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こいつと酒を飲むなんて何時振りだろうか。記憶が確かなら二人きりで飲むのは二回目のはずだ。
しかも、こんなご時世に酒を飲みに行こうなんて言われるとは思いもしなかった。
場所も女性を連れ込むような、こんな洒落たバーに連れてこられようとは...。
「澪岡。今日はどうしたんだよ。」
二人はカウンター席に並んで座っていた。店内をまっすぐに伸びるカウンター席は全部で八席。
今いる客は俺たち二人と二席離れた所にいた男女一組の計四人だった。
「急に悪かったな大原。実はお前に聞いてほしいことがあってな。」
この澪岡とは同期入社だった。仲が特別に良かったと言う訳ではなかったが、
社内で顔を合わせれば他愛もない話をしたり、昼飯を一緒に食べに出たりもしていた。
「構わないさ。取り敢えず何を飲む?」
俺はカウンターに置かれていた手書きのメニューを手に取った。
「ありがとな。今日は一緒に飲みたい酒があるんだ。奢るから付き合ってくれるか?」
意外な言葉だった。澪岡はあまり自発的な方でもなければ、自己主張を貫き通すと言うタイプではなく、『取り敢えずビール』と言うタイプだったはずだ。
「ああ。付き合うよ。」
「よし。マスター。グランドマニッシュをロックで二つ。」
聞き慣れない酒だ。ロックと言う事はスピリッツの何かなのだろう。
マスターと呼ばれた銀縁眼鏡にカマーベストを着こなした男性は『かしこまりました。』と呟くと、
バックバーから変わった形のボトルを取り上げた。あの色はウイスキーだろうか。
ボトルは胴体の両端の一部が凹んでいて持ちやすそうな変わった形をしていた。
ボトルに見惚れている内に酒は俺たちの前に置かれていた。ロックグラスの中に広がる琥珀色の
海の中でぷかぷかと綺麗に成形された丸い氷が気持ち良さそうに漂っていた。
「乾杯。」
「おう。」
澪岡と俺のグラスが軽くぶつかり合ってカンと音が鳴った。それを合図に久し振りの酒を味わった。
あまり好んでウイスキーを飲む事はなかったが、不味いとは思わなかった。
甘いバニラの香りとウイスキー独特の燻製のような香りが鼻を抜けていった。
「美味いか?」
「まあ。美味いのかもな。普段飲まないから正直わからんがな。」
奢ってもらっている立場で悪いとは思ったが、変に気を使わずに正直な感想を伝えた。
それを聞くと「そっか。」と言うと笑いながら自分の酒を飲んでいた。
その表情は美味そうにと言うよりは何かを噛みしめるように飲んでいるように見えた。
俺たちは大手外食チェーン店の本社に勤めていた。昨今の社会情勢の影響を受けて
良い状態とはとても言えなかった。
悪い事にディナーメインの営業だったせいで営業時間短縮の影響をストレートに受けていた。
勿論、日々の来客ベースも下がっていた。更に追い打ちをかけるように国の対策が中小及び
個人経営以外は補助金が出ないと言うものだったのだ。
店舗運営が大変なのは重々承知はしていたが、本社は本社で疲弊していた。
連日連夜の対策会議、抜本的なコスト削減の実施、勤務時間や体制の見直し。やることが山積みだった。
そのため、ゆっくりと仕事帰りに酒を飲み交わしたり、カラオケで騒いだりするということは
無くなっていた。
そんな中で美味い酒をゆっくり飲めるこんな機会を噛みしめたいという気持ちはわからなくもなかった。
だけど、澪岡の真意は全く別のところにあった。