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murders

murders 〜十二月七日、その午前のこと〜

作者: 木村 瑠璃人

 この話は、「murders 〜ある一つの狂気の話〜」の直前譚です。まずはそちらをお読みの上、こちらをお読みください。

「お前、儚梨に告白する気なんだろ?」

「へ?」

 一体何を言い出す、わが友人Aよ?

 十二月七日、その自習となった三限目でのことだった。

 ××××高校の、一年生の教室。

 その窓際での、会話中に。

学校側の言い分としては、この時間は『各々が自分で学習するための時間』であり、のんびりとする時間ではないらしいのだが、そんなもの、こっちにしてみれば単なる空き時間である。教室内を一瞥しただけで、読書にいそしむもの、自分なりの趣味を行うもの、身繕いを行うもの、真面目に予習を行うものから、クラス内にいる友人と談笑するものまで、千差万別の人間がいる。

 僕は基本的にそれほど真面目な人間でもないので、授業が次週になった場合、その時間は友人との談笑、あるいは趣味であるスライドパズルにいそしむことにしている。会話の場所は大抵窓際、そして相手は友人Aになることが最も多い。

 そうした流れでのことだった。

 突然友人Aが妙なことを言い出したのは。


「……いや、何でそういう発想が出てくるの?」

「だってお前、朝からちょくちょく儚梨のほうへ目、やってるだろ? お前がそういう風に目線を移すのは良くあることなんだが、今日のはなんというか………普段とは違う」

「………それで僕が『告白』?」

 どういう思考回路をつないだらそういう風になるんだ?

 にひっ、と友人Aは笑う。

「いや、みょーに視線が熱っぽかったから。その手の経験豊富な俺にいわせりゃ、あれは恋愛対象に向ける視線だぜ?」

「……むぅ」

 そう言えば、そういう風な視線を何度か向けてしまっていたような気もする。


 そう、僕は友人Aの言うところの儚梨さん、フルネーム、儚梨セリカに、惚れこんでいる。

 いつからだったのかは、考えたこともない。会った瞬間からだったかもしれないし、それより後、旧校舎三階で始めて言葉を交わしたときからかもしれないし、抱えている事情を知ったときからかもしれない。とにかく、僕は儚梨セリカという人物に対し、ある種の恋愛感情を抱いているのだ。

 彼女は、よく出来た人間だ。

 大抵のことを人並み以上にこなし、それに固執することもなく、能力だけではなく精神面でもかなり成長している。ものの見方もどこか俯瞰的で、人とは違う位置から正しいものを見ている感覚があった。

 そして何より、彼女はほとんどの人間に知られていない要素がある。


 その要素がどういうものか、大抵の人間は気づかないだろう。それを彼女もわかっていて、僕がそれに気づいていることを表明したときひどく喜んだものだ。そのときの表情はもう他の何にもたとえがたいほど見事なもので――――って、ここからか。ここからほれ込んだのか。

 何だ、割と最近じゃないか。


「―――――急に黙り込んで、もしかして、図星か?」

「………あ」

 友人Aのごつい顔に覗き込まれて我に返った。

「いや、確かにある種の好意を持ってるのは事実だけど、僕は別にセリカに告白なんて…………」

「ふ〜ん、『ある種の好意』ねぇ……………」

 友人Aが不適に目を細める。

「ただの友達にしちゃ、『セリカ』なんて、へんな呼び方じゃないか、ゼロ?」

「あのねぇ、セリカ、友達に苗字呼ばれるの嫌いなんだよ」

「へ? そうなのか?」

 そうそう、とうなずいてやる。

「いっぺん友達になってから『儚梨さん』って呼んだら、とんでもないこと言われたよ」

「とんでもないことって、どんな?」

 腕を組んで、目を閉じる。浮かび上がるのは、ずばりその日の映像だ。

「『ゼロ、残念だわ。あなたがただの他人だったなんて、これであなたも私のリストの仲間入りね。有事の際は後ろに気をつけなさいよ。私、容赦しないから』」

「うわ…………怖ぇ………」

「だろ?」


 ちなみにそれを言われたのは僕がセリカに友人として認識された直後。名前で呼べ、といわれた覚えはないのにそんなことを言われてしまったので、正直なところ僕はあの瞬間、とんでもない戦慄を感じてしまった。不覚にも。


「結構怖い人なんだよ、セリカ。普段中心でニコニコしてるけど、実際はもっと混沌としてるんじゃない、A?」

「確かに…………本気でそんなこといってるやつがいるとは、世の中ってのは広いもんだな」

 友人Aがしみじみと窓にもたれかかる。

「道理で、か………この変人で有名なゼロりんとまともに付き合えるわけだぜ…………儚梨さんも、まともじゃなかったのか」

 ちょっと待て友人A。今のは聞き捨てならない。


「ちょっとA? 何その妙な呼び方?」

 ん? とAがにっこり。

「いや、なんとなくだ。言ってみてわかったが、結構呼びやすいぞ? 俺、この呼び方気に入っちまった」

「――気に入らないでくれる? こっちとしては随分と複雑な気分なんだけど」

 僕が少し強気に出ると、

「悪ぃ悪ぃ。お前、自分の名前、嫌いだったよな」

「名前はいい。嫌いなのは、苗字なんだから」


 僕の本名は××××××という、およそ人名とは予想できないような名前である。友人BCDに言わせると、

『確かに奇抜だよ。でも、格好いいからいいんじゃない?』

『ってか苗字に×って、普通入れねえだろ。確かに音はいいけど、字面としてはとんでもなく妙だよな』

『………なるほど。あだ名は『ゼロ』と『ナナ』、どっちがいい?』

 ――――などと気楽に感想を述べたものだ。

 で、友人Dの言っていたことが回りに聞こえたのか、そのときから僕の周囲の人間は僕を『ゼロ』と呼ぶ人間と『ナナ』と呼ぶ人間に二分された。親しい人間は僕を大抵『ナナ』と呼ぶのだが、友人Aとセリカだけは例外的に僕のことを延々と『ゼロ』と呼ぶ。

 妙な名前だけど、本名から来てる分否定できないのだ。

 なんとなく悔しい。


「――――でも否定したとこで名前ってのは一生付いてくるんだぜ? だったら、受け入れるしかねえだろ」

「まともな名前だったらね」

 ×××なんて苗字、本当に人の名前なのか時々全力で疑いたくなる。けど疑ったところでこの苗字は確かに人間の名前だと確実に断言できてしまう証拠を持ち合わせているのだ。

 僕だって、人間だし。

 いくら常識はずれでも、狂気に走って人殺ししたりなんかはしないつもりだ。


「…………ところで、A」

「なんだ?」

「またさっきのせりふに戻るけど、僕ってそんなに、変?」

「……………………………」

 まじまじとこっちを見つめるA。

 …………なんていうんだろう、この眼。正気を疑う目ってこんな感じなのかな――――?

「………そんなに、へんなこときいた?」

「………――――…」

 額に手を当てて嘆息までされた。

 もしかして、呆れられてる?

「……………変人も何も……」

 機械じみた動きで身をかくっと起こしてゾンビじみた動きでこっちに迫る。って、これかなり怖い。Aって結構巨体だから、相当怖いんだよ。

「お前以上の変人がこの学校にいるかってのっ!」

 じっとりとした動きで肩に手を置かれる。そしてそのまま握力を強めて肩を締め上げられる。ぎりぎりぎりぎりぎりぎり。

 痛い! めちゃくちゃ痛い! Aって握力何キロだっけ?

「ちょっと! めちゃくちゃ痛いって!」

「いやいや、自分のことに関する自覚が全く欠落してる僕ちゃんには、これぐらいがちょうどいいんだよ! ほら味わえ! そして自覚しろ!」

「無茶言わないでよ! 自分でもそんな自覚、まったくないんだから!」

 締め上げてくる腕からようやく脱出し、一歩分Aから距離をとる。


 確かに、僕は時々非常識だ。けどそれにしたって中学のときの調理実習で砂糖と塩間違えたり、プログラムのソースと調味料の違いがわからなかったりするが、せいぜいその程度。でもこれって、『変』っていうようなこと?

「まったく…………人の肩、握りつぶす気?」

「変人だってことを自覚させるにはそれぐらいが丁度いいんだよ。まったく――二次元のドジっ娘みたいなまね、リアルワールドでやったら常識外の奇人以外の何者でもないっての――――」

 ああ、そういう意味だったのか。確かにそれなら変人って呼ばれてもしょうがないか。

 そう自覚して再びのんびりと窓枠に身をもたせかけたとき――


「お、儚梨さん、動いたな」

「…………………あ」

 人の輪の中心で談笑していたセリカが、輪を抜けた。周りの人が何か尋ねているようだが、それを軽く笑顔であしらい(対応し、ではないだろう。あの性格を考えたら)、教室を出て行っ――――

 かない。

 教室の、黒板から見て後方の出口。その戸口のところで立ち止まり、きっちりとした位置に収まっているリボンタイを一旦解いて、再び結びなおす。

 その間、わずか数秒。

 あの生真面目な性格から考えると、至極当たり前の行動だ。事実、クラスの皆はそれほど気にしていないようでそれぞれがおのおのの行動を続行している。

「…………どこ行くんだろうな、こんな時間に。もうじき次の授業、始まっちまうのに………」

「…………………………ごめん、A。ちょっと僕も行って来る」

「はあ?」

 素っ頓狂な声を上げるA。

「お前まで、一体どこ行く気なんだよ?」

「ちょっとトイレだよ。実は今朝から腹の具合が良くなくて……」

 言いながらももたせ掛けていた体重を戻し、出口へ向かって数歩。

「………あ、もしかしたら次の授業、出られないかもしれないからそのつもりで」

「……………………」

 あれ? Aってば、あきれてる?

「あーあー、わかったよ。ちゃんと誤魔化しとくから、言って来い。この手のチャンスは一回逃すと響くんだからよ」

 …………なんだか、僕の言うこと真に受けてないような気がするんだけど……って間違いなく真に受けてないよな。

 しかしその点はありがたいのでとりあえず流しておく。

「わかった、ちょっといってくるよ」

「ああ。振り返らず、全力で行って来い」

 応援されてしまったので、軽くうなずいて教室の外へ向かう。

 向かう先は、当然――――


    ×    ×    ×    ×


 校舎、旧館。

 昔使われていたけれど、今は倉庫程度の存在価値しか持たないほとんど廃屋のその場所。中は当然のごとく古ぼけており、人に出くわす可能性も、誰かが探しに来る可能性もない、保障付きの閉鎖空間である。

 空間的な閉鎖ではなく、心理的な閉鎖。誰でも自由に入ることが出来るのだが、それを心理が拒んでしまう、いうなれば『墓地』のような閉鎖空間。

 目指す場所は、その三階である。

 閉鎖空間、とはいっても運動関係クラブの倉庫のような側面もあるため、鍵はかかっていない。

 いつもどおりに旧校舎の正面入り口から侵入し、古ぼけたコンクリートで出来た階段を上る。

 一歩一歩、その何気ない動作ですら足元は敏感に刺激として感受し、微妙な振動として恐怖感をあおる。何度もここへ侵入した経験があるとはいえ、やはりこの部分だけは無意識に身長になってしまう。

 踊り場含め、三度の方向転換を経て、三階へ。

 そこは普段なら誰もいない、一人きりになって自分自身と対話するのに最も適した場所――――のはずなのだが、今はそうではない。

 一人の女子生徒の、姿があった。

 特にこれといった特徴もなく、特にこれといって特筆するようなこともないような、非常に普遍的な属性を持つ、強いて言えば常人よりも少しだけ顔の造型が整っている程度の、女子生徒。

 いや、それだけではないだろう。

 ただ立って、窓の外を見つめるその瞳。

 その色が、今にもその窓から身を投じそうなほど、暗い色に満ちている。

 自殺志願者の存在自体はこのご時勢それほど珍しい存在ではないのだが、その寸前の状態となりながらもその一線を越えることがない、『死』という名の『狂気』を身のうちに含みつつもそれにのっとられることがない、それほどの人物となると、その存在はあまりにも貴重だろう。


「…………………………」

 あがってきた僕を一瞥することすらなく、ただ窓の外を観察している。何を考えているのか、その思考はまったく読み取ることはできなかったが、少なくとも未来への希望に満ち溢れていることを考えているのではなさそうだ。

「…………………………」

 現実は過去と重なり、実感は既視感へと推移する。目の前に展開されているのに現実感が伴わない違和感。前回にも同様のことを見たかのような既視感(デジャヴ)、既視感が現実に現れる違和感。違和感は現実との大きな齟齬を生み、正常な判断を失わせる。

「…………………………」

 しかし、なぜだろう。

 どれだけ違和感があろうとも、そこにいるのは彼女のはずなのに――――


 まるで、そこに他人が立っているかのような――――


「…………………………………来て、くれたのね」

 ポツリ、と彼女が、口を開く。

 たったそれだけの行動で僕の中で芽生えていた違和感は全て払拭され、今はただそれが現実であるという実感だけが残った。

 その感覚に動かされるように、いつもどおり言葉を繋ぐ。

「ああ、ちゃんと通じてるよ、セリカ」

 ふふ、と眼前の少女がやけに大人びた仕草で身をこちらに向けながら、笑う。

 儚梨、セリカ。

 それが、この少女の名前。

 どこでどう間違えてしまったのか、僕がほれ込んでしまったっ少女の名前である。

「…………案外ばれないものよね、あれ。始めた当初は、単なる洒落みたいに思ってたのに」

 ポツリ、つぶやくような拍子でセリカが言った。

「うん、確かに――――」

 同意する。

 いつから決めた、僕たち二人のルール。互いにこの場所へ呼び出したいときに行う、目立つようで目立たない仕草。

「一旦ネクタイほどいて、また結びなおす。これで――――」

「―――『旧校舎で会おう』、だったね」


 え〜と、はじめてから、一月ぐらいか。結構ばれないもんだよ。

動作には細かいことにきっちり扉の仕切りを踏んで、という指定まできっちり付いているため(この部分を忘れると、呼び出しの場所が変わる)、はじめたときにはすぐばれるかと思ってた。けどはじめてみればなんてことはない。今の今までそのサインのない用がどうとか以前に、それがサインであることすらも気づかれていないのだ。こうなると周りが鈍いのか、それとも僕たちのサインが優秀なのか分からなくなってくる。


「それで、今日はどういった御用で?」

 このサインは、互いに何か離したいことがあるときにだけ使用する、いうなればファミレスの店員呼び出しボタンのようなものだ。用もないのに、使ったりはしない。

 その一言で、セリカの表情が、先ほどの、限界まで狂気を溜め込んだものへと、変貌した。

「………それほど、大事な用じゃないわ」

 だったら呼ぶな、という突っ込みはご法度である。地が出ているときのセリカは、かなり怖いのだ。

「…………大した用じゃないんだけど、なぜか聞きたくなったから、呼んだの―――」

 言いながら窓に沿ってこっちに近付くこと二歩分。その窓の下、完全に塗装が剥げたコンクリート部分を手で触って示し、

「――ここにある文字、どういう意味で書いたの?」

 そんなことを、言った。

 ………セリカの指し示した壁の部分、そこには、文字が掘り込まれている。

 文面はただ一言、どこか詩を思わせるような一文が刃物によって刻まれている。

 

 ――『道化は自らの腐敗を知ることなく、ただ観衆の前で笑う』

 

 刻んだのは、僕だ。

 セリカとこの場で出会った、その瞬間に。

「――――特に深い意味はないよ」

 もともとなんとなく刻んだ文字だ。これと言った深い意味を込めたつもりはない。

 セリカははっとしたような表情となる。愕然としたかのような、失望したかのような、あるいはその両方にも取れるような、見ようによっては狂気にも見える表情に。

 ――――ああ、

 僕は内心、思う。

 ――――その表情、すごくいい。

 狂気によって縁取られた、美しい表情。

 狂気は人の持つ最も強く美しい感情で、そしてまた、唾棄すべき醜悪な欠陥でもある。

 陰と陽、その両方を併せ持つ背徳、それを内側にため込んだ彼女だからこそ、僕はほれ込んだのかもしれない。

 …………まあ、そこまで特殊な趣味はしてないんだけど……

 取りあえず今は、愕然とした表情を浮かべたまま固まっている彼女に向き直る。


「…………そんなに、意外だった?」

「そんなに――って」

 セリカが顔をそむける。

「――――あたりまえじゃない」

 愛しいものに触れるかのような手つきで、僕の掘ったその文字をなぞる。その指が触れるたび、老朽化が進行しているコンクリートがぼろぼろと崩れ、文字の輪郭がぼやけていく。

「…………わたし、結構気に入ってたのよ、この言葉――」

 文字の前にしゃがみこみ、手のひら全体でほこりを掃うかのように手で撫ぜる。

「…………『道化は自らの腐敗に気づくことなく、ただ観衆の前で笑う』……」

 歌うように、彼女は言った。

「なんだが、叱責されてるみたいで、好きだったのよ……」

「叱責?」

 ええ、としゃがみこんだままセリカはうなずいた。

「他人のことばかり考えてないで、自分のことに一生懸命になれ。そう言われてるような気分になるから」

「…………………………」

「私って、結構そういう風になりがちなのよ。自分のことはないがしろにして、他人のことばかり気にかかってしまう。それが自分と似た境遇の人間なら、なおさら」

「……確かにね」

 思いつめたような眼で僕の掘り込んだ文字を見つめる彼女の横に座り込み、僕もその文字を見つめる。

「…………友達にも、言われたわ。『もっと自分のことを考えるべきだ、セリカは何でも背負い込みすぎなんだ』ってね」

「……………………………」

「わかってはいるの……でも、今まで続けてきた生き方を変えるなんて、到底無理ね―――私は、もうこの形で完成してしまってるから」

「………………何かあったの?」


 思わず僕の口からこぼれたその言葉。それに対し、彼女は首を僕の方へ回した。距離は十分あるため、恋愛ものなんかでありがちな展開にはなっていないが、それでも今まで全く目が合っていなかった人物といきなり目が合ってしまうと、それなりにどぎまぎしてしまう。

「何かあったかを聞かれると、あった方に入るんでしょうね……」

 視線が、暗い色に沈む。狂気ではなく、失意や悲しみの方へと。

「間違いなく、何かあったかを聞かれると、あった方に入るわ」

 視線が、正面に戻り、そして落ちる。

「…………一体何があったの?」

 普段冷静で、感情を表に出さないような性格の彼女がここまで感情をあらわにするなんて珍しいとしか言いようがない。もしかすると、とてつもなく大きな何かがあったのだろうか。それこそ、彼女が今まで築いてきたものを破壊しかねないほどの何かが。

「…………………………………」

 僕の問いに、彼女は答えなかった。

 ただうつむいて、壁の文字の下の方を見つめている。

「……………………」

「…………、………」

 そのまましばらく、沈黙が続いた。


 墓場の中の、沈黙。

 墓地において沈黙は当たり前のことだ。しかし、たとえそこが死者への哀悼、あるいは離別、鎮魂などを目的とする墓であろうとも、そこに生者の存在があればそこは沈黙ではなくなる。

 ――――とすると、僕たちはもう既に死んでいるんだろうか。

 いきなりそんな符号が、頭に浮かんだ。

 旧校舎という、心理的に閉ざされた『墓地』。

 完全な沈黙という、生者の存在を示唆しない行動。

 その点で言うならば、僕たちはもう死人じゃないか。

 そしておそらく、

 ここで僕たちが死のうとも、誰も気がつかない。

 まさに、死者だ。


「………………………………十一月の、末」

「え?」

 とりとめのない考えから、急に現実に引き戻された。

「十一月末の日曜、一緒にいた人って、誰?」

「―――――――――っ」

 セリカの問いに、僕は言葉を詰まらせた。

 この問いの答えだけには、正直に答えるわけにはいかない。他のどんな秘密を暴露するようなことがあっても、セリカに対してだけは、このことを守り通す必要がある。

 しかし、何と答えればいいのだろうか?

 正直に、この間からずっと探していた捜し人をようやく見つけたので仲良く質問尋問警告忠告しつつ歩いていました?

 言われるまでもない、馬鹿げている。

 しかし、それならどうやって?

 彼女は、間違いなくその人物の素性を知っているだろう。

「…………………………」

 セリカはずっと僕の方を見つめている。

 待っているのだろうか、答えが出るのを。

 あるいは僕が答えられないのを。

「……………………」

「…………っ…少し、前から―――」

 視線に耐えきれず、僕はそれを口にした。

「少し前からの、知り合いの人だよ。趣味とかが妙にあったから、結構年の差はあるけど仲良くしてるんだ。僕のお母さんの友達だった人らしいから、結構僕としても安心だし、何より懐具合が学生にとっては良心的だしね」

 その、嘘を。

「………………………」

「その日も、実は街中歩いてていきなり出くわしたんだ。向こうも退屈みたいだったから、お互いさまってことで暇つぶしに散歩してたんだよ」

 沈黙を続けるセリカに、僕はさらなる嘘を連ねた。

 気づいているのだろうか、僕の嘘に。

 あるいは、気付いていないのだろうか。

「………………………」

「――でも、いきなり質問してきたりして、どうしたの? ……もしかして、あの人セリカの知り合いだった?」

 ――――しらじらしい。

 そうであることは、お前が一番分かっているだろう、××××××。

「………………………」

 僕の問いかけに対しても、セリカは沈黙を守ったままだった。何かを整理しようとしているかのような表情で黙りこみ、ただうつむいて、聞いているのかどうかも分からない言葉にさらされ続けている。

「……………セリカ?」

「その人とは、特に関係はないわ」

 いきなり、セリカはそう言って立ち上がった。

「ただ単純に、文字のことを聞いたのとおなじ興味本位よ。深い意味なんて全くない、あなたがその文字を彫ったのとおなじ『ただ何となく』の質問よ」

 しらじらしい。

 そんな虚ろで、悲しげで、狂気に満ちた目で言われても、それが真実だと信用する人間はいないだろうに。

 だけど、僕は。

「…………そっか」

 セリカにならい、立ち上がる。


「だったら、僕も興味本位で聞いてもいい?」

 そんなくだらない、何の意味もない言葉を、続けた。

 きょとん、とした表情で、しかし眼だけは全く先ほどのものと変化させずにこちらを見つめてくるセリカ。

「ええ、かまわないわよ。質問は一問一答、世の中は、等価交換でないと成り立たないわ」

「そっか、じゃあお言葉に甘えて――――」

 そうとはっきりわかってしまうようなレベルの、作り笑いを浮かべる。いや、実際は作り笑いを浮かべたいわけじゃない。本当はもっと、それらしく笑いたかったのに、表情がこれしか許可をくれなかったのだ。

 あからさまな作り笑いを浮かべながら、それでも僕はつづけた。


「ずばり、セリカにも好きな人とかって、いたりするの?」

「好きな、人?」

 それにこたえてか、無理やりとはっきりわかるようないつも通りを演じてみせるセリカ。

「うん。あ、この場合の好きはlikeじゃなくて、loveのほうだから、そこんとこよろしく」

「好きな人、ね―――」

 いくら演技百パーセントの会話とはいえ、一応真面目に考えてくれているらしい。さすがクラスの中心。その立場は、だてじゃない。

「……………今のところ、いるのは一人ね」

 って、いるのかよ。

「昔から?」

「ええ、結構前からよ。だいたい、秋の初めあたりからかしら」

 秋の初めっていうと――――ちょうど僕が狂気モードのセリカと初めて会った時あたりか。

 畜生。

「………でも、私からの愛情を一身に向けられるなんて、私事ながらご愁傷さまと言わせていただくわ」

「どうして?」

「私の愛って、軽くないから。もしその人が私以外の人になびいたり、私の友人という立場から離れたりしようとしたら、容赦なく殺して首を切り落としてやるぐらいのことは、するでしょうね、私」


 ………どこのサロメですか、おぜうさん。

「………ちなみに、理想の死に方は?」

「その人の愛情を一身に受けながら、その人の手によって殺されること」

「………………よくわかりました」

 うっわ〜。難儀な人に惚れちゃったな、僕。これってあれ? 世にいう『やんでれ』とかってやつ? それでライバル持ちなら、かなり面倒な初恋になりそうだなぁ………

 ま、あきらめるつもりはないけど。

 現場にするなら、屋上。時間は昼休みで、シチュエーションは……色めかしさは、皆無でいいか。

 一応、誘っておく必要があるだろう。


「ところで――――」

「聞きたいことは、それだけ? だったら、私はそろそろ降りようと思うんだけど」

「え?」

 聞きたいことは、特にないんだけど―――――

 虚を突かれたその表情をいったいどう解釈したのか、無言でセリカが僕の背後の方、平たく言えば階段の方へ歩を進めた。

「あ、ちょっ…………」

「じゃあ、また。あなたも、このままここで時間をつぶしてるより、学生食堂の方へ向かった方がいいわ。もうじき、四時間目も終わりよ」

 言うが早いか、それ以上僕の言葉に耳を傾けることなくセリカはさっさときしみをあげるコンクリートの階段に足をかけ、僕の視界から、消えた。

「―――――――――――」

 一人ポツンと取り残されてしまった僕は、誰もいない空間で一人ため息をついた。


 あ〜あ、誘い損ねた。

 けど、まあいいか。昼休みの途中にでも捕まえて、時間があればそのまま屋上、時間がなければ放課後に繰越せばいい。

「吉と出るか、凶とでるか…………どっちだろ」

 ま、望み薄だけどね。

 やらないよりまし、程度の気持ちでかまえつつ、僕は窓の外を眺めた。

 ここから一体、彼女は何を見ていたのだろう。

 あるいは、何を見ようとしていたのだろう。

 たぶんここから景色をずっと眺めていれば彼女の見ようとしていたものが分かる―――――

「………わけないか」

 彼女のような狂気も、感情も、理性も、能力も、僕は持っていない。そしてこれからも、持つことはないだろう。

 なにか、あまりにも劇的な出来事が起こりでもしない限り。

「………さて、学食の席取りでもしとくか」

 おそらく友人Aは何かを要求してくるだろう。抜け目ないあの性格だ、要求してこないなんてことはない。だったら、先に込む前から座席を確保してやれば、それでなんとかチャラにできるかもしれない。

 そんな淡い希望を抱きつつ、僕は旧校舎の三階を後にした。



    ×    ×    ×    ×


「……………………やっぱり、そうだったんだ……」

 私は一人、旧校舎の裏でつぶやく。

 三階から降りて、すでにもう一時間近くが経過している。すでに体はこの寒空に体温を奪われて冷え切り、手足もいつも通りには動いてくれない。肉体的な感覚を奪われた今、自らの機能の中枢、脳髄だけが正常に機能する。

「……ゼロ、気付いてないのね……あれの本性に…………」

 ゼロ。××××××。ナナ。

 彼ならきっと、あの人の本性に気づいてくれると信じていたのに…………………

 私の本性に気がついた、彼なら。

 ゼロ。

 私は、あなたがほしい。

 私というものの本質に気が付いてくれた、あなたという存在が。

 今まで私を縛っていた鎖も、常識に固執するための希望も、ためらいを生む仲間意識も、もぷ存在しない。

『……みんなの全部をほしがっても、いい…』

 そう言ってくれたのは、あの歌姫だったか。

 彼女には、悪いことをしたのかもしれない。私の枷を解き放ってくれたのに、独りにしてしまうことになる。

『同じ痛みだから、僕にはその傷をなめてあげることができます』

 そう言ってくれたのは、あの占い手。

 彼女には感謝している。あの言葉がなければ、自分はとうに壊れていた。


 だけど、それすらもういらない。


 私はもう、完全に自由だ。


「――――ふふ」

 無意識に、手がポケットに延びていた。

 手に感じるのは、無機質なプラスチックの感触。触れているだけで安心感を伴うその感触はある一つの凶器の存在を私に知覚させ、そしてその凶器が私という名の狂気を突き動かす。

 足が、自動で動くかのように前へ動いていた。

 ――――行こう。

 なにをしに?

 ――――手に入れに。

 どうして?

 ――――ほしいから

 何がほしいの?

 ――――ゼロ。

 ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ



 アナタトイウソンザイヲ

 ワタシハ ヨウキュウシマス



 ああ、そのためには彼と私にふさわしい舞踏会場(ダンスホール)が必要ね……

 ちょうどいいわ。

 彼らにも、私のものになってもらいましょう。

 ゼロ。

 その存在を、招待するために。


 さあ、パーティーを始めましょう。



    ×    ×    ×    ×


 結局、昼休み終盤ぎりぎりになっても彼女は見つからなかった。

 探し回り続けること五〇分、校舎内のほぼすべての個所を歩き回り、まったく見知らぬ人に対して聞き込み調査を行い、その手のことにほとんど関心のない友人を当たって手伝ってもらったりもしたのだが、どこにもいない。

「……まったく、いったいどこ行ったんだよ…」

 溜息をつきながら、三階から二階へ降りる。

 今は、もう予鈴が鳴る直前である。

 どうも告白は放課後へ繰り越しになるらしい。

 まあ、それでもいいんだけど。

 思いながら、ちょっと二階に目をやる。

 と、そこに。


「…………ん?」


 ちらりと、見覚えのあるものが視界の左下に入った気がした。

 あわててそっちの方を見る。そっちの方は三階から階段を下りている最中である自分にとっては、下の階段、つまり二階から一階に下りるための階段ということになる。つまり、その見覚えのあるものはこの階段を下りたということで――――

 手すりから身を乗り出して、踊り場を確認した、


 間違いない。

 あの特徴的な形、色、飾り。

 間違いなく、セリカのバレッタだ。

 大急ぎで階段を下る。

 三階二階間の階段から、二階へ、二階から一階へ降りるための階段に足をかけ、そしてかけ下り踊り場で反転して、そこにいるであろう探し人の姿を視界に収め―――――


 そして、見た。


「……………え?」


 ごぽっ

 いつも通りの、日常。

 そのキャンバスに描かれた絵に落ちた雨のしずくは、そんな音だった。


 思い起こしたのは流しにためた水を抜くときの状況。流しにしっかりと栓をし、水よりも少し粘性の高い液体を満たして栓を抜くと、これと似たような音が出る。状況的にも似たようなものだから、そう考えてくれれば分かりやすいだろう。


 じゃあ、この場合、

『発生した音』は、階段下の女性が喉から漏らした音で、

『粘性の高い液体』は、その女性が口から漏らしている赤いので、

『栓』っていうのは、人の血管。

 じゃあ、その栓。


 その『栓』を引っこ抜いた『手』って、


 いったい、ナニ?


『栓』を引っこ抜いた『手』を操る『脳髄』って、


 いったい、ダレ?


 あの、女子生徒の『栓』を抜くように『手』に命令したあの人。

 ああ、とても見覚えがある。

 狂気に満ちていて、なおかつ歓喜に満ちている。

 その眼を浮かべているのは、まぎれもなく。


 僕がほれ込んでいた、あの少女。


 儚梨セリカ、その人だった。



 かくして、


 残酷劇(グランギニョル)は幕を開けた。


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