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入院生活_3


■記憶の齟齬■


「さて、私が病室のことを話したのを覚えてるかな?」

「蛍光灯とカーテンの話ですか? やたらと詳しく話してましたけど」

「そう、それ!」


 なんで私を指差すんですか。


 さすがに動きはアバターに反映されてはいないけど、その姉さんのドヤ顔は反映されているから、やたらとコメントが盛り上がってるし。

 つかリスナー、なんかもう、この姉さんに慣れてるね。以前ならこんなムーブ絶対しなかったよ。


「まず蛍光灯。開閉ギミックと思しきモスグリーンの金具が消えた」

「は?」

「でもって、遮蔽カーテンの黒い筋状の汚れも消えた」

「え?」

「更に、足元の引き下げ式のシールドカーテン? の、引き下ろし用の摘まみ紐の位置が右端から中央になった!

 あ、これについては、記憶違いは絶対にないよ」


 いやいやいや。


「記憶違いが絶対にないというのは?」

「2日目の清拭の時に、目隠しとして引き下ろした訳だけれど、それをやった看護士さんの背丈が私張りにちっちゃかったのよ。で、手を伸ばしても届かなくて、ぴょんぴょん跳ねてたんだよね」

「え、なんですかその可愛い看護士」

「通りがかった他の看護士さんに、下ろして―って頼んでた」


 え、マジで可愛いなそれ。


「それをしっかりと見てたからね。引き下げ用の紐が右端から下がっていたのは確かなんだよ。

 で、それが今度は中央。そっちは3日目にも清拭の時間があってね。その時は看護士さんがベッドの枠? に足をかけて引き下ろしてたよ。ジャンプするには危ない場所だったからね」

「あー……それだけ違うと、確かに忘れようがないですね。

 ……って、え? それってどういうことなんです? もしかして、中央と両端に引き下げ用の紐とかがあったんじゃ? いや、それもおかしい気がしますけども」

「なかったね。3日目に見た限りでは真ん中だけ。この記憶の齟齬ってなんなんだろうね? さすがにこれが記憶違いとは思えなくてさ。まぁ、だからどうだって話でもあるんだけど」



■回診■


「3日目にして、はじめて主治医の先生に会ったんだよ。間に日曜と先生の休診日とかが入ったせいで、ここまでずれちゃったんだよね。初日は検査だなんだで時間が遅くなったこともあったしね。あ、入院当日は、姐さんが私の代わりに状態については聞いていたみたい」

「なんだか杜撰な気が……」

「そうはいっても、重症? ではあるけれど、直ちに命に別状はないっていうような感じみたいだったしねぇ。

 ……2日目の夜は死ぬかと思った――」


 姉さんが突然押し黙って顔を引き攣らせた。


「あの、どうしました?」

「いや、実はあのまま私は死んでて、別世界線に転移したとかないよね? あの変な夢といい、記憶の齟齬といい、怖いんだけど。なんか、事故で死んだはずの実家の犬が今日も元気らしいし」


 ちょっと!?


「え、それって初耳なんですけど!?」

「いや、昨日退院して今朝実家に電話したら、矢澤君も心配してるよって電話口に出してね。やー、バウワウうるさかった」

「……誰ですか、矢澤君って」

「うちの犬の名前だけど」

「コメントが大騒ぎなんですが。つか、なんでそんな名前に」

「どういうわけか、矢澤っていうと返事をするのよ。でもって、それ以外では絶対に返事もしなければ反応もしないという、困った子でねぇ。ちなみに、それを発見したのはウチの妹よ」


 あぁ、あの背の高いモデル体型の妹さん。


「そうだ、聞いてよ! 妹ったら酷いんだよ! 実家に電話して出たのは丁度妹だったんだけれど、私のことを「え、どちら様ですか?」なんて訊くんだよ! 私、お姉ちゃんなのに! 仲が良好と思ってたのは私だけだったの!?」

「いえ、妹さんの反応はもっともです。姉さん、入院前と後で別人じゃないかと思えるほどに性格が違ってます」

「嘘だ!」


 姉さんがまたしても私を指差した。


「私は昔っからこの有様だ!」

「いや、有様って……。えっと、自分のアーカイブを観たらどうです?」

「……」

「姉さん?」

「なんか怖くて観れないんだよぅ」

「なんでそこでヘタレるんですか」

「だって、それを観て自分でも別人だって自覚したら怖いじゃない」


 ちょっと自分のこととして想像してみる。


 ……うん。怖いな。多分、とんでもない孤独感に苛まれそうだ。


 とはいえだ、私からして見れば、いまの姉さんのほうがとっつきやすくて好ましいんだけれど。いや、以前の姉さんは姉さんで頼りがいがあったんだけれどさ。


 ふむ……。


「諦めたらいいんじゃないですか?」


 ちょっと考えてそう答えたら、姉さんは絶望したような顔をしていた。


 とはいえ、どうにもならないことだしなぁ。


「話を戻しましょうよ」

「……ミャーコちゃん、酷い」

「悩んだところで無駄でしょう? それ。どうにかできるものでもありませんし」

「確かにそうだけどさぁ。

 まぁ、話を戻すよ。

 先生と3日目に初めて会ったわけだけれど、そこで治療について話をされたんだよ。

 これまで通りの点滴治療。で、鉄剤が追加。これは造血のためだろうね。絶飲食中だから、経口摂取なんて出来ないから。もちろん、薬も飲めないしね。

 あ、思い出した。実際、2日目の下血って、出された薬を飲んでから、お腹の感じがおかしい気がして、トイレに行ったらあの有様になったんだっけ。

 まぁ、トイレに行ったら行ったで、催してたのが引っ込んじゃったんだけど。でもさっきもいったけど、出そうだし、出さないと問題だし、って感じで頑張ったら下血したんだよね。

 で、それが原因で3日目……というか、下血直後からオムツ生活だよ。

 複数の看護士さんに集まられて、その中で下半身ひん剥かれてオムツをつけられたんだよ。大勢の前で御開帳とかもう……本当に……うぅ……」

「うわぁ……」

「とりあえず、粉砕された私の羞恥心に関しては脇に置いておくよ。

 食事だけれど、絶飲食を継続。まぁ、前日に下血したわけだしね。で、病室が変わることもその時に伝えられたよ。変わるといっても、HCUの別の病室だけれど、病状が安定しているから、一番危ない状況の人がいる病室から出されたってことだね。看護士さんが――『箱からでられたんだね。よかった』って云ってたよ。なんかあの病室は『箱』って隠語で呼ばれてたみたい」

「あ、患者さんにもそういう隠語で話したりするんですね」

「というより、あんまり気にしていないんじゃないかなぁ。なにせ冗談交じりでナンパされたし」

「は?」


 え、どういうこと?


「『あ、可愛い子がいる。ナンパしちゃおうかな』なんて云われてね。あ、女の看護士さんね。若いかと思ったんだけれど、話を聞いてたら私たちと同年代の子共のいるおばさまだった。見た目はアラサーで通用しそうだったけれど。

 私が年齢を云ったら驚いてた」

「そりゃ姉さんの背丈と見てくれだと、ヘタすると小学生に間違われる有様ですし」

「くっ……云い返せない。実際あったし。今回もそうだし」



:え、姉さんってそんなに小さいの?

:マジか

:合法ロリとは聞いてたけど

:ネタだと思ってたのに



「今思ったんだけれど、若干解せないところもあるんだよね」

「なんですか?」

「いや、2日目夜に下血したわけじゃない。回数的には5回目か6回目。一回で200ccくらい下血していたとすると、1000cc以上出血してるってわけでね。さらには私がかなり具合が悪くなっていたことを、看護士さんたちは知ってるはずなんだよ。

 そんな有様で病室を移動っていうのがね。

 もしかしたら、私よりも重症の人が搬送……いや、それならあんな風にのんびりしてないか」

「そう考えるとおかしく思えますね。少なくとも1日くらいは様子を見そうなものですけど。

 ……おなじHCUだから問題ないとでも判断されたんですかね?」

「うーん……そうなのかなぁ。まぁ、いまさらだからどうでもいいんだけれど」



■点滴■


「ただいまー」


 グラタンの焼成のために、オーブントースターのスイッチを入れに云っていた姉さんが戻ってきた。


「お帰りなさい。焼成ってどのくらい掛かるんです?」

「そんなに時間は掛からないよ。長くても20分くらいかな」


 事務所にあるオーブントースター、クッキーとかも焼けるけれど、もっぱら食パンを焼くことにしか使っていないアレでグラタンが焼けるとか、ロクに料理をしない私としてはちょっとした驚きだ。


「それじゃ、ちょっと点滴の話をしようか」

「点滴ですか?」

「そう。といっても、その内容の事じゃないけどね」

「生理食塩水と、栄養剤、それと鉄剤でしたっけ?」

「そう。まぁ、食事代わりのあれを栄養剤っていうのかどうかは知らないけど。

 で、今話すことは、その内容ではなく、点滴を“打つ”ということに関してだよ」

「はい?」


 私は首を傾げた。


「ということでミャーコちゃん。これを見て頂戴な」


 そういって姉さんは左拳をこちらにつきだした。


 ちっちゃい白い手……って、なんか手の甲が、範囲は小さいけれど青痣になってますけど!?


「なんで手の甲が痣になってるんです!?」

「なんでって、ここから点滴を入れたからだよ」

「はい!?」



:え、どういうこと?

:点滴って手の甲からいれるものなのなのか?

;いや、普通は腕からだろ

:場合によってはそういう事もあるよ

:マジか

:え、でもそれってかなり痛いんじゃないの?

:痛いと思う

:じっさい痛い

:普通はそんなところに針を刺さないし



「あー。コメントでもやったことがある人がいるのかな?

 さっきも云ったけどさ、私の血管て出にくいみたいで、採血なんかをするときは大変なんだよ」

「いや、でも、片手がダメでももう片方があるじゃないですか」

「点滴って数日おきに刺し直すんだよ。だいたい2日おきくらいなのかな? そうしないと、点滴が落ちる……えっと、体内に入らなくなるみたいでさ」

「……初めて知りました」

「私は全部で5回だったかな。失敗して打つ場所を変えたのも含めると、針を刺したのは9回くらい? 手の甲は4回目。いや、失敗をいれたら7回目くらいか」

「倍近いじゃないですか!」

「こういうとき、血管が出にくいっていうのは難儀させられるよね」


 なんだかしみじみとした顔をしてるけど……。


「痛くなかったんですか?」

「刺すときは痛いけど、入っちゃえばそうでもないよ。痛みが残ってるときはなにかしら問題があるわけだし」

「あぁ、確かに」

「ただ、いろいろとやりにくくなってねぇ。手の甲に入れた時には、私はもう一般病棟に移ってたんだけれど、食事はしにくいし、お風呂でも左手は使えないしで面倒くさかったよ。それに動きのある場所だったこともあって、翌々日には刺し替えすることになったよ」


 1日短くなっちゃったのか。なんだか損をした気分になりそうだ。また痛い思いをしなくちゃいけないんだし。


「最後に刺しかえた場所がここ」

「え、なんか微妙にズレてないですか?」

「点滴のイメージからしたら、まぁ、ズレてるよね」


 姉さんが示したのは、右腕の関節の近く。普通イメージする点滴の場所から、外側にズラした場所。どちらかと云うと、肘の左斜め下、というのが適当かな?


 とはいえ、ほぼ腕の外側だ。ここって、地味に厄介な場所じゃないかな? 出歩いた時とかに、普通にそこらにぶつけそうなんだけれど。


「ここはここでアレだったんだけれど、そこまで動くのに支障はなかったかな。まぁ、ここに刺した時には、もう24時間ずっと点滴してたわけじゃなかったけど」

「そういえば点滴ってどんな感じなんです? 時間的には」

「HCUにいた間は24時間。機械があって、いろいろと管理……監視? してたね。点滴が終わったり、なにかしらの原因で落ちなくなるとピーピー音が鳴って、看護士さんを召喚するんだよ」

「召喚って。まぁ、意味は分かりますけど」

「基本は生理食塩水。これをほぼ入れっぱなし。昼間の点滴交換の時に、栄養剤と切り替え。あ、栄養剤は1日1回ね。3日目からは、生食と一緒に鉄剤を入れたけど」

「うわぁ……大変そう」

「そこまで不便はなかったかな。トイレとかは、点滴を下げるキャスター付きのポールを掴んで移動できたし」



■トイレ■


「トイレって云ってますけど、それは絶飲食が終わってからの話ですか?」

「ん? 違うよ。えっと、いつ頃お許しがでたんだっけかな。一般病棟に移るちょっと前かな。それまでは尿瓶だよ。まぁ、あんまり回数するのもなんだなぁ、と思って、ちょっと催したくらいじゃ我慢してたけど」


 えぇっ。


「いや、そこは我慢せずに用を足しましょうよ」

「地味に面倒だし、尿瓶の為に看護士さんを頻繁に呼ぶのもあれでしょ。あとトイレもそう数があるわけじゃないんだよね。それに病室にいるとなんとなしにトイレが使用中かどうかっていうのもわかるんだよ。それもあって、用を足す回数を自主的に減らしてたというか……」



:ダメだこの姉さん

:ミヤコちゃん、ちゃんと指導して

:我慢するのは体に良くない

:入院中になにやってんの姉さん

:オムツ生活だからじゃ?

:それだっ!

:オムツ万歳!



「違うわ! オムツは一度も汚しとらんわ! そこは意地でも譲らなかったかんね。オムツしてても尿瓶だったし。トイレを我慢とかしてたのは、尿瓶を脱却してからだから、大分良くなってきたころだし」

「言い訳に成りませんよ。なにやってんですか。催したらちゃんとしないとダメです」

「ダメかな?」

「可愛らしく云ってもダメです。それで通用するのはサイコくらいです。でもそうなったら『姉さんの下の世話はボクに任せて』とか云いだすでしょうけど」

「……」

「いや、いい笑顔で黙りこくんないでくださいよ。そういや、配信前にサイコと会いましたけど、なんでか泣きそうな顔をしてましたね。姉さん、なにか知ってます?」

「あぁ、うん。それについては後でね。いま私の入院中のトイレ事情ね」

「そういや、絶飲食だったのに、出るんですか?」

「点滴で生食を入れ捲ってるからね。文字通り血液の水増しだから、腎臓がお仕事してガンガン濾して出すんだよ」

「あー……確かに」

「おしっこの量を計ってたんだけど――」

「は? なんですかそれ?」

「よくわかんないけど、おしっこの量を毎回計測してたよ。それようの機械もあってね」

「よくわかりませんが、そういうものなんですね。それで?」

「驚くほど量がでるんだよ」


 はい?


「驚くほどって――」

「おしっこ」

「……」

「いや、普通の生理現象だよ。なんで赤くなるの?」

「いや、姉さん。これ配信してるんですからね? もうちょっとこう……」

「衆人環視の下、股ぐら開かされてオムツを装着させられた私に、その程度の単語で羞恥を感じると思うの?」

「いや、そうじゃなくて、配信なんで言葉選びをですね」

「このくらいなら問題ないでしょ。で、ガンガン生食を入れているせいか、量が凄いんだよ。『え、私の膀胱、どうなってんの?』って思うくらいに」

「『うわっ……私の年収、 低すぎ……?』みたいな調子で云わないでくださいよ。それで、どの位出たんです?」

「だいたい400ccくらい。いやぁ、缶ジュースの350cc缶(サンゴーかん)がすっぽり入るサイズが、お腹にあるのかと思うとびっくりしてね」

「……」

「ちょっ、なに? さすがにお腹をじっと見つめられると恥ずかしいんだけれど」

「羞恥心を粉砕されたとかいってる人がなにを云ってるんですか。

 いや、確かに姉さんの体格を考えると、そこにそんなサイズのモノが入る空間があるとか考えると、凄いですね。

 まぁ、妊娠の事とかも考えると、そう驚くこともないのかもしれませんけど」

「ミャーコちゃん。子宮と膀胱は違うよ。膀胱は溜めすぎると膀胱炎になったりするんだから」

「……だったら尚更催したらトイレにいかないといけませんね」

「あれ?」


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