1.魔法薬局
リンローン。
ふくろう魔法薬局のドアベルが軽やかに鳴る。
奥から小さな白いエプロン姿の女の子が出てきて、笑顔で客を出迎えた。
「いらっしゃ〜い。どうされましたか〜。
あ、おばあちゃん、いつもの湿布?」
「ああ、ミーナ。腰が痛んでね」
「お父さん、いつもの湿布、いっちょ」
調合室から現れた白衣姿に伊達眼鏡のラディに、ミーナはビシッと小さな人差し指を立てて見せる。
4歳にしてはしっかりして賢いと、近所の大人達から可愛がられている。
「ミーナ。角の飯屋とは訳が違うんだ。薬はいつも、名前と数量をきちんと言いなさい」
「あたしの腰痛は、いつもの、で十分さ。
ミーナはお手伝いしてて、えらいねえ。ほら、キャンディあげよう」
「こっちにどうぞ、おばあちゃん。ありがとう。おやつにいただきます。
湿布はいつも通り、3日分?」
「そうだね。そうしておくれ」
待合席に案内したミーナは、ぺこんと頭を下げると、カウンター内のラディの側にやってきた。
「お父さん、腰痛の湿布、3日分です」
「聞こえてるよ」
「も〜、すなおじゃないんだから!」
「あ〜、お前は素直な良い子だ。おやつを食べたら歯磨きすること」
「は〜い」
「返事は短く元気よく。調合の時、閉め出すぞ」
「はい!」
ミーナは魔法薬の仕上げを見るのが大好きだ。
いつもドキドキする。
きらきらした“魔素”が現れ、薬に溶けて消えていくのは、何度見ても飽きない。
ラディは魔術師で、今は魔法薬師をやっている。腕がいいと評判だ。
ここは王都の外れなのに、効き目がいいと、わざわざ訪ねてくる人もいる。
適度な商売繁盛はありがたい。
いつものようにラディが用法用量を説明し、湿布を渡すと代金をもらう。キャンディのお礼に、サービスののど飴も入れておく。
約1年前に開店した魔法薬局で、店主のラディは義理堅くてまじめというご近所の評価だ。
久しぶりの人付き合いに、苦労した甲斐があったというものだ。
ミーナが患者に手を振り見送る。
「おばあちゃん、お大事に〜」
手伝い始めたころ、「また来てね」と言ったミーナを、ラディは真面目に叱った。
「また、ってことは、『また病気か怪我をしろ』ということだ。薄まりはしたが、今の言葉にも太古からの力が宿ってる。十分気をつけなさい」
それ以来、ミーナは絶対に守っている。みんな、元気になってほしい。
何人か患者が来て、薬局は忙しくなった。
〜〜*〜〜
ディーンドーン。
魔法薬局のドアベルの音が重々しく変わった。
ラディとミーナにだけ聞こえる。他に患者もいない。
ミーナは黙って静かに歩き1番奥の部屋に入る。ドアノブを2度回し鍵をかける。これで《結界》が完了だ。
綺麗な青い魔法陣が床に浮かび上がり、ミーナは真ん中に座る。誰からも気づかれないとラディに説明された。《隠蔽》の魔術だ。
あの音の時は、絶対、絶対に、ミーナは店に出てきてはいけない約束だ。
恐いモノが来て、ミーナを連れて行き、ラディと暮らせなくなる。
そうラディが説明すると、ミーナは「そんなの絶対イヤ」と歯を食いしばっていた。
ミーナが何ものか知らせるにはまだ早すぎる。ラディは黙って抱きしめるしかなかった。
ミーナは魔法陣の中で、膝を抱えて静かに待つ。
ラディに教わった呪文を、心の中で50回唱える。
次は100、200と何度唱えたか分からなくなくなったころ、ノックの音が響く。
『お・と・う・さ・ん・だ・よ』
約束のノックだ。
2人で決めた信号で大切な約束の一つだ。
でもミーナからドアを開けてはいけない。魔法陣からも出てはいけない。
扉がそっと開く。ラディの顔を見てミーナはほっとする。
魔法陣は解かれ、金色と青色の魔素の粒が消えていく。
「ミーナ。もう大丈夫だよ。恐いモノはいなくなった」
膝をついたラディが、ミーナを両腕でふんわり包み込み、頭や背中をそっと撫でる。ミーナもぎゅっと抱きつく。
色んな薬の混ざったいつもの匂いは安心する。
躾に厳しいラディも、この時ばかりは優しい。不安を軽くしてやりたかった。
「ありがとう、お父さん。おっぱらってくれて」
「おいおい。おっぱらう、なんて、どこで覚えたんだ?」
「ん?角のご飯屋のおかみさん」
「ミーナ。乱暴な言葉遣いはやめなさい。正しくは追い払う、だ。
魔術師は礼儀正しいものなんだぞ。
今日はウチでご飯だ。店を早仕舞いしてシチューにするぞ」
「わ〜い、シチューだ〜」
ラディの食事で、シチューは特に美味しい。ミーナの大好物だ。
薬局のドアに『準備中』の札をかけ、ラディはドアを閉め、《閉鎖》の魔術で鍵を重ねがけする。
これでもう安心だ。
ミーナはぴょんぴょん跳ねながら台所に向かった。
〜〜*〜〜
ラディとミーナの親子が、美味しいシチューで夕食をすませた頃から、風がびゅうびゅう吹き始めた。雨も叩きつけるようだ。
2階の寝室では、ラディがミーナを寝かしつけていた。いつもは「もう一人で眠れるもん」とおませに言うのに、今夜は袖をぎゅっと握ったままだ。
ミーナの栗色の髪を撫でる。賢そうな茶色の瞳は、じっとラディを見つめている。
顔立ちはあまり似てないが、髪と瞳の色はそっくりだ。そっくりに“している”。
「季節外れの嵐だ。一晩で止む。この家は父さんの魔法で護られてる。安心して休みなさい」
「お父さん……。おばあちゃんや、ご飯屋や、患者さん達のおうちは?」
「季節外れだからそんなに強くない。一晩だけだ。大丈夫だよ」
ラディの手がミーナの両眼をそっと覆う。重たさと温かさを徐々に伝え、《催眠》で眠りへと導く。
「うん、おやすみ、なさい……」
ミーナはすぐに眠りに引き込まれた。
立ち上がったラディの背後に、金銀の魔素に包まれたモノが立つ。
精霊王だ。
「何度言えば分かる。お前さんは“目立つ”んだ。行くぞ」
パチンと指を鳴らし《転移》する。昼間、ミーナが逃げた部屋だ。
精霊王が優雅に手を振ると、白い椅子とテーブルが現れ、紅茶が湯気を立てている。
その湯気の向こうに、長身の青年がいた。
古めかしい白い衣服に、床まで達して余る、輝く長い銀髪、煌めく金眼、美しすぎる容貌が、人で無きモノと告げていた。
「おぬしは仮の身のままか」
「お前さんと張り合おうとは思わないね。万一ミーナに見られたら混乱させる」
「《忘却》を掛ければよいものを。
たった4年で情がわいたか。ヒトとは面白きものよ」
「面白くなかろうがどちらでもいい。約束の20年まで時はある。中途半端は好きじゃないんでね」
「魔物に食われるか、人の欲に食われるか、我の花嫁となるか。
今の我なら心も身体も護ってみせよう。
いずれが良いか、分かりきっておる」
「お前さんの花嫁が、あの子にとって幸せならな。
魔物にも人にも食わせん。自分で制御できればいい話だ。
あの子の未来はあの子のものだ。あの子が選ぶ」
「ふふふ……。おぬしのお手並み拝見とまいろう」
「その台詞は何度目だ?つい3ヶ月前にも聞いたぞ。
お前さんも寄る年波には勝てんか?ん?
若返りの魔法薬を処方してやろうか?」
「おぬしの記憶力を試しただけだ。
そうだ。良きことを教えてやろう。我が花嫁の危険は狩っておいた」
ラディは思わず立ち上がる。カップの中の紅茶が大きく揺れる。
「狩っておいた、だと?!
この、色ボケ老人の考えなしめ!いったい何をした!」
「おぬしの手に余るモノがある故だ。ヒトの身では限界があろう?」
「おい、俺をあまりナメてくれるなよ。
で、何をしてくれた?
まさか、王城の魔術師どもに手を出してはいないだろうな」
「そのうち分かるであろう。ほんの贈り物じゃ。
我が花嫁によろしゅうな。では、さらばじゃ。
ははははは、愉快、愉快、はははははは……」
美しい高笑いが部屋中に共鳴し、長い銀髪が広がり、光を帯びてまぶしいほどだ。
ラディが結界を張ろうとした、次の瞬間——
その姿は跡形もなく消えていた。
ご清覧、ありがとうございました。
コミカルなファンタジーを目指しつつ、ミーナとラディパパの成長と精霊王様の斜め上溺愛を描けたら、と思います。
誤字報告、ありがとうございます。参考にさせていただきます。
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