス隊長。届けてきましたよ。例の手紙」
王国騎士団の本拠地の一角、第3隊隊長の部屋に、王国魔術師団、氷魔術師班班長のニクスが訪ねてきた。優秀な治癒師でもある。
「おお、すまんな。最初から私が行くと、ラディ殿に迷惑をかけてしまう。ニクスなら、王都民に紛れられる。助かった」
デニスはニクスを笑顔で迎える。
ニクスは執務机の前に立ち、ラディについて聞き込みなどの報告する。
「彼は近隣の評判もいい。真面目な人柄で、娘と二人暮らし、妻は死別か生別かは話したがらないそうです。再婚は断ってる。
田舎暮らしだったが、娘の教育と魔法薬局の営業を考え、王都に出てきたらしいです。
あなたの応急処置を鑑別した通り、魔法薬師としては確かに良い腕みたいですね。1年前に開業した薬局も繁盛してた。開業届に抜けもない」
「相変わらず、調査好きだな。騎士団でもざっと調べたが、怪しい点はない。
冒険者ギルドに登録し、素材も自前で調達か正規に購入している。
等級はC。本来は魔法薬師だ。充分だろう。
ギルドでも付き合いが悪いが真面目。
妻はおらず、娘を育て店もある。当たり前だ」
ギルドの等級に、ニクスは首を傾げる。
「C級、C級ねぇ。あなたに残ってた《浄化》魔術の残滓はB級でも通ったでしょう」
「B級だと騎士団の招集に応じる義務が発生する。
幼い娘がいれば避けたくもなる。それに職業によって、特定の魔術に特化するのはよくあることだ。
平均的なレベルがB級ではないのだろう」
「まあ、それはじっくり試させてもらいましょう」
「おいおい。私の恩人なんだ。手荒なことは困る。勤勉な王都民だ。困らせるな」
「ちょっと気になるんですよ。違和感というか、猫を被ってるというか。あからさまに《探査》したのに、気づいた後も普通に応対していた。
怪しいものはありませんでしたけどね」
デニスの雰囲気が変わる。明るさに謹厳実直さが加わる。ニクスは“お説教”を覚悟する。
「……ニクス。これ以上手を出すな。彼は善良な王都民だ。
《探査》は戦場や訓練以外では、犯罪捜査か特殊任務の時のみ、使用を許可されている。
それよりも“花の件”を何とかしろ。
陛下が不眠に悩み、治癒師班班長も手を焼いてると言うではないか」
「そっちは行き詰まってるんですよ。何重の《結界》も抜けて、優秀な護衛の魔術師や騎士達に気づかせずに侵入する。
陛下は当代一の魔力をお持ちだ。その陛下さえ、気づいた時には花に埋もれてらした。
あれだけの《転移》魔術で花をどっさり溜め込んでも、侍従がドアを開けるまで破れないなんて。人間じゃありません。
お告げ通り、精霊でいいと思います」
「精霊なら精霊で構わない。古代の伝説には存在は謳われている。
問題は陛下のご不調だ。
それを取り除くのが、治癒魔術師の職務ではないのか?」
「…………デニス隊長には敵いませんね。正論を堂々と仰る」
「私はこれ以上、出世しようと思っていない。
またニクスも信頼している」
「了解です。陛下のご不調に専念します。
ただ、あの魔法薬師と会う時は、充分注意してくださいね」
「忠告は感謝する」
「では失礼します。ご心配なく。任務に戻りますよ」
ニクスはデニス隊長の部屋を出て、そっとつぶやく。
「それでも気になるんですよ。
“魔術師の感”、ってヤツが、鐘が鳴るみたいに警告してるんだ」
ご清覧、ありがとうございました。
コミカルなファンタジーを目指しつつ、ミーナとラディパパの成長と精霊王様の斜め上溺愛を描けたら、と思います。