02. 忍び寄る大蛇
まだ不確定であったその痕跡には、十分警戒していたがアルマだが、次第にはっきりとした形となり結果、その得体の知れない元へと近づいていた。引き返す、という選択もあった。しかし、無策に歩き回った為に引き返す方向も分からず、走れる距離にも限界がある。
闇雲に動けるほどの余裕もないのならばと、彼女はその場に立ち止まり、周囲を観察する。足元は短い草が茂り、落ち葉や木の枝が散らばっているものの、足場を取られるほどではない。
ザ。
木々の間をすり抜けるように伸びるその痕跡を目で追い、少しでも動き回れる位置と距離を確認する。
ザザ。
僅かな雑音に反応し、アルマは左腰のロングロードを引き抜いた。しばらくの静寂の後、さらに確信へと変わる。
ザザザ、ザザ。
前方右手。身体と共にロングロードをその方向に構え、意識を集中する。音は確かに一つ。地を引きずるような擦れた音は次第に間隔が狭くなり、そしてはっきりとした形でアルマへと迫ってくる。木々の先に忍び寄るその姿を捉えた。
黒い鱗に覆われた全身と口元から伸びた細く長い舌。大樹の幹を想像させる太い胴体。黄色と黒の縦長の瞳をした魔物はアルマの前に姿を現すと、その長身の胴を引き上げ威嚇するかのように見下ろした。
―――黒い大蛇。
五メールはゆうに超えるその上体を引き寄せ、出会い頭、アルマを目掛け突進する。素早く避けたアルマに対し、黒い大蛇もまた器用に体を捻り、更に追撃を行う。巨大な長身にしては俊敏な仕草であるが、直線的な動きが幸いし、アルマにとっては軌道が読みやすかった。
二撃を交わされた黒い大蛇は、しばらく間合いを計るように頭をゆっくり揺らし、チロチロと悠々に舌を遊ばせている。そして、体を波打たせ三度目、彼女の懐に飛び掛る。身体を反らしたすれ違い様に、アルマはロングソードで斬りつける。だが、予想以上に硬く弾力性のある鱗に阻まれ、刃は胴を上を滑るのみだった。片手から両手でロングソードを構えながら、黒い大蛇の次の動きに警戒する。
鋭く睨みつける瞳、獲物を飲み込まんと開いた大口――鱗の上が駄目ならばと、迫り来る黒い大蛇の懐に、こちらから潜り込んだアルマが放った一撃は、無防備に晒け出された鱗のない咽喉元であった。剣先が容易く突き刺さり、そして自らの勢いで首元を抉り取り、切り裂いた。
アルマの一撃にバランスを崩した黒い大蛇は、その突進の勢いのまま頭から木に激突した。鈍重な響きと共に、唸るように軋む樹木は、自重に耐えきれず倒れ落ちた。
しばらく地に突っ伏してた黒い大蛇だが、胴を引き起こし始めた。重心が取れない様子で、蹌踉めきながらも再びアルマと対峙する。咽喉元から流れた赤い血が胴を伝い、垂れ落ちる。先ほどの獰猛な姿勢とは異なり、警戒するようにアルマを窺っていた。たった一撃ではあったが、その大蛇が怯むには十分ではあった。
そのまま引き下がってくれればいいけれど――と、彼女の期待とは反対に、黒い大蛇はジリジリとにじり寄る格好を見せ始める。小さく舌を打ったアルマは、再び握りに力を入れる。
先ほどからの見境のない振る舞いとは異なり、距離を詰めるようにゆっくりと地を這う姿に不気味さを感じ、距離を保つよう彼女は後退する。が、それを予想したかのように器用に体をうねらせ、速やかな動きでアルマの足元へと滑り迫る大蛇。
咄嗟のことに動揺したアルマは、必要以上に脚に力が入る。足元へと忍びつつあった大蛇の頭は、体を捻らせると、身を交わすべく飛び上がったアルマに襲い掛かる。両手で支えたロングソードで直接の打撃は凌いものの、その衝撃に抗うことはできず、アルマの体は右方へと吹き飛ばされた。
枝葉を揺らし身を搔かれながらも、木の側面へ両足を着け衝突を免れる。そのままの反動を利用し、幹を蹴り上げ、アルマが仕掛ける。迎え撃つように体を曲げ、先ほど同様に側方からの攻撃を放つ黒い大蛇。だが、アルマの着地点はその手前――空を切った大蛇の攻撃は、血に染まった咽喉元を無防備にさらけ出した。着地に合わせ腰を落とし、まるでその大蛇を彷彿するかの如く、俊敏で且つしなやかな足運びで懐へ入り込んだアルマは、再度傷ついた弱点へロングソードを打ちつけた。
悲鳴にも似た叫びを上げ、黒い大蛇は後退する。姿勢を保つこともままならず、ただ頭を垂れながら、血と唾液の混じった液体を口元から吐き流していた。それでも大蛇は闘争心を崩さない。弱々しく鈍重な様であったが、頭を重々しく引き上げ、迫るべく身を引き始める。と、その動きが固まる。
アルマはロングソードを下げると、左腕を大蛇の前方に突き上げ、手の平を見せた。その手がぼんやりと青白い光に包まれる。その光の源なる魔源を左手に集中すると、黒い大蛇に向け解き放つ。
―――火炎弾。
大蛇の頭を包み込むほどの赤黒く燃えさかる炎の球体が、大蛇の顔面に炸裂する。弾力性のある鱗を焼き、皮膚を焦がすその炎に、黒い大蛇は暴れのた打ち回り、地面や木々へと頭部を叩きつけた。木々が打ち倒され、土煙が舞い、そして辺りには鼻を刺激する嫌な臭いが漂っていた。
呻くような鳴き声と共に、黒い大蛇の動きが弱り始める。しかし、事態はさらに悪化していたのだ。