ベイビーステップ5
「平に、平に容赦を」
ラグレスさんは眼を強く閉じている。力を入れすぎて脳みそみたいな皺でいっぱいだ。
「一部の異界人って昔は信仰されてたんだよ。とうさん、火酒でいい?」
「こんの馬鹿娘! 敬語を使え、家追い出すぞ!」
「はいはい、目を瞑るのいいからこれ、ほら」
ラグレスさんはミアから酒瓶と布を奪い取ると、布を酒で浸し、目隠しをした。手探りで近場の短刀を手に取る。
「おぉおおおおお!」
俺が叫ぶのも無理はないと思う。彼は短剣で自分の左手を切ったのだ。彼は唱え始めた。ミアもくすねるように父親の手のひらから血をひと掬いし、まぶたに塗る。
「私は誓います。朝に金鶏、夜には銀琴捧げます。朝日が珠に朱を張るまで貴方のあまねく財貨を守りましょう。私に息子がいれば家守を、私に娘がいれば祭祀の御祓を手伝うでしょう」
唱えるのは呪文、いや祝詞の一種だろうか。手から流れる血を指に付け、目隠しに塗ると、赤熱した鉄棒に傷口を押し付けた。
低い呻きと肉の焼ける音、匂い。すこし具合が悪くなる。
鉄棒から手を離し、目隠しを解いたラグレスは立ち上がった。
「うちの馬鹿娘が礼儀知らずですみません。これを終えて私たちは話が、言葉を交わすことができるんです、ウルクの託宣者様」
「あの、ミアさん!?」
「マナ、落ち着いて。うちのとうさんは特に信心深いだけだから。昔気質の鍛冶屋って奴。伝統なの」
「ったく……せめて敬意をもって接しろ、ミア」
「わかったってば」
ラグレスさんは鍛冶道具を軽く整頓したあと、上着を羽織った。
「まさか家族会? この間やったでしょ!」
ミアの剣幕に対してラグレスは深いシワを湛え、言い放つ。
「金欠なのはわかっている。だがウルクの宴なら各々の長も金を出してくれるだろう。心配するな」
ラグレスさんがこちら向いた。
「マナ様、少々お待ちになっていてください。ウルク再誕の会を設ける準備ができるまでうちの娘にもてなすよう言って聞かせますので。わかるな? ミア」
「お、お気遣いなく」
「いえ、そういうわけには参りますまい。直ぐに来られる32の部族を直ぐに集めます」
すっげぇ嫌なんだけど。誕生会もいやなのに、知らない人に担ぎ上げられてマンモス級のホームパーティの中心人物とか。陰キャ死ぬぞ?
「贈り物ならなにがよろしいでしょう? やはり金塊を溶かした玉璽がよろしいか。伝統に則るのなら生娘もいい。ウルク様ならば初めてを捧げたい娘の十人や二十人は軽く」
「美味しい食べ物でいいですそれ以外はいらないですあとお願いですから普通に接してくださいこころがこころがこわれてしまいます」
へいこらされてドヤ顔なんてラノベだけだ。リアルにやられたら変な汗が出る。気色悪い気色悪いいやだ。
「あぁ、なんならうちの娘でもどうです? この年にもなって男一人と噂になったことも無いと来て、恥ずかしいのなんの。ウルク様が相手と来ればこりゃ名誉だ! はっはっは!」
「父さん!」
「じゃあ頼んだぞ、くれぐれも退屈させないように」
ラグレスさんは揚々と家を出る。変な空気を場に残して。
「ごめん」
ミアの顔は赤らんでいた。俺の顔はたぶん青ざめていいるだろう。
「俺みたいなのはウルクって呼ばれてるんだね」
「あぁ、うん。あなたの年齢でそこまで卓越した技術を持ってるのは数百年に一度の逸材、しかも血統魔術と来ればね。本当は鍛冶の大会王者をウルクとして三年に一度祭りをするんだけど、本物が来ちゃったから。ウルク、ヴァルカ、私たちハイドワーフが崇めてる神様の名前だよ」
「どんな神様なの?」
「あー、聞いちゃう?」
ミアは床にこぼれた酒を拭きながらすこし唸る。
「誰にも見向きもされない不細工、卑屈、卑怯、金が大好きな強突張り」
「うわー」
「でも治金技術に関してどんな神様にも負けない腕前を持ってる。片目は鍛冶場の溶鉄の光で焼き、もう片方は愛しい人の為に潰した盲目の神様。最愛の人を妻にする為、外見を気にしていた彼女に『見られるのが嫌ならば』って言ってさ。ロマンチックでしょ?
私、古臭い伝統は嫌いだけどウルクは好き。残ってるおとぎ話も笑い話がおおくってさ」
「嫌な部分もあるけどいい神様なんだね。凄く人間臭い」
ヴァルカ。実際に鍛冶の神様で似たような神様がいたな。この世界にも伝承されているというのはおもしろい。日本人もいたりして。
「そんな霊験あらたかぁーなウルク様のお口に合うかはわかりませんが、野菜スープなどいかがでしょうか? ふかふかパンもございます」
ミアがうやうやしくお辞儀して見せる。
「まじで? やったぁ! 俺感激だよ、まともな食事久しぶりだからさ!」
「それじゃ、腹いっぱいになるまで食べよ!」
彼女の笑顔が眩しかった。うん、こういうのが最高。ひとん家で仲良く残り物食べるとか友達っぽくていいね。