⑵
「大原。俺な。明日警察に行こうと思ってんだ。」
「は?」
まだ一杯目だ。酔うにはお互い早かった。澪岡の言い間違いでも、俺の聞き間違いでもなさそうだ。
「どうして...。」
「...内部告発をしようと思ってんだ。」
そう言うと澪岡はそんなに酒が強くないのに残っていたウイスキーを一気に飲み干した。
「何言ってんだ。お前。」
澪岡は大きく溜息をついた。空のロックグラスの横に置かれたチェイサーに手を伸ばし、
一口飲むと顔をこちらへ向けた。その目は冗談を言っているようには、とても見えなかった。
「横領だよ。本社の中に会社の金を横領している人間が居るんだよ。」
俺は澪岡と顔こそ合わせていたが、何を言っていいのか言葉が出てこなかった。
「俺は今、コスト削減の戦略実施の仕事をしているんだが、その過程で不審な金の流れを見つけたんだ。
誰が犯人かわからなかったから、上には報告せずに一人で調べ始めた。」
澪岡は一度話を中断し、マスターにおかわりを注文した。そして、再び話し始めた。
「ある程度の流れを掴んだ後、社外の探偵みたいな所にも調べてもらって横領犯の正体を見つけた。
PC内のデータや書類のコピーにと証拠も揃えた。それが三日前だ。」
ここでマスターが澪岡の前のロックグラスを新しいものへと変えた。
澪岡は新しいウイスキーで緊張と疲れで乾いた喉を潤した。
俺は既に酒などどうでも良くなっていた。澪岡の話の続きが気になって仕方なかった。
それとは別に頭の半分では全く別の事を考え始めていた。
「三日間考え続けた。俺はここまで上司に相談していなかった。このまま握り潰すのか、
上司に報告するべきなのか...。俺が掴んだ犯人は単独犯だったけど、もしかしたら会社の誰かと、
特に上層部の人間と繋がっている可能性もあると思ってた。」
「確かにな...。」
俺は目の前のロックグラスの中で小さくなってしまった丸い氷を見つめながら呟いた。
ほとんど無意識だった。澪岡も悲しそうに俺のロックグラスを見つめていた。
その悲しみは自分の奢った酒の末路を憂いているのか、それとも...。
「色々考えた結果、やっぱり俺には握り潰すことは出来ない。それに信頼できる人間もいない。
だから俺は告発をすることに決めたんだ。」
再び、澪岡はウイスキーを一気に飲み干した。まだ大きな丸い氷がロックグラスの中を
カランと音を奏でながら舞った。
「大原。俺が何でこの酒を頼んだと思う?」
「強い酒だからか?」
適当に即答してしまった。でも、そんな事さっぱりわからなかったし、
今は考えられる余裕もなかった。
「この酒のラベルにな『強き者にとって、この世に困難はない。』って書かれてんだ。
なんかこれを飲んだら勇気を貰えると思ってさ。」
横で話し続ける澪岡をしり目に俺はロックグラスを見つめたままだった。
「俺な。犯人に自首してほしいんだ。人として、同僚として...。」
ロックグラスの中の氷はもう無くなっていた。琥珀色だった中身も透明な水のようになっていた。
「だから今日はお前を誘ったんだ。大原。お前にも『強き者』になってほしいんだ。
大原。俺はなお前に自首してほしいんだよ。」