⑶
核心をつく言葉がついに澪岡の口から放たれた。
横領の事実に気が付いてたなら、もしかしたらとは思ってたが...。
「マスター。ギムレットを」
俺は澪岡が奢ってくれた半分ほど残っていた酒を下げてもらい、飲み慣れていた酒を頼んだ。
澪岡には申し訳ないとは思ったが、もう飲む気にはなれなかった。
「澪岡。申し訳ないが、それは出来ない。」
澪岡は何も言わずに腕組みをしながらカウンターを見つめていた。
俺はカウンターに置かれていた店名入りの紙ナプキンを取り、足元に置いてあった自分の鞄の中から
ボールペンを取り出した。
紙ナプキンに丸を幾つも書き出して、それを澪岡の前に置いた。
① ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
② ○ ○ ○ ○ ○ ● ● ● ● ●
③ ○ ● ● ○ ● ○ ○ ○ ● ○
「澪岡。この白丸はコインの表。黒丸はコインの裏。十回連続で投げた結果がこれだとして、
この中で一番起きる確率が高いのはどれだと思う?」
自分は真剣な話をしているのに、俺がふざけていると思ったのか、澪岡は不機嫌そうな表情で
紙ナプキンを何も言わず眺めていた。
「③じゃないのか。」
澪岡が答えたのとほぼ同時にギムレットが俺の前に置かれた。
「だよな。実はな全部同じ確率なんだよ。結果問わず二分の一が十回連続で
千二十四分の一になるんだよ。」
「...なるほどね。不思議だな。」
俺はギムレットを飲んだ。飲みなれた味が口の中に広がっていた。やっぱりこっちがいいな。
グラスを置くと紙ナプキンをもう一枚取った。先程と同じように丸を書き澪岡の前に置いた。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ● ●
「さっきと同じで九回連続投げた結果だとして、次に表が出ようとも裏が出ようとも
最終的な確率は一緒なんだよ。人生には幾つも分岐点がある。『はい』か『いいえ』、『右』か『左』、
『やる』か『やらない』。二択の連続なんだよ。『自分だけがラッキー』とか
『自分だけが何をやってもうまくいかない』。『自分だけが』って事はないんだよ。
結局は発生確率なんて表だろうが裏だろうが一緒なんだよ。俺はお前でもあり、マスターでもあり、
あそこのカップルでもあるんだよ。この中の誰が誰になってたとしても不思議じゃないんだよ。」
「何が言いたいんだ。」
澪岡ははっきりと俺を睨みつけていた。こいつのそんな目を初めて見た。
「お前と俺に差なんてない。それなのにお前に何で裁かれなくちゃいけないんだ。
お前は何者なんだよ。何者でもないんだよ。そんな奴に何を言われようとも俺は自分の投げた
コインの裏表を変えるつもりはないよ。」
俺はギムレットを飲み干し、喉の疲れを回復させた。
「...そうか。わかった。」
澪岡は俺が丸を書いた紙ナプキンをくしゃくしゃと丸めた。
「マスター。ニコラシカを。」
澪岡はオーダーを伝えると丸めた紙ナプキンを上着のポケットへ入れた。
「俺もギムレットを。」
俺たちのオーダーした酒が出てくるまで、お互いに一言も喋らなかった。
澪岡の目は先程の鋭さは消えてなくなり、力強さだけを残して元に戻っていた。
俺はというと、今日中にどうやって澪岡を殺そうかと考えていた。
恐らく、こいつは本当に証拠を持っているし明日警察へ行くだろう。
この後どこかへ誘って...。いや、もしくは道路か駅で後ろから...。
「おまたせしました。」
二人の前に同時にグラスが置かれた。
二人は何も言わずに一気に飲み干した。