大嫌いな婚約者の女が、愛しい婚約者に変わるまで
私はあの、氷のような冷たい女が嫌いだった。
私の事を馬鹿にするような目で見る女が嫌いだった。
どうせ、私なんて、出来の悪い第三王子で、兄上達が優秀なのにくらべて、私はお荷物でしかなくて。王家から押し付けられた婚約を渋々受け入れた公爵家。さぞ、出来の悪い王子を婿入りさせなくてはならない事を嫌だっただろう。
あの女の態度にもそれが現れていて。
だからいずれ婚約破棄してやるんだ。
私の人生にあの女なんていらない。
マルディス第三王子は、兄二人に比べて、背も低いし、勉学も剣技も並程度、優れたところがない、凡庸な王子だった。
だから劣等感の塊だったのだ。
今までもレティシアとは距離を取って来た。婚約者として決まった二年間、交流すらなく、時たま、王宮に挨拶に来る公爵夫妻とレティシアの顔を見るだけである。
レティシアの態度は微笑む事も無く、無表情でただ挨拶をするだけで。
その顔を見るだけで、馬鹿にされているようで、イラついた。
王立学園に通うようになっても、自分の婚約者である公爵令嬢と距離を取る事を選んだのは当然だ。
公爵令嬢レティシア・ハルディーク
銀の髪の美しいその令嬢は、月の女神と皆に言われる程、美しい女性だった。
何もかも優秀で、ハルディーク公爵家で行われている領主教育も、いずれ女公爵になるにふさわしい出来と言われていて。
その家に婿に入る事になっているマルディス。
だが、マルディスは嫌だった。
それは女公爵の婿となったら、将来の生活は安泰で。
でも……
出来の悪い自分が馬鹿にされて。
嫌だ嫌だ嫌だっーーー。
だから婚約破棄したい。そう思ったのだ。そう思っていたのに。
とある日、教室で物思いにふけっていれば、レティシアが入って来て声をかけてきた。
「マルディス殿下。わたくし、お話がありますの」
婚約者でありながら、交流もしてこず、最後に会ったのが、新年の挨拶に両親ともども見えた王室であった事を思い出す。
王立学園に入学しても、クラスが違い、ろくに交流してこなかったレティシア。
たまに見かける事があっても、無関心にこちらに視線を向けただけで。
まるでいないようなそんな感じで。
それが珍しく教室まで来て、話しかけてくるだなんて。
美しいレティシア。日の光が窓から差し込んで、銀色の髪がキラキラ光って。
顔だけは整っていて美しいなと、大嫌いな女だけれどもそう感じて。
思わず見惚れてしまった。
レティシアは立ったまま、自分に向かって言ったのだ。
「わたくし達はもう、17歳。2年後に結婚することが決まっております。少しでも婚約者らしい交流を致しませんか?」
「私なんかと交流したってつまらないだろう」
「そんな事、ありませんわ」
「私は君なんかと交流したくはない。背も君より低いし、皆笑っている。月の女神にふさわしくない婚約者だと」
「言いたい人には言わせておけば良いではありませんか」
さらりと揺れた銀の髪。フっと微笑んだその美しい顔に再び目を奪われる。
こんな風に笑う女だったか?
王宮で年始の挨拶に見えた時も、表情一つ崩すことなく、挨拶をしただけで、両親ともども帰って行った女だ。
婚約者に決まって2年、王宮での挨拶以外、一切交流してこなかった。
冷たい女だ。
「今更、婚約者として交流したいというのか?私みたいな男と」
「殿下は自分の事を卑下しすぎですわ」
「今まで私の事を冷たい眼差しで見ていたではないか。もしくは全く関心のないそんな態度で。どういう心の変化だ」
「そうですわね。放課後、学園のカフェのテラスでお話をしましょうか」
仕方がないので、話を聞いてやることにした。
カフェで放課後にレティシアとお茶をしながら、話をする。
「わたくし、夢を見たのです。貴方に婚約破棄をされる夢を」
「そりゃ、そうだろう。いずれ私は婚約破棄をするつもりでいた。公爵家の婿なんてなりたくない。お前なんかと結婚なんてしたくはない」
「だからって、わたくしに国外追放を言い渡すなんて、それは間違っておりますわ」
「へ?」
「夢の中の貴方は、可愛らしい女性を隣にはべらせて、わたくしに婚約破棄を言い渡しますの。そしてわたくしに国外へ行けと。顔も見たくはないと」
「いやいやいや。いくら何でもそこまでの権限は私にはないぞ?いくら私が馬鹿だって公爵令嬢を勝手に国外追放なんて出来ない」
「でも、貴方はわたくしの事を憎んでいるような眼差しで」
紅茶のカップを手に持ち、優雅にレティシアは紅茶を飲んでから、
「わたくし、夢を見て反省しましたの。貴方と歩み寄る努力を今までしてこなかった。いかに王命で無理やり結ばされた婚約者でも、婚約者ですもの」
「私が婚約者では嫌なのだろう。そういう言い草だ」
「わたくし、貴方の事を知りませんでしたわ。今まで交流を嫌で避けていましたから。でも、少しでも知る事が大事だと反省致しましたの。今からでも婚約者らしく交流致しません?」
大嫌いだった婚約者。冷たい婚約者。だけれども、首を傾げて、問いかけて来た姿がとても美しくて。
思わず首を縦に振ってしまった自分がいた。
レティシアは優秀で何でも知っていて。それに比べて、自分は平凡で、あまりにもどうしようもない人間で。
でも、実際に交流してみれば、レティシアは自分の優秀さを鼻にかけるような女性ではなくて。
王宮の庭で共にお茶を飲んでいた時の事、レティシアが聞いてきた。
「マルディス殿下はどのような事に興味がおありですの?」
「そうだな。私は絵を描くことが好きなのだ。身体を動かしたり書を読んだりすることが苦手で。王宮の庭はとても美しいだろう?だから、その庭をスケッチすることがとても楽しくて」
「まぁ、今度、わたくしにその絵を見せて下さいません?」
「それなら、今すぐにでも私の部屋に来て欲しい」
庭の花を描いた絵をレティシアに見せた。
レティシアはその絵を見て、
「なんて綺麗なお花の絵。今度、わたくしにも一枚、描いて欲しいわ」
「勿論、描いてあげるよ。褒められて私はとても嬉しい。そうだ。私は花の種類にも詳しくてね。庭の花を説明してあげるよ」
二人で庭を散歩して、一つ一つの花を説明してあげた。
「マルディス殿下はとても、お花に詳しいのね」
「それはもう。好きな物は追及したくなる性格なんだ」
「そうだわ。マルディス殿下がよろしければ、公爵家のパーティに、お花の絵を飾りません?沢山の人たちに見て貰ったらとても素敵だと思いますわ」
「私の絵を?」
「ええ。皆に華やかな殿下の絵を見て、幸せな気持ちになって貰いましょう」
嬉しかった。
レティシアに提案された絵を沢山の人に見て貰う事。
花の知識を褒められた事。
レティシアに認めて貰えて嬉しかったのだ。
少しだけだけど、レティシアと婚約者として距離が縮んだような気がした。
公爵家のパーティで飾られたマルディスの絵は好評で、色々な貴族から買わせて欲しいと依頼される程だった。
勿論、皆が喜んで買ってくれるならと、マルディスは売ってあげる事にした。
それをレティシアは喜んでくれて。
「マルディス殿下の絵が素敵だったから、皆が欲しがったのですわ」
「そうだな」
まぁハルディーク公爵家の婿になる自分と、公爵家の機嫌を取りたかったのだろうけれども。それでも、自分の絵が認められたそんな気がして。
いずれはハルディーク公爵家の女公爵になるレティシア。
少しでも夫として彼女の役に立ちたい。
いつの間にかそうマルディスは思えるようになってきて……
休みの度にレティシアの家に通い、共に領主教育を受ける事にした。
自分は決して優秀な訳ではない。
だけど、レティシアの為に……少しでも役に立ちたい。そう思えて。
ハルディーク公爵夫妻はそんなマルディスに喜んでくれる態度を見せてくれた。
「マルディス殿下が領主教育を受けてくれるだなんて、とても有難い」
「本当ですわ。娘も喜んでおりますのよ」
本当にそう思っているのだろうか?
マルディスは不安だった。
レティシアと共に受ける領主教育。専門の家庭教師がいて色々と教えてくれる。
解らない事が多いけれども、一生懸命ノートにメモを取って、領地の事、事業の事、色々と学んで。
ハルディーク公爵夫妻とレティシアと食事も共にして、交流していった。
日が経つにつれて、だんだんと家族のように打ち解けて、ハルディーク公爵夫妻が息子として扱ってくれる事に、マルディスはとても嬉しさを感じた。
少しは認めてくれたのだろうか。
帰る時はレティシアは玄関まで見送ってくれて、
「また、明日、学園で。お会い致しましょう。おやすみなさい。マルディス様」
今まで殿下だったのに、様付けで呼んで貰えた。何だかぐっと近づいたようで。
その唇にキスをしたい。
でも、自分はレティシアより背が低くて……そんな勇気が無くて。
レティシアの方から、優しく唇にキスをしてくれた。
とても甘くて柔らかくて。
何だかとても幸せだった。
そんな生活を送っていたとある日、変なピンクの頭の女が、目の前に来て失礼な事を喚いた。
「何?ぜんぜん、趣味じゃないんだけど。第三王子ってもっと美男ではなかったの?おかしいじゃない???」
「何がおかしいんだ?それに美男でなくて悪かったな」
「ちびだし、冴えない茶の髪だし、王太子殿下も第二王子も美しくて有名なのにぃーーおかしいじゃない」
何なんだ?この女は。どこの家の者だ?
いつの間にかレティシアが傍に来ていて。
「わたくしの婚約者になんて失礼な事を。その前に王族に対して不敬罪に当たらないかしら」
ピンクの頭の女は喚いて、
「学園は平等だからいいの。貴方は悪役令嬢レティシア」
「悪役令嬢?わたくしに対しても失礼な言い方。ハルディーク公爵家を敵に回したいようね」
「私はヒロインよ。王子様と結婚して幸せになる権利を持っているのよ」
「何を言っているのかしら?」
マルディスもこの女の言っている意味がさっぱり解らなかった。
いくら冴えない男である自分でも王子であるのに、面と向かってそれを言うなんて。
レティシアはマルディスの手をそっと握り締めて、
「マルディス様はとても努力家で、わたくしの愛する方ですわ。人は見かけではないのよ」
「いや、さりげなく、見かけではないって言っているのは……」
「では、マルディス様はとても美男子でわたくしはそこがお好きなところだって言った方がよかったかしら」
「いや、それはとても嘘っぽい」
「わたくしはマルディス様がマルディス様だからお好きなのですわ」
「私も、レティシアがレティシアだからこそ好きだ」
思わずレティシアを抱き締める。
とても柔らかくていい香りがして。
ピンク頭の女は、
「信じられないっ。ここにヒロインがいるのよーー。いくら冴えない男でも私を愛しなさいよっ」
学園の警備員がいつの間にか騒ぎを聞きつけて、ピンク頭の女を連れて行った。
一体全体、何を訳の解らない事を言っているのだろう?
私が愛しているのはレティシアだけだと言うのに。
いつの間にか、そのピンク頭の女は姿を見かけなくなった。
退学にでもなったのだろう。
王立学園でレティシアと幸せな日々を過ごして、そして……
卒業パーティで、美しく着飾ったレティシアに跪いて、
「レティシア。どうか、結婚して欲しい。一生、君だけを愛するから」
と、公開プロポーズを行い、会場に来ていた父である王や母の王妃、兄達にこってりと叱られた。
「卒業パーティは皆の卒業を祝うものであって、お前個人のプロポーズの場ではないっ」
しかし、卒業生たちは皆、生暖かく祝福してくれて。
「おめでとう。マルディス殿下、レティシア様っ」
「よかったですね」
さんざん、レティシアとのイチャイチャを見せつけられた学園の皆には、そして卒業パーティでプロポーズをして場を騒がせて申し訳なく思っている。
でもでも……
レティシアが歩み寄ってくれなかったら今頃、私はどうなっていただろうか。
婚約破棄を突き付けて、王家の荷物となって、ひっそりと離宮で一人暮らしていたかもしれない。
レティシアの本当の良さを、私は知ることが出来ず、大嫌いな女として認識したままで終わったのだろう。
ぞっとする……
今はレティシアの事が愛しくて。
ぎゅっとレティシアを抱き締めて、熱く囁いた。
― 愛しているよ。レティシア。私は一生、君を愛することを誓おう。そして私を愛してくれてありがとう -
そう熱く囁いたら、レティシアが嬉しそうに頬を染めてこちらを見つめてくれた。
そんな春の卒業パーティ、マルディスは誰よりも幸せを感じて腕の中のレティシアの温もりを抱き締めているのであった。