06. 森林を抜けて、揺れる心情
寝息を立て無防備なアルマの横顔を、朝日が照らし出す。寝苦しそうにモゾモゾとし始める姿を後目に、唯一、旅の身支度と持参した書物をアリサはそっと閉じた。
よく晴れた空の下、アリサは気持ちよさそうに上体を伸ばし、そして、欠伸を漏らした。
「アリサ、おはよう」
目を擦りながらアルマは気怠そうな動作で身体を起こす。顔だけを動かし応えたアリサの横顔に、アルマは見惚れるように目が離せないでいた。
黒髪から覗く横顔は、陽光に照らされて艶めかしく映える。反対に、寝起きの顔と癖のある乱れた髪を想像した彼女は途端に恥ずかしくなる。
「汚れた手で触るから、顔に土がついてるわよ」
容赦のない追打ちに、顔を洗う猫のようにゴシゴシと慌てた様で顔を拭き取るアルマ。自分でも赤面しているのが分かるほど、顔中が熱い。
「さて、さっさと街道に出てて村に行くわよ」
そんな心情とは裏腹に、アリサはそそくさと立ち上がった。身支度もままならないまま、アルマはその背を追いかけて行った。
「アルマ、地図を貸して」
やっとのことでお目当ての街道へと抜け出た二人。受け取った地図と空を眺め、アリサはある程度の方角を確認する。
「このまま右手に進めばゼナブ村に着くかしらね」
「へー、アリサ。それで位置がわかるんだね」と率直に感心するアルマ。
「まー、大体勘よ。出発した村から殆ど一本道なんだから、間違ってもどっちかの村には着くわよ」
指でなぞった道筋に、さすがのアルマも納得した。
「手前が丘みたいだから、道が合っていたらそこで分かるかなぁ」
ゼナブ村へ差し掛かる手前で、左へ反れる道が丘へと伸びている。
「細かいことは考えなくても、歩いていれば誰かに会えるわよ。それに村から馬車も出ていたから、途中で通りかかれば――」とアリサはローブのフードを手早く被り、顔を伏せた。
噂をすればというタイミングで、馬車が二人の視界へと入り、思わず二人は顔を見合わせた。
「アルマ、ゼナブ村に行くなら交渉しなさいよ」
「えー、アリサも一緒に行ってよ」
「なに人見知りになってんの。主人のために働きなさいよ」
何か言いたげなアルマを無視して、アリサはグイグイと強引に背中を押し出した。
「それにアタシが魔女ってバレたら、いけるモンもダメになるでしょ」
魔女であることを理由に、アリサは忙しくも小声で諭す。
「首筋の印は隠せても、コイツのせいでどんなけ不憫な目にあってきたか……」
最後にはオイオイと泣き真似を見せつけられ、アルマは面倒臭くなり諦めることにした。
馬車の男は嫌な顔ひとつ浮かべずに、アルマの申し出を快諾した。
緊張した顔つきのアルマと対照的に、フードを深く下げ無言で立ち尽くしたアリサ。馬車の男は幾分か様子を伺う素振りであったが、フードを脱ぎ屈託のない作り笑顔で返したアリサに、馬車の男はダラしなく表情を崩した。
アルマはムっとした。ムっとしたのは、アリサの瞳が他と遜色ない黒目となっており、先ほどの話は嘘だと理解したからである。
馬車の荷台に腰を掛けたアリサを不服に見下ろすが、
「早く乗りなさいよ、ぐずぐずしていたら迷惑じゃない」と変わらぬ口調でそっけなく答えるだけであった。
ガタガタと揺れる馬車にアリサは次第に心地よさを感じ、何度か欠伸を漏らす。しばらくは目を擦り体制を変え睡魔に抵抗していたが、とうとう小さな寝息を立て始めた。その寝顔をそっと盗み見るように覗き込んでいたアルマに、
「お二人も討伐に参加ですか?」と馬車の男が不意に問いかける。
「討伐……ですか?」
「あれ、違いましたかね」
「私たちはオストリア王国へ向かう途中なんです」
「へぇー、オストリア王国ですか。ここからだとまだ先になりますねぇ」
「討伐というのは?」
「半月前に村の周辺でゴブリンが目撃されたんですよ」
「ゴブリン、ですか」
「ええ。幸い村への被害はまだないんですが、野生の動物が襲われ、その痕跡が段々と村の近くで見つかってきてね。いつ村を襲うとも限らないので、それで村の者が傭兵を集って討伐って話なんですよ」
「でも、そういう時は都市や国から討伐隊が派遣されるのでは……」
「それがどうもこうにも……。ゼナブ村を越えた先にリリリアって町があるんですが、その付近にも魔物が現れているようで。そっちに兵が集められているって話のようですよ」
「村に回せないほど、何でしょうか?」
「どうでしょう。でも、実際に来ないってことは、そういうことじゃないですか。ゼナブから少し距離はありますが、そっちも物騒じゃあ、早く退治して欲しいものですよ。商売もありますから、こっちが襲われたんじゃあ溜まりませんからね」
衛兵であったアルマにとっては、他人事と捨て置くには気が引ける話ではあった。だが、引っかかる部分もある。リリリアに出現している魔物が不明ではあるが、兵が回せない事態に納得がいかなかった。確かにゴブリン程度ならば、傭兵と呼ばれる者たちで討伐自体は普通である。
ただ、管理を行う都市や国が傭兵なりを派遣・支援する形が一般であり、村が自主的に傭兵を雇うことは一般的ではなかった。一方を捨て置くような状況はおざなりとしか言えず、アルマにとっては苦く忘れたい胸の内をくずぶられる話であった。