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第八十一話『ふたりぼっちの夜に』

 アブラナさんは無事、マリアナはどこへやら。フェンリルは、灰になって空へ消えていった。

 空に架かっていた大雲は、猫の咆哮によってぽっかり穴が空いた。寂しげな街を星空が覗いている。


 避難した住人は、まだ戻って来ていない。

 雪の積もった住宅街を、ガス灯だけが静かに夜を照らしている。

 ガス灯はいくつか折れてしまっていたりと、フェンリルの爪痕が深く残っているが別にどうということはない。


「モル」

「……」


 雪だるまを作っている人影に近づいて、ガス灯の明かりに照らされたその人の名前を呼んだ。


「志東さん」

「今日は、何かいいことありましたか」


 モルは困ったような顔をしてから、雪だるまの頭を地面に押し落とした。

 雪の頭が潰れた音がした。


「……」

「……」


 風は吹いていない、無風だ。

 風でも吹いていれば、葉の揺れる音で幾分か気が紛れただろうに。


「志東さん、怒ってない?」

「何に対して怒っていいのかすら、分かっていませんよ」


 僕の懐が深い理由は、嫌な事はすぐに忘れるという都合のいい脳を持ち合わせている所にある。

 都合の良い脳なので、都合の悪いことは忘れてしまう。なんだか、理に適った話だ。


「殺そうとした」

「ああ」


 そうだったかな、それより非常識なくらい大きいフェンリルに殺されかけたことの方が印象に残っていて。

 いまいちピンと来ない、確かにそんな夢を見たような気もするが霧が掛かっていてハッキリと思い出せない。


 濃霧だ、霧が深い。霧なんて手で掻き分けて、どうにかなるものじゃない、この霧が晴れることも無さそうだ。


「まあ、気にしてませんよ」


 気にしてないというか、気に留めていない。

 すっぽり抜け落ちている訳でもないし、どちらかというと、どこかでつっかえている感じだ。


「帰りましょうか」

「うん」


 僕の差し伸べた手を、そっとモルはとった。

 素手で雪だるまを作っていたモルの、手の冷たさを感じることはできなかった。手を繋いでいるのに。

 そこで僕は気がついた。


「どうぞ」

「……うん」


 手を繋いでいる方の手袋を、モルに渡した。

 手袋を外すと、やっぱり夜の空気は冷たかった。

 普段なら、考える前に僕の手を取って駆け出すモルが、控えめに期待を込めて僕を見上げている。

 僕はその所望を受けて、また手を繋ぎ直した。


「手、温かい」

「まあ、生きてますから」


 そうしてふたりは、静かな夜の底へ向かって歩き始めた。





      〇




 街より少し高いところにある、大理石の洋風な家。

 歩いてここまで来たおかげで、寒さは和らいでいた。それどころか、少し暑いまである。

 家の扉は閉まっている、明かりは無く夜闇に鎮座している、その雰囲気はなんだか不気味だ。


 人の気配を感じていた僕は、モルにその場で待つように指示をして扉に近づいた。

 誰かが、扉の向こうに居る。疑念は確信に、警戒は戦意へと形を変えた。


 扉を開けるべきか、そもそも敵なのか。ここはミミさんの家、ならミミさんが靴紐を結んでいるとかメイドさんが掃除しているとか。


 けど、嫌な予感がする。

 ドアノブに手をかけた、けれどそのまま開けていいものか迷うような言い知れぬ雰囲気。

 嫌な雰囲気だ、殺意に似た何か。けれど、宛を無くして彷徨さまよっているような。

 相手が居ない殺意なんてものは、存在しない。だから、これは殺意とは別の何かだ。


「入りますよー……」


 扉を30センチほど開けたところで手を止めた、家の中の、というよりも玄関の景色が目に入ったからだ。


 ミミさんが居た、座り込んでいる。膝の上に何かを乗せていた、それは大きくて膝の上には納まっていなかった。


 それは肉だった、腐っている。

 それは深々と肉を貫いている鋼の爪だった、腐った肉が抱え込んでいる。

 それはメイド服を絡めていた、月明かりが照らした。

 それは誰なのかすらも分からない、しかし、けれど、だけど、されど、それは、彼女だ。


「入ってこないで」


 ミミさんはそう言ったけれど、しかし振り向きはしなかった。

 何か喉元に熱いものを感じて、ドアノブを握る手に強く力が入った。僕は静かに、扉を閉めモルの元へ戻った。

 確信は幻滅に、戦意は眠気に形を変えていた。

 星空が、少し騒がしく見えた。


「引き返しましょうか」

「また歩くの?」


 どこから持ってきたのか、木の枝で雪に絵を描いていたモルが心底嫌そうに唸った。

 雪上には、くるくると渦巻きが描かれている。特に、意味は無さそうだ。


「おぶりましょうか」

「ううん、大丈夫」


 モルは木の枝を雪に突き刺して、立ち上がった。

 僕と目が合って、彼女は花が散るように、美しく微笑んだ。


「志東さん」

「はい」

「私、志東さんのこと好きだよ、ちゃんと」


 モルは、そう言った。

 ぎこちなく、彼女は笑った。

 月明かりは、滲んだ血を彩っていた。


「それは、どうも、ありがとうございます」

「うん」


 夜の黒空に、星々が寂しそうに落ちていた。

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