08. 差し迫るゴブリン
明朝。分厚い雲が連なり、空は浮かない薄墨に覆われていた。
「なんだか鬱陶しい天候だなぁ」
大柄の禿げ男――ボールが愚痴をこぼす。
静かにできない性分の彼は、先ほどから何度も愚痴を繰り返していた。ケイルらにとっては慣れごとのように聞き流していたが、都度、アルマだけは几帳面に相槌を返していた。その無用な気遣いに、ケイルはやや面白可笑しく聞いていた。
「そういえばアンタの連れは来なかったんだな」とボールは思い出したように尋ねた。
「彼女は私と違って戦いはできないんです」
「綺麗な人ですもんね」
ケイルがそう言ったが、容姿は関係ないとアルマはツッコミ、なら私は不細工とでも言いたいのかと、心の中で返す。
「どういった関係なんですか」とケイルは続けた。
ご主人様と家来とは言えず、ただの友人とだけ返事を返す。余りアリサに触れられたくないアルマは、適当な話題を切り出した。
「ケイルさんたちこそ、傭兵仲間なんですか?」
「俺とケイルはそーだぜ。昔からの戦友で、コイツはあんたと同じで今回知り合ったヤツだ」
ボールが親指で青年――ヤムを指差す。
「ヒロっとして大丈夫かと思ったが、意外と細けぇとこに目がつくんだよ。なぁ、ケイル」
「お前が極端に脳筋過ぎるだけだよ。でも実際、ヤムがいて助かってはいるが」
評価されたヤムは当然といった面持ちで、特に謙遜する素振りもなかった。
「僕は傭兵じゃなく、冒険者だからね。探索力はトーゼン」
「その年頃で冒険者はそう多くない」とケイルが感心し、アルマもそれには同意する。
「でも、冒険者ならどうして今回の討伐に参加しているんだい」
冒険者の方が稼げるだろ、とでも言いたげにケイルは尋ねた。
「んー、まぁー。ガキだからって、見下す奴がいてね。それでー、んー、元のチームから外れて、仲間を探そうかなって」と言葉を選ぶようにヤムは話すが、歯切れは何処か悪い。
「そうだ! 今回役に立ったら僕の仲間にしてあげようか」
「はぁ?! んな生意気なこと言ってるからハブられんだぜ」
「ハブられてないしッ。こっちから見限ったんだよッ」
遠慮のないボールに対し、ムキなって詰め寄るヤムだが、その過剰とも言える態度を見れば、痛い図星であると容易に想像はついた。
そんなやや緊張感に欠ける二人を、ケイルが納めるように割って入った。
「ボール、そこまでにしとけよ。今回は彼のおかげで早期にゴブリンの位置を絞れただろ」
確かにヤムの観察力は秀でていた。土地勘のない彼らが場当たり的な行動にならず、短い期間で目星をつけられたのはヤムの功績だといえる。自信家な性格は欠点と言えるが、それに見合った働きではあったのだ。
そのヤムが先導する道筋は、夜中に通り去った雨で土砂の足場が泥濘み、やや前方に上がる斜面により足元は心許ない。加えて高さのある木々と暗灰色の雲に蓋をされ、視界も狭い。
ゼナブ村へ続く街道から幾分か反れた森林地だが、村の輪郭は少しぼんやりと歪むほどの距離ではあった。
「さて、この辺りだよ」とヤムが立ち止り、皆の方に振り返った。ケイルが頷き、周囲を軽く見渡した。
「ツイてない空雲と思ったが、これは逆に好都合かもな」
「どういう意味ですか?」
いまいち要領の得ないボールの感想に、アルマはつい問い返してしまう。
「僕はね、ちょっとした探索の魔法が使えるんだよ」
ヤムは周辺の魔源に触れることで、周囲の物や動きを感じ取ることができるのだ。互いに位置が捉えにくい状況下においては、彼らが優位という意味である。
前方を探るようにヤムは片手を前に突き出し、やがて慎重に歩を進め始めた。ヤムの動きに合わせ、アルマたちも黙って従う。
先だって進むヤムの背中を気にしつつも、アルマ自身も周囲の警戒は怠らなかった。
ヤムが若干肩を震わせる。歩みを鈍らせ、目をそっと閉じた。ケイルが先ず気づき、そして、アルマたちがゆっくりと近寄った。
「いたのかよ」とボールが小声で尋ねるが、ヤムの反応はない。けれど、何かあるのは明らかである。
しばらくの無言の後、ヤムがケイルに伝える。
「いるね……。六――いや、五か、こっちに近づいてるよ」
「ゴブリンか?」
腰の手斧に手を添え、ボールは辺りを睨みつけるように一瞥した。
「姿までは無理だけど、こんな所をウロついているのは普通じゃない」とヤムがそっと前方を指さし、「この先に開けた場所があるから、迎え撃つならそこが良い」
ケイルが頷き、ヤムが先行する。ヤムが指示するように、森林の切れ目のように、戦うには充分な空間が目先に広がっていた。
「ゴブリンの様子はどうだ?」
切れ目から手前の位置に陣取り、ケイルは確認をする。
「このままこっちに来るよ」とヤムは右手方向に注意を促した。
まだ姿は確認できないが各々であるが、幾分か緊張により汗が滲み出る。
「ボール、先行で一匹は任せた」とケイルはボールに目配する。任せろ、と頼もしい一言を述べ、ボールは手に持った手斧に力を込めた。
「僕とアルマさんでもう一匹。ヤムは様子を見てどっちかのフォローを頼んだ」
アルマはロングソードを引き抜き、ゆっくりと差し迫る目の前の影に集中した。