32.感謝と幸せ
※日常系です。
流行性感冒はいわゆるインフルエンザです。
「ふくろう魔法薬局での流行性感冒の患者数は、これで間違いないですか?」
「はい。定められた定点観測に従っています」
事前に告知された営業時間外の時間どおりに、調査官は訪ねてきた。
ラディの目の前にいるのは、ニクス・ノーケル。
“魔力枯渇”の症状が改善し、氷魔術師班班長に復職したとエディントン伯爵からも聞いていた。
今日は魔術師団の治癒師として、職務を果たしている。
カウンターに広げた記録簿をじっと見つめるニクスからは、ギルドの受付担当、女装趣味のローラが言ったとおり、グリーンノートが漂っていた。
ニクスは表面上は泰然としている。
今は2月だ。豊穣祭のあの夜からだと、ゆうに2か月は経っている。慣れたか受け止めたのだろう。
精霊王の言葉を信じれば、ニクスが“大いなる力への感謝”を忘れない限りは、香りは消えないのだ。
夢のお告げででも言ってやってほしいと、人ごとながら思う。
「かなり少ないですね……。
いえ、少ないのはいいことなんですが……。
もしなにか特別な対策をしていれば、他地域の参考にしますので、教えて欲しいのです」
身分証と訪問目的、名前を告げた後は、ごく普通の会話だ。以前の“お貴族様”風な物言いはしていない。
いや、豊穣祭よりも対応はていねいになっていた。
ラディも一般の魔法薬師として答える。
ミーナとアルバスは奥の部屋にいた。
改心したと言っても、油断は禁物だ。
「特別な対策、ですか。
そうですね。手洗いを小まめにすること、といった予防法をまとめて書いた紙を渡してます。
こちらは、流行性感冒の患者さん向けと、いれば看護者向けです。
とにかく無理をして外出しないことは強調してます。
お年寄りや子どもがかかると命取りになることもあります。そのために、こうして調査に来ていただいており、ありがたいと思っています」
流行性感冒で治癒師や医師の診察を受けられるのは、貴族や富裕層だ。
王都民の大多数を占める庶民は、罹れば、金がある者は魔法薬局などで薬を買う。
無い者は布団にくるまり、症状が無事に治まり、生き残れることを祈るしかない。
「注意喚起を、予防と罹患者、看護者用に分けてるんですね」
「はい、罹患者から病気をうつす人数をなるべく減らすように、地域ぐるみで協力してもらってます」
そう、角の飯屋では、寝込んだ患者相手の出前サービスも始めてくれた。
バランスよく栄養を摂れば、風邪を引きにくくなるよ、と八百屋や肉屋、惣菜屋、パン屋といった食料品店などでも声かけをしてくれている。
雑貨店では、手洗い石鹸がお得になっている。
他の店でもできることはしてくれていた。
これはミーナのお願いから始まったことなのだが、今は割愛する。
ニクスには地域ぐるみの具体例までは言わない。調査はあっさり終えてほしい。
「なるほど。この紙はもらってもいいですか?」
「どうぞ。お配りしてるものです」
「他にもありますか?」
「ハーブと蜂蜜を調合したのど飴をサービスで配ってます」
ラディがカウンターに、瓶から取った紙に包んだのど飴を数粒置く。
これは普通の患者用で、流行性感冒の患者には、《回復薬》をわずかに混ぜたのど飴を渡していた。
自己治癒力を高めるためだが、バレればまずいため、奥の部屋に移しミーナに持たせている。
「なるほど。のど飴を」
「ご近所付き合いも兼ねて、1年中配布してます。この辺りは商店街で、のどを使う人達が多いんです」
「参考までに持ち帰ってもよろしいですか」
「はい、お疲れ休めにどうぞ」
「調査にご協力、ありがとうございました。失礼します」
「こちらこそ、ありがとうございました」
ニクスを扉を開けて見送ると、待ち合いに香りが残る。
「これは《“爽快”の祝福》だ。まあ、精霊王にしちゃ、マトモだな」
この《祝福》を受けた者からは、人を心地よくさせる香りが漂う。自然と人望は高まり、物事もうまくいくようになる。
良いこと尽くしに思えるが、精霊王が予言したとおり、“感謝”を忘れれば、すぐに《祝福》は消える。本人も周囲も以前との落差で、かえって不幸せになる場合もある《祝福》だ。
『ある意味、呪いじゃねえか』などとラディは思う。
「とりあえず、ミーナとアルバスを部屋から出そう。飯と風呂だ」
ラディは思いっきり伸びをし緊張をほぐすと、愛娘と愛犬を迎えにいった。
〜〜*〜〜
一方ニクスも緊張から解き放たれていた。
治癒師班から調査の応援要請が来て、それがこの地区だったとわかった時、心は歓喜が渦巻いていた。
生の、いや、失礼、本物のラディに会える!
そして、つい先ほどまで実際に会えていたのだ。
「ラディ殿……。
私が尊敬してやまない憧れの方が、私の目の前で、お話しになり、尊い教えを賜わり……。
しかも、その教えを説く、貴重な、近隣住民限定教典を、直接、その手で渡してくださった……。
しかも、稀少な、お手製のど飴まで……。
ああ、《保存》して家宝にしなければ。
はあ、今晩眠れるだろうか。
いや、ここには『規則正しい生活を送ること』とある。
ラディ殿の教えを守ることが、“大いなる力への感謝”を忘れない第一歩だ……。
『初心、忘れざるべからず』とも仰っていたのだから……」
ラディにノーケル侯爵家の桟敷で再会した時、ニクスの中で何かが変わった。
あの、伝説の荒野の賢人と言われる、バルバトリ・ヴァスティタスの直弟子だ。
決して驕ることなく、むしろその教えを体現するかのように、下町の一角でひっそりと魔法薬局を営み、しかも周辺住民からはこよなく愛されていた。
自分とごく限られた者しか知らない、伝説の体現者は、桟敷でもごく普通の礼儀正しい父親で、娘をこよなく愛する姿のどこにも、特別なものを感じさせなかった。
それが、ニクスの心を静かに貫いた。
自分はまだまだだ。
たかが侯爵家に生まれたくらいで、氷魔術師になれたくらいで、鼻たかだかになってしまい、“魔力枯渇”という試練を受けた。
“口伝”を実践していたが、実家に戻って知った、ラディの調査結果は、バーリの弟子にふさわしいものだった。
決して表に立たず、功績を誇らず、日ごろの行いで人のために尽くす。
ラディ殿に出会え、さらなる努力を誓った晩——
朝起きたら、魔力がみなぎっていた。
以前よりも強く、そしてすばらしい香りまで、その身に纏っていた。
ニクスは緊張の面持ちを向けられることが多かったが、今は会う人ごとに笑顔を向けてくれる。
これは偶然ではない。
“大いなる力”が、自分とラディを出会わせ、そして“口伝”を通し、すばらしい学びの機会を与えてくれた。
ニクスはすっかり、ラディの虜となっていたが、表立っては教えに反する。
2週間に一度、ラディとミーナが訪問するエディントン伯爵家を羨望しつつ、デニスからその様子をさりげなく聞き、心中は感動に打ち震えていたのだ。
それが、つい、先ほどまで、実物と、言葉を交わし、触れ合えた。
この感動をどうすべきか——
感謝はもちろんする。絶対だ。
いただいた教えにも、のど飴にも、感謝しつつ、《保存》はする。
だが、物足りない。せっかく会えたのだ。何か記念すべきものを、自分で創造したい。
そうだ!
ラディ殿の小さな氷像を、作ってはいけないだろうか。
心がけを忘れないよう、あの佇まいを、雰囲気を、どこまで再現できるか。
これは自分に与えられた、新しい課題に思える。
そうだ、そうしよう。
魔術師団本部に報告へ戻るニクスの足取りは、喜びにあふれ、世界中が薔薇色に思えるほど幸せだった。
ご清覧、ありがとうございました。
コミカルなファンタジーを目指しつつ、ミーナとラディパパの成長と、精霊王様の斜め上溺愛、その周辺を描けたら、と思います。
誤字報告、ありがとうございます。参考と学びになります。
今日、11月4日は『いい推しの日』ということで、エピの順番をちょっと変えて出してみました(⌒-⌒; )
楽しめていただけたら幸いです。




