表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メモリ  作者: おろしがね大根
第1章 A.D.2349 -世界中央会議まであと7日-
15/15

1-13(第一部 了)

「後悔しないか?」

マリスは頭一つ低い位置にあるつむじに向かって言った。自分の心は決まっている。だが傍らに在る少女の決意がどれほどのものか分からなかったのだ。今ならぎりぎり引き返すことはできる。マリスやマックは無傷ではいられないだろうが、彼女は今後の扱いがどうなるかを横に置くと、情勢が情勢だけに今回の暴挙を不問に付される可能性が高い。その最後の分岐点が今なのだ。

ゆっくりと晶の顔が持ち上がり、けぶるような瞳がマリスをまっすぐ見つめる。一瞬泣いているのかと息を詰めたマリスの目の前で、晶はその瞳をまたたかせた。再びマリスを見つめた瞳はクリアに澄んでおり、その群青の中に刷かれた銀の一筋が、まるで流れ星のようだと、マリスにしては珍しく詩的なことを思い、一人赤面した。

「私が望んだことです。マリスさんを巻き込んで申し訳ありませんでした」

 再びマリスの目の前に無防備につむじがさらされる。マリスは言葉に詰まり、照れ隠しにその艶やかな黒髪をぐしゃぐしゃと撫でる。

「心にもない謝罪はやめろ。今更だろ。それにあんたは嘘だけはつかない。あいつの居場所を知ってるのも本当だろ」

 マリスを見上げた晶は、大きな瞳をふたたびぱちぱちとまたたかせる。次の瞬間には花がほころぶように笑った。

「はい」

 マリスは耳がいい。これは軍にいた頃の名残でもあるが、生まれつきのものでもある。物心ついた時から親がなく、孤児院に身を寄せていたマリスの生きるための術だった。特に嘘を見分ける力は正確で、軍でも重宝されていた。その特性ゆえに軍で施された聴覚への部分義体は、脳を焼かれるのではないかと思うほどの雑多の情報が流れ込んできて、慣れるまでは死を覚悟するほどの苦痛をもたらしたものだ。

先ほどの晶のマリスへの謝罪は方便だ。晶は申し訳ないとは毛ほども思っていない。その事実は不誠実極まりないが、彼女の言葉に嘘はない。類似した言葉で煙に巻いて思考をミスリードはするが、彼女の言葉は嘘がなかった。マリスはだから晶を信じることに決めた。『あいつ』の居場所を知りたいと思っていたのは本当なのだ。それが何年もかけて築いてきた今の生活を投げうってまでかと言われると首を傾げたくなるが、今がその機会なのだと腹を括った。

「俺のことはマリと呼べ。あんたのことは何と呼べばいい?」

 目出たくお尋ね者になったのだ。本名で呼び合うのはまずい。時間稼ぎは講じたが、気休めくらいにしかならないだろう。

「クリスタと」

 どんな謂れの愛称かと思ったが深くは突っ込まないことにした。ただクリスタと言った晶の顔が年相応に無邪気だったので、何やら思い入れがある呼称なのだろうと納得する。

「それと、あんたの護衛のあの男との関係。この後ゆっくり吐いてもらうからな」

「関係と言われても……」

 声の調子を低くし、マリスはうやむやにしないぞと眉根を寄せて晶に宣言する。マリスの言葉に晶は分かりやすく眉を下げて困ったような表情をした。

「関係ないわけあるか。俺は殺されそうになったんだぞ」

 あの時の恐怖を思い出し、ぶるりと背筋を震わせる。あの嫉妬と執着を煮詰めて濁った視線を受けてみればいいと恨みがましく思った。

 アート・フィーグルスがあの場所に来ることは予想の範囲だった。もちろん他の人間が来る可能性もあったが、一番高い確率で来るのがアート・フィーグルスだろうと言っていた晶の予想はあたった。もう2時間待って誰も来なかったら、あの場所を移動していただろう。その場合が一番安全で、そして面倒なプランだった。他の人間が来たら別のプランを選択しただろうが、重点的に打合せをした『アート・フィーグルスが来た場合のプラン』を選択できたのは僥倖だと思ったのだ。少なくとも、彼を見た瞬間は。

 ビオ・クルスを出国する方策を話し合った時、晶は、アートは彼女を逃がすだろうと言った。彼は頭に爆弾を抱えており、硝流・サラクールの意向に逆らうことはできない。だが晶が世界十か国会議を欠席することは、アルフィア・フィーグルスの生存を望むアートにとって歓迎すべき事態だと。

 あの部屋に足を踏み入れ、アートがマリスの存在を認識した時、アートは冷静だとマリスは思った。軍にいた頃の義体を施した聴覚ではないが、長年のなじんだ感覚は信じられた。彼は冷静にマリスとそして晶と交渉しようとしていた。それが崩れたのはいつだっただろうか。

「本当に今朝もあの男と会ったのか?」

「はい。今朝も会って、いつものように好きと言って振られました」

 マリスの言葉に晶はさらりと答える。まるで今の天候を答えているようだ。マリスは頭を抱えた。じゃああの探し求めてきた幽霊を見つけたかのような表情はなんなのか。

 どれほど考えても、彼の思考が変わった瞬間は、彼が晶を見たその時だと思う。マリスの影に隠れた晶を見た瞬間、アートはかすかに瞳を瞠ったのだ。

 それまでは交渉の相手はマリスだと言わんばかりにアートの意識はマリスに向いていた。緊迫はしていたが、プロ同士の腹の探り合いになっていったのは晶の予想の通りだった。このままこちらの手の内を明かしたら、アートは脳内チップに気づかれないようにこちらの動きに合わせてくるだろうと言った晶自身の言葉の通り、晶が交渉を引き継いだ。緊迫の均衡が崩れたのはあの時だったと思う。

 交渉の余地なく攻撃された。少なくとも晶を取り戻そうとした彼の動きは本気だった。邪魔をしたマリスを排除するために、モスコミュールを第二種戦闘状態に変えようとした。おそらく申請は通り、メタモルフォーゼは開始されていた。晶が強制棄却しなければ、マリスはあの恐ろしい武器によって見るも無残な残骸に変えられていただろう。

 通常執行モードに形状変化したモスコミュールに気づいた彼は、燃えるような瞳でマリスを見た。その金の瞳には燃えるような殺意が煌めいていた。

 アートに勝てたのは彼が冷静さを失っていたからだろう。そうでなければマリスの拙い演技でだませるとは思えない。

 マリスは生まれつき薬剤が効きにくい。特に麻酔は効果がない。これも軍では重宝された。ただマリス本人は薬が効かないのはすこぶる都合が悪かった。特に銃弾摘出手術の時は地獄を見た。今回はその特性が役に立った。モスコミュールの麻酔はマリスには効かないのだ。それが今回の作戦の肝でもあったのだが。アートを戦闘不能にしたとき、必要以上に痛めつけてしまった。間違っても恨みからではない。なんか怖すぎたからだ。

「アレがただの護衛対象のわけがないだろうが」

 どんなに情緒が壊れた人間でも察するだろう。おそらく晶も分かっているのではないだろうか。この件はしらばっくれても追及しなければならない。

『調査船B-Ⅱ号。ワルシエンヌ経由号に乗船のお客様。乗船を開始いたします。一番ターミナルにお越しください。その際には簡易ガスマスク装着が義務づけられております。ご準備をされていないお客様は自動販売機で販売もしておりますのでご購入をお願い致します』

 二人の会話に割って入った放送にマリスは口を閉じる。少し頷きあって、歩き出した。

 北半球において現在機能している港は30にも満たない。巨大隕石の破片が降り注いだため、隕石に破壊された建物の残骸が港の機能を破壊したための大きく分けて二つの理由があるが、この200年で復興は遅々としてすすんでいない。その理由は降り注いだ破片や岩石を取り除くには海の中の様子を見る必要があるが、その機器がそもそも不足しているから。そしてたとえ復興しても海を走る船の絶対数が少ないため、どうしても陸路の復興に力を入れてしまうからだ。

ビオ・クルスの湾岸都市はワルシエンヌただ一つだ。ここララミスにある港は小さく、外海に直接出ることはできない。調査船や輸送船などのような政府の許可を受けた小型の専用船舶が1日10便にも満たない数出入りしている。商業船は一便も出ていない。港が一つだとワルシエンヌの負担が大きいため、中継ぎとしてララミスは使われる。今回二人が乗り込む調査船も、クルルフにある企業が調査のために船を出すためのもので、ワルシエンヌで補給と給油をして正式に外海に出る。調査船がその空きを利用してワルシエンヌまで一般客を乗せるのはよくあることで、今回の調査船にもマリス達の他にも30人ほどの一般客が乗り込むようだ。

 ララミス港が細々と営業せざるを得ないのは、海水汚染にある。ララミス近海には巨大隕石が直接降り注ぎ、その鉱物が出す毒性の強い物質で、海を中心とした地域の大気が汚染されている。そのためララミスは街が巨大な一つの建物になっている。区内に入ることが許されるのは10の専用入り口のみで、自動ドアをくぐった瞬間から空は見えず、街を照らすのは人工的な照明のみになる。街を走る自動車も公共交通機関のみで、自家用車や自家用バイクは走っていなかった。一応港としての機能があるので、人通りは多かった。自動車が走る区画とは離された歩行者専用道路に人は絶えず行きかっており、お尋ね者の二人としては安心感があった。だが港施設までは巨大ショッピングモールもかくやというような明るく洗練された街並みだっのに、一歩港施設に入り、壁のモニタに映し出された海の様子を見ると、そこは暗くどんよりしていた。空は明るく晴れており、そこはララミスの隣のクルルフと同じだ。だが海の黒黒とした色はその対比でよどんでおり、まるで空までも暗く染めてしまいそうだ。波はおだやかだったが、その動きは重くまるで水というより油が貯めてあるようだとマリスは思った。

 マックによってアートが乗ってきた保安部隊の車両を奪うことに成功した。後は晶の居場所をジャミングで特定を妨害しつつ、他の保安部隊の車両の位置情報も奪う。ナルメアに晶のDチップで接続し、ログを残すことは危険を伴うが、出国するまでの時間が欲しかった。痕跡をトレースするまでは、硝流・サラクールは晶の行き先は海路か陸路か航路か絞ることは難しいだろう。

 ガスマスクを装着し、ゆらゆら揺れる小型船に二人で乗り込む。見上げた空は青く澄んでいるがやはり海は黒い。この先に待つのは何なのか。胸中にわだかまる恐怖のような高揚のような不思議な衝動を抑え、マリスは小さな船に乗り込み、一歩を踏み出したのだった。


第一部 了



□□ララミス□□

ビオ・クルス首都クルルフの隣の都市。海に面しており、その海からの有害物質から守るために街全体を一つの建物とした。そのため街はクルルフの5分の1の大きさ。計画的に都市開発されており、自動車と歩行者の通る道を完全にわけてある。自動車は公共交通機関かララミス支庁に許可された許可車両のみ走行を許される。二輪車全般は禁止。

小さな街だが、生活に必要なものは揃っており、商業区とは切り離された居住区にも5万人の人が住んでいる。

港は汚染されており、港施設から海に出る時はガスマスクの装着が義務付けられている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ