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入院生活_4


一志木(いっしき)サイコ■


「それじゃ、さっきのサイコちゃんの話をしようか。ちょっと、私がやらかしたみたいなんだけれど」


 一志木サイコ。私たちの所属している【P・T】のVtuber2期生のひとりだ。といっても、現在【P・T】に所属しているのは5人のみ。


 社長もVtuberであるが、現在も個人勢として活動している。そのため名目上は【P・T】所属とはなっていない。その割には【P・T】の情報発信なんかをしているけれど。


 元々社長がVtuberしていたところ、事情があってVtuberとしては活動していなかったアンナちゃん(社長の養女、顔出し動画配信をしている)をVtuber化することとなったため、【P・T】を設立。社長が実質の0期生、アンナちゃんが0.5期生などという妙な立ち位置で事務所がスタートした感じだ。


 そして1期生が私【猫ノ島ミヤコ】と【水無瀬コキリコ】のふたり。ちなみに、もともと姉さんは【水無瀬キリコ】という名で活動するハズだったのが、「ちっちゃいし、コキリコにしよう。なに、こういった名前のほうが却って覚えてもらえる」なんて社長が云いだして【水無瀬コキリコ】となった。


 ついでだから社長も紹介しておこう。社長は【シーマ・オリジンロック】という名前でVtuber活動をしている。


 うん。無理矢理名前を和訳したらまんまじゃねぇか、って思うよ。初めて会った時は、「私は間違った事務所に来てしまったんじゃないか?」と怖じ気づいたものだよ。……なにせ、強面の黒服マッチョをふたり従えてたし。


 それはさておきサイコだ。


 彼女はひと言で云うと姉さん信者だ。それもとびきり重度の。厄介なストーカーじみたヤンデレレベルで。姉さんが「死ね」とかいったら、喜んで死ぬんじゃないかと思えるくらいに。うん。姉さん原理主義者っていえばいいのか。


 まぁ、姉さんが関わらなければ、極々普通の人物だ。ボンキュッボンで、長身で、本格的に歌手活動を始めるくらいの歌唱力があるとしても。……っく。


 その彼女が死にそうなレベルで凹んでいたわけだけれど――


「いやぁ、記憶にないっていうのは冗談じゃなしに問題だよね」

「はい?」

「私、サイコちゃんのことを知らないんだよ。今日、はじめて会った。だから普通に「はじめましてー」なんて云っちゃったもんだからさ」


 うわぁぁぁっ!?


 だからか、だからあんな有様だったのか! え、大丈夫かサイコ。自殺とかしないよな。


 うわ、コメントも荒れだした。サイコの姉さんへの執着っぷりは半ば周知だからな。雑談枠で延々と姉さんを称えるようなことをしでかしてるし。


「あ、大丈夫だよ。スイッチいれに行った時に、一緒にグラタン食べよーねっていったら、ニッコニコしてたから。いやぁ、泣かれたままだったらどうしようかと思ったよ」


 ……チョロいな、サイコ。


「あ、でも記憶にないのは事実だよ。さっき云った記憶の齟齬のひとつ。私の知ってる2期生はサイコちゃんじゃなくて別の子だったんだよ、コヨミコちゃんの同期となるのは」

「ちなみに、その子は?」

「云わないでおくよ。3期生で入って来るかもしれない……というか、多分来るんじゃないかな」



■今日の姉さん■


 姉さんがグラタンの仕上げの為に配信部屋からでたのを確認してから、私は口を開く。今日、私が見たことを私だけのものとしておくのは勿体ない。


 とはいえ映像を流す訳にはいかないから、流すのは音声だけだ。もちろん、しくじったりしないように、録画した動画から音声だけの.mp3ファイルに加工済みだ。


 抜かりはない。


「さて、姉さんが離席しているあいだに、ちょっと今日あったことを話そっか」



:なんかはじまた

:なんだなんだ

:姉さんがいない間に

:内緒話だー



「今日は事務所からの配信。まぁ、姉さんのところの配信設備はいまもって全滅状態だからなんだけど。

 ……そういや、機材の予算とか大丈夫なのかな。今回の入院で結構な額が掛かっただろうし。うん、それはあとで聞いてみるとしようか。

 で、私が事務所に着いた時、ちょうど姉さんも来たところのようで、なんか階段のところで、またしてもオロオロしてるんだよ」



:なんだろう、いやな予感がする

:トイレ事件の再来?

:エレベーターないの?



「エレベーターはあるよ。でも姉さん、5階くらいまでなら階段を使うんだよね。『負けた気がする』とか云って」



:負けた気

:負けた気

:なんでだよ

:病み上がりなんだからさ



「あー、うん。病み上がり云々って、私も云った。それじゃ、どんな感じだったか皆にも聞いてもらおうか。ふふふ、しっかりその姿を撮影していた私にスキはないぜ。さすがに映像は見せられないから、みんなには音だけになるけど」



:なにやってんのミヤちゃん

:ミヤちゃんナイス

:はよう

:ミヤちゃんはよう

:新鮮な姉さんのポンコツ成分だー



 あぁ、リスナーさんたちにも、姉さんのポンコツさは浸透してるね。まぁ、姉さんのところのリスナーさんたちだから当然か。


 普段は男前な感じなのに、変なところが抜けてるのが姉さんだからね。まぁ、いまの性格の変わっちゃった姉さんがどうなのかは不明だけど。


 ……本当、表面的には別人としか思えない。内面は私の知ってる姉さんで安心したけど。


 さてと、それじゃ再生を――


「ポチっとな」



『あれぇ? あれぇ? なんでぇ? どうして登れないのぉ? ふぇぇ、階段を登れないよぉ』



:なんだこれ!?

:えっ、姉さん!?

:リアルでこれなの!?

:嘘だろ!?

:なんだこの萌えキャラは!?



 あはは。思った通りの反応だ。いや、私も同じだったからね。というより、リアルでこんな人がいるのかと、目を疑った――


「ミャーコちゃん?」


 背後からの温度の低い声に、私は軽く飛び上がった。


「あ、あはは……。姉さん、思ったよりお早いお帰りで。……サイコ、その笑顔は止めようか。怖いよ」

「……」

「サイコ、なにか喋ろうよ」


 グラタンを載せたトレイを手に、姉さんの背後で素晴らしい作り笑顔のサイコを見つめる。


「先輩。動画、あるんですよね? あとでください」

「あ、うん。いいよ」

「サイコちゃん!?」



:裏切った

:裏切った

:サイコちゃんが裏切った

:サイコちゃんだしなぁ

:安定のサイコちゃん



「く、なんてこった。味方がいない。サイコちゃんはさっき泣かしちゃったから、強く云えないし」


 姉さんが席に戻る。サイコは……なんかカメラの準備をしてるな。もしかしてグラタンの映像を出すのか?


「で、ミャーコちゃん」

「はい。なんですか、姉さん」

「ちゃんとそれ、最後まで流したんだよね?」


 私は目を逸らした。


「流したんだよね?」



:あれ?

:なんか流れ変わった

:どういうことだ?



「ミャーコちゃん」

「すいません。流してません。これから流します」


 私はあわてて未編集の音声データファイルをクリックした。



『あれぇ? あれぇ? なんでぇ? どうして登れないのぉ? ふぇぇ、階段を登れないよぉ……って、馬鹿なこと云ってる場合じゃねぇんだよ。チクチョウ!

 いやホント、なんで登れないんだよ!? 2週間でこれとかマズイだろ。私の体はどんだけ衰えたんだ? せーのっ……ぬがぁ! 登れん! これでもダメか。あ……』

『……おはようございます、姉さん』

『……おはよう、ミャーコちゃん。……見てた?』

『はい。……お姫様抱っこしましょうか? 運びますよ?』

『いらんわっ!』



:姉さんだ!

:姉さんだ!

:相変わらず口が悪い

:俺たちの姉さんが帰ってきた

:そうか、入院で猫を被ることを覚えたんだ!

:え、ミヤコちゃんを被る!?



 なんかコメントの勢いが増した。つか、私を被るってなんだよ!? いや、猫キャラだけどさ!


「姉さん、説明をお願いします」

「あ、うん。2週間もベッドの上の住人なんてしてたからさ、すっかり筋肉が落ちたみたいでね。階段を登ろうにも、ステップに足を載せたあと、体を持ちあげるだけの脚力がなくて登れなかったんだよ。

 あ、でもそのあと、前屈み気味に上げた脚の上に体重を乗せるようにすれば登れたよ。すげぇ面倒臭い。

 入院生活で随分体重が落ちたけれど、とはいえ落ちたのは筋肉だろうから、多分そのせいだ。だから実質の所さほど体重は落ちていないんじゃないかな」

「実質、っすか?」

「うん。体重を落とすっていったら、普通は脂肪を落とすってことでしょ。脂肪も落ちたろうけど、それ以上に筋肉が落ちたんじゃないかな」

「ちなみに、何キロ落ちたんです?」

「5キロ」

「随分落ちましたね」

「私もびっくりしてる。くそぅ、あと少しで40キロに乗ったのに、また意識してしっかり食べないと」

「え、姉さんそんなに軽いの?」

「うん。標準体重に届いていないんだよね。なんか太りにくいみたいでさ」

「姉さん、小食ですからねぇ」

「意識して大目に食べないと痩せるんだよ。配信前は食べないせいもあると思うけど」

「あれ、でもそれじゃ普段から1食抜いているんじゃ?」

「うん。でもそうしないと、配信途中で気持ち悪くなっちゃうんだよ、サイコちゃん。だからなかなか悩ましくてねぇ」

「あれ? じゃあ、今食べて大丈夫なんですか?」

「さすがにグラタン一皿くらいじゃ気持ち悪くなったりしないよ。そんなに大きいグラタン皿じゃないし。

 あ、これから私たち食事するけど、咀嚼音が耳障りかもしれないけど許してねー」

「咀嚼音……。つまり咀嚼音ASMR……。ちょっとバイノーラルマイクを持ってくる」

「サイコちゃん!?」



■グラタン■


 画面に二皿並んだグラタンの映像を映す。途端にコメント欄が騒がしくなった。


 いや、本当に美味しそうなんだよ。チーズが3切れ並んでいて、まぶされたパン粉共々ほんのりついた焦げ目。いまさっきのでちょっと時間が経ったけれど、まだ微かにクツクツとべシャメルソースが煮え立っているのが見える。


「やっぱりグラタンは熱いうちに食べたいからね。リスナーのみんなには悪いけど、ここで夕ご飯とさせてもらうよー」

「姉さん、レシピとかは云わないの?」

「要る? グラタンのレシピなんて超簡単だよ。グラタン皿にバターを塗ったくって、そこに具材を入れて、べシャメルソースをかけて、チーズを載せてパン粉をまぶしたら、あとは焼成するだけだよ」


 グラタンを超簡単料理と云い張る姉さんに、サイコが目をパチクリとさせている。


「いや、その具材とかいろいろあるじゃないですか」

「オムレツの具材と一緒だよ。タマネギと挽肉を炒めたもの。で、そこに茹でたマカロニを加えればグラタンの具材。味付けは塩胡椒のみ。ほら簡単」


 えええ……。


「姉さん、べシャメルソースは?」

「あー。普通につくると手間だよね。だから私は手を抜く。材料を全部を鍋に放り込んで弱火で攪拌するだけ。本当は火にかけたお鍋で、バターで小麦粉を混ぜ合わせながら少しずつ牛乳を加えていくんだけど、無駄に時間が掛かるからやらない」



:ええええ

:草

:それでいいのか?

:これがプロの技かwwww



「いやプロの技じゃないからね。あくまでも家庭での手抜きだよ。そもそも小麦粉がダマになんなきゃいーんだよ、って調子で作ってるだけだから。商品として出すなら、そりゃ私だって丁寧に作るよ。ただ今日は作るのにあまり時間が取れなかったから、ソースは手抜きバージョンだ。

 ひと工夫といったら、マッシュしたポテトを、グラタン皿の底に敷き詰めたくらいだよ。

 んでだ。この手抜きべシャメルソースだけど、冷食のエビピラフにかけて、そこにピザチーズまぶして焼けばドリアが簡単に作れるよ。冷食のドリアを買うよりコスパはいいんじゃないかな? 業務用のピラフなら、確実にこっちのがコスパはいいね」

「コスパ優先なの?」

「そだよ、サイコちゃん。ひとり暮らしはなにかと要り用だからね。削れるところは削るんだよ。その上で手間も減るなら尚良しってものだよ。あ、だからって、味を犠牲にしたりはしていないよ。美味しいは正義、そこは譲れない」


 そして3人で食事を開始。


 リスナーさんたちの中には、材料があるからとドリアを作りに走った人もいるようだ。まぁ、事実かどうかは不明だけれど。


 ハフハフと熱いグラタンを冷ましながら食べる。


 姉さんは手を抜いたと云っているけれど、普通に美味しい。少なくとも、そこらのファミレスのグラタンよりもずっと美味しいと思う。


 その姉さんはと云うと――


「私はこのいい塩梅に焦げてパリパリになったチーズが好きなんだよね。グラタンを作る時は、これが一番の楽しみだったりするよ」


 そんな発言が出たところ、コメント欄がチーズ論争になった。その中に『私は溶けるチーズは嫌いだ!』なんて言葉を姉さんがぶち込むもんだから、さらに論争は悪化した。尚、姉さんが【溶けるチーズ】が嫌いなのは、そのまま食べると美味しくないからだそうだ。


 そりゃあれ、火を通して食べる用のチーズだしねぇ。


 あ、誤解のないように云っておくけど、溶けるチーズはピザ用のチーズのことではない。それは別だとも明言したことで、論争は若干収ま……いや、なんか余計混沌としてないか、これ。



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