05. 初めてのご奉仕
陽が完全に沈み、深閑とした森の中。アリサの唱えた魔法が、光源となり周囲を照らしていた。フワフワと浮遊する火の玉のようなその光源に、アルマは感心したように話す。
「夜になったときはどうしようかと思ったけど、凄い魔法だね、アリサ」
「そんなはしゃぐ程でもないけど、人からすればそう映るのね」
アルマはじっとその光源を目で追う。上下にゆったりと揺れ、時折、二人の姿を確認するように振り返る様が仔犬を連想させ、じわじわと愛着が芽生えていた。
「ねぇねぇ、触っても大丈夫かな」とアルマは意味もなく小声で尋ねる。
「好きにすればいいけど、後で文句を言わないでよ」
つれない回答にお預けを食らった仔犬のように、アルマは残念がった。
「適当に歩いてるみたいだけど、アリサは道分かるの」
「街道から大きく右手に外れてるから、そっちの方角を目指せばその内に街道へも抜けれるでしょ」
「え、そうなの?」
「地図見ながら歩いて、何で把握してないのよ」
「街道に出れる小道を歩いていたつもりなんだけど、いつの間にか……。あれ? 何で地図を持ってるって知ってるの?」
「そりゃ、地図を見ながらブツブツとうわ言みたいに独り言を垂れ流して、明後日の方角に歩くマヌケなアンタを見たからよ」
「最初から道を外して、森の中を彷徨っている私をずっと見ていたってこと」
「蛇の巣穴に突っ込んで行くとこもね」
補足を加え答えたアリサに、アルマは非難の目で訴えた。
「だって、案内も出てるのにわざわざ避けて、訳も分からない脇道に入って行ったのよ。何か目的でもあるのかと思ったけど、その反応だと本当にただのマヌケだった訳ね」
逆に反撃を受け、たじろぐアルマ。事実なだけに何も言い返せないが、それでもアルマは苦し紛れに反論する。
「だったら迷ってる所で声を掛けてくれたら、黒い大蛇に襲われることもなかったし、アリサの家来にだって―――」
そこまで話してはっとアルマは気づいた。
「もしかして、わざと家来にする為にずっと黙ってついて来てたの」
「さー、どうかしらね」
否定も肯定もせずアリサはからかうような声色で、アルマを見ようとはしなかった。
周囲が見渡せるほどに森林地帯を抜けた二人は、踏み荒らされた痕跡のない野草の場所で、夜を明かすことにした。
アルマは持っていた干し肉と乾パンをアリサに分ける。二人で食するには物足りない量であったが、食欲よりも疲労が勝る状況においては、特に不満ではなかった。それよりもアルマが更に感心したのは、また、アリサの魔法である。
この場に行き着くまでに水を飲み干してしまった二人であったが、アリサが革袋へ手をかざすと、たちまち透明な水に満たされたのだ。手渡された革袋を受け取ると、アルマは僅かながらの抵抗感を抱きつつも、ゆっくり口元へと運んだ。
冷たい感触が口内に広がり、喉を過ぎ通る。気がつけば革袋の中は再び空になっていた。それほどにアルマの喉は渇いていたのだ。その勢いにアリサは微笑し、また革袋へ水を補給する。
「アリサの魔法ってやっぱり凄い。何でもできるみたい」
「大したことじゃないわよ」
「食べ物とかも魔法で作れたりするの?」
「それはムリムリ」
「だよね」とアルマは落胆した。
喉が潤い、お腹に物を入れると、想像以上に自分が空腹であることが実感でき、中途半端な食事が一層ひもじさに拍車を掛ける。そんな虚しい欲望を紛れさそうとアルマは続けた。
「アリサは何でここにいるの?」
「ここに用はないわ、オストリア王国に向かっている途中よ」
「あ、同じだ」
「そう。ま、王国自体に用があるわけじゃないけどね」
「じゃあ、何?」
「……ちょっと会いたい奴がいるの」
次の言葉はない。
「そういうアルマは?」
問い返されたアルマは、経緯を素直に話し出す。
「―――それで辞める前にさ、周りの人にさ、両親が病気とかさ、身を固めようとか適当に話したんもんだから変に話に尾ひれがついちゃって……。それで居づらくなって飛び出したんだけど、懐も余裕がないから取り合えず大国にいけば仕事もあるかなって思って」
アリサはその話を可笑しそうな面持ちで聞いていたが、とうとうケタケタと笑い出した。アルマ自身も誇れる事情ではないので、アリサの反応に今更どうこうケチをつけるつもりはない。それよりも、まだ距離感を抱くアリサが率直に感情をさらけ出したことが、アルマにとっては嬉しかった。
「アリサ……笑いすぎだよ」
「だってさぁ、アンタって、周りに流されそうよね」
「否定はできないけど」
「でもよかったじゃない。仕事探してたんでしょ」と目尻の涙を拭い去るアリサ。
「魔女の家来なんてなりたくなかったよ」
「え~、ご主人様の目の前でそんなこと言っていいのかしら」
アリサが不敵な笑みを浮かべる。
「何、アリサ?」
「経緯はともかく契約を結んだのよ。簡単に逃げられると思ってるの」
ジトッとした目と低い声でアルマをビビらせる。冗談とも本気とも取れぬ台詞と態度に、アルマは思わず息を呑んでしまった。
アリサは右足に手をやると、徐に靴を脱ぎ始めた。さらけ出された素足をそのまま正面のアルマへと伸ばした。
「足をほぐして」
突き出された足を前にして、目を丸くし戸惑うアルマ。
「主人を癒すのも役目よ。家来なんだから」
たっぷりの笑顔。
「私はそんなつもりで家来になった訳じゃないから」と成り行きで家来になったとはいえ、冗談としか受け取れない要求に、アルマも抵抗してみせる。
「あら、態度で返してって言ったのに。そんなこと言ってられるかしらね」
「魔物からアリサを守るとか、そんなカッコいいことなの」
「なの、て言われてもねえ。契約したんだから従ってもらうわよ、ほら」
さらに足を伸ばし、上下に足を揺らし催促するアリサ。払いのけようと伸ばした手であったが、素足に触れた手はそのまま動かない。それどころかもう一方の手も無意識に素足を支えると、アルマは指に力を入れ始めた。
「え、何で」
自分の行動に驚くアルマ。ふっふっふっ、とワザとらしい声を作ってアリサは口を開く。
「これが契約よ。アンタがどんなに嫌がっても、身体はアタシに服従なのよ」
「あの時のヘンな契約のせいって訳」
むぎゅむぎゅ。
「まぁそんな感じね。アタシの命令に使役されるってイメージかしら」
むぎゅむぎゅ。
「どう、歩きっぱなしで汚れた足でも、平気でこうしてしまうって」
「……そうだね。汗臭くてベタベタで堪らないけど、契約じゃあ仕方ないね」
「ちょっと」
せめてもの皮肉であったが、意外にもアリサは恥らうように足を引っ込めようとした。が、アルマの方が一足速かった。がっしりとアリサの足を掴み、さらに自分の方に引き寄せる。
「あー、屈辱的だけど、契約じゃあ仕方ないよね」と芝居がかった口調で納得して見せるアルマ。
ジタバタと足を揺らし逃れようとするアリサに、アルマはちょっとばかり優越感を得ていた。
しばらく喚いていたアリサであったが、観念したように大人しくなる。もう一方のすらりとした長い脚を引き寄せ、同じように解きほぐすアルマ。少々力任せでぎこちない手つきであったが、アリサの拗ねた表情の奥には、リラックスした面持ちを覗かせていた。そんな様子を見て、アルマの表情も和らいでいた。
少し経ってアリサの安らかな寝息が小さく響く。疲れていたのか、それとも気持ちよく、それでいて安心しているのか。アリサにしか分からない心情ではあるが、アルマは僅かながら愛おしさを感じていた。同時にそれが契約による服従心であればゾッとさせられるが、その気持ちもまた、アルマにしか本来分からないことではあった。