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私の主人は偏食家【後編】

短編版とほぼ同じです。

その瞬間、ざわりと部屋中の影が蠢いた。少なくとも、ディートリヒはそう感じた。


「ば、馬鹿め……! ジウの血は、吸血鬼にとっては猛毒だ! いくら吸血しようとも、自らを追い詰めるだけだ!」


ディートリヒの台詞は、内容は確かに正しくあるはずであり、ディートリヒの勝利を戦う前から決定づけるものであるはずだというのに、何故かディートリヒの声音は震えていた。武者震いではない。ではこの震えは何だと言うのだろう。


目の前にいるのは何なのだ。

何故かそんな疑問が、ディートリヒの脳裏に降って湧く。


とびきりの美貌を誇り、不老不死と呼ばれる吸血鬼。人々をその毒牙にかける吸血鬼は、人血を吸わなければその力を失い、老いて死に至るものだ。

目の前でジウを抱きかかえていた吸血鬼の見た目は老人であり、その姿は彼の者が長く人血を吸っていないことを示しているはずだった。

死にかけの吸血鬼など、この三年間、ジウを探し求め数多の吸血鬼を屠ってきたディートリヒの敵ではない。それでなくとも、吸血鬼に死に至らしめるジウの血を飲んだことで、目の前の吸血鬼は放っておいても消滅するはずだった。


それなのに、何故だ。周囲の影が、闇が凝り、目の前の老いた吸血鬼の元へと集っていく。それはジウごと吸血鬼を包み込む。反射的にディートリヒは床を蹴り、その“黒”の集合体へと切り掛かった。

だが、それは漆黒の刃によって容易く受け止められる。どうやら吸血鬼が持っていた黒檀の杖は、仕込み杖であったらしいことに気付く。とはいえ、いくらそれに気付けたからと言っても、今のディートリヒにとっては何の意味も成さない。


何故この漆黒の剣は、あらゆる魔を滅する聖血によって清められた銀の剣をやすやすと受け止めれられるのだ。

目の前にいるのは何だ。

何なのだ。


呆然と立ち竦むディートリヒの前で、“黒”が解けていく。

そして完全にその“黒”が元の影となり闇となった時、そこに立っていたのは、とても美しい何かだった。


窓から差し込む月影にきらつく白金の髪。最高級の紅玉の瞳。その肌は雪よりも白い真白。神が作りたもうた最高級の作品の如く整った絶世の美貌。その薄く色づく唇には、穏やかな笑みが刻まれている。

その紅玉の瞳が愛しげに見下ろす先にいるのは、ディートリヒにとってもう二度と失えない、失いたくない女。



「やあ、ごきげんよう」



“黒”の中から現れた吸血鬼は、そう言って微笑んだ。それまでの老成した男のものとは異なる、若々しく聞き心地のよい美声であった。

目の前の美貌の青年が、先程の老年の吸血鬼であることに気付けぬほど、ディートリヒは鈍くはない。けれど、だからこそ解せなかった。

何故この吸血鬼は、ジウの聖なる血を吸って平然としているどころか、こんな風に力を取り戻しているのか。

そんなことができるのは、数ある吸血鬼の階級の中でも、最上位の――――……


「貴様まさか、始祖の――っ!?」

「それは君には関係のないことだね。重要なのは君が僕のかわいいジウに手を出したことだ」

「ッジウは貴様のものではない! ジウは、ジウは俺が……!」


それ以上は言葉にならなかった。正確には、できなかった。

吸血鬼がその極上の紅玉の如き瞳をすぅと眇めた、それだけでディートリヒは指一本動かすどころか、瞬き一つできなくなる。つうっと冷たい汗が、こめかみから顎へと伝い落ちていく。


自分が感じているのが恐怖であるのだということに、ディートリヒはようやく気付いた。

だが、遅い。

目の前のひとならざる大いなるものは、そのこの世の物とは思ない美貌に、艶然とした笑みを浮かべた。



「さて、我が花嫁を泣かせた罪、その身で贖うがいい」



* * *



私が再び目を覚ました時、私は既にお屋敷の自室のベッドに寝かされていた。

視線を巡らせれば、ちょうど旦那様がご自身の口ひげを撫でながら、ベッドサイドの椅子に座って読書に耽っていらっしゃるところだった。


「旦那様」

「ああ、ジウ。目が覚めたのかい」

「はい」


若干ふらつきながら上半身を起こすと、本を閉じた旦那様が私の身体を支えてくださった。


「無理はいけないよ。すまないね。久々だったせいか、少し血を貰いすぎてしまった」

「いいえ、大丈夫です。私のことよりも、旦那様こそお怪我はありませんか?」

「おや、僕があんな青臭い若造に遅れを取るとでも?」


悪戯げにぱちんとウインクをしてくださった旦那様に、どうやら大事には至らなかったらしいことを悟ってほっとする。

けれど、こうして旦那様がご無事でいらっしゃるということは、ディートリヒはどうなったということなのだろう。ぶっちゃけた話、あんな奴なんて死ぬほど大嫌いなのだけれど、でも、三年前、何度も自殺を考えた私を支えてくれたのは、あの青年が時折向けてくれる気遣わしげな視線だけだった。ディートリヒは、確かに私のことを慮ってくれていた。だからと言って許せるわけではないけれど、ここで死なれたら非常に寝ざめが悪いのも事実な訳で。

そんな私の内心の声に敏く気付かれたらしい旦那様は、ふう、と大きく溜息を吐かれた。


「やはり君はああいう若い男の方がいいのかな。僕はこんな爺さんだしね。もしかして僕は余計なことをしてしまったかな?」

「そんなはずがありません! 旦那様がいちばんに決まっているじゃないですか!!」


いくら旦那様の仰ることでもその発言はいただけない。私が鬼気迫る勢いでそう断ずると、旦那様はくつくつと喉を鳴らして笑う。「あの若造もかわいそうにね。同情はしないけれど」と訳が解らないことを仰り、そして更に続けられた。


「あの若造は、暗示をかけて僕らについての記憶を弄っておいたよ。この近辺で僕らが暮らしているなんて思いもしないだろう。だから安心するといい」


そのお言葉に、無意識に強張っていた肩から力が抜けた。そうか。もうこのお屋敷にはいられなくなるかもしれないと思っていたから、素直に旦那様のお言葉が嬉しい。ああそうだ、肝心なことを言い忘れていた。


「旦那様」

「ん? なんだい?」

「助けてくださって、本当にありがとうございます」

「夫が自分の奥さんを助けに行くのは当たり前の話だろう?」


にっこりと笑って私の頭を撫でてくれる旦那様に、思わず顔を赤くする。ああ、本当にこのお方には敵わない。子ども扱いされているのが悔しいけれど、でもこれはこれで嬉しくもあるのだから乙女心とは複雑である。


「ジウ」

「はい?」


ひとり悶々と考えていると、ふいに呼びかけられ、気付けば俯かせていた顔を上げる。旦那様の手が、そっと私に向けて伸ばされる。大人しくその冷たくも優しい手が、私の頬のラインをゆっくりと辿っていく。


「君が無事で、本当によかった」


その優しい声音に、また涙腺が緩んでしまった。ぽろぽろと泣き出す私に対し、旦那様は困ったように苦笑して、それから私を力強く抱き締めてくださった。そうして私は、ようやく、本当に意味で安堵の涙を流した。私の旦那様がこのお方でよかったと、心からそう思った。



* * *



――三年前の、とある日の話をしよう。今に至るすべての始まりの日の話だ。


あの頃、私はジウ・ホリィなんていう名前ではなく、堀井慈雨という名前の、地球という星の日本という国の、どこにでもいる女子高生だった。

両親は幼い頃に事故で他界し、施設で育った私は、どこへ行ってもいわゆるいじめられっ子だった。なんとか奨学金を得て入学した高校でも、スクールカースト上位のグループに目を付けられて、まあ悲惨な毎日だった。


そのグループの中心人物は、祖母がイギリス人だとかで、その祖母譲りのふわふわの明るい色の髪と、ヘーゼルカラーの瞳がご自慢の、それはそれはかわいい、お人形のような女の子だった。私がいじめられていると、「やめなよぉ」と周りを窘めてくれる子だった。けれどそれが本気ではないことを、私は知っていた。いつだって彼女のヘーゼルの瞳は、私を見下し蔑んでいた。


そんな彼女とたまたま一緒に乗ったバスが事故に遭い、そのまま彼女と一緒になって異世界トリップなんてものをする羽目になったなんて、よっぽど神とやらは私のことが嫌いらしい。


私は彼女のおまけだった。

世間で跋扈する吸血鬼を退けるために、“聖女”として彼女のことを召喚した教会は、彼女のことを崇め奉り、そしてその代わりに私を地下牢に閉じ込めた。


そこから先は地獄だった。異世界人の血は、吸血鬼にとって猛毒となるらしい。私は、彼女の代わりに、毎日ギリギリまで血を搾取された。

自由はない。人間としての尊厳もない。ただの家畜でしかなかった私は、決して死なないように管理されていた。このまま寿命を迎えるまで死ぬことすら許されないのかと世界を呪った。


そんな時、私の元に神様が来てくれたのだ。

神様は、月影にきらめくプラチナブロンドと、ピジョンブラッドと呼ばれるルビーのような赤い瞳を持つ、とても綺麗な男の人の姿をしていた。



「おやおや。これは酷いものだ。本当に人間は、夜の眷属たる我々よりも残酷だな」

「あんた、吸血鬼なの?」

「ああ、人はそう呼ぶね。そういう君は、噂の聖女様かな?」

「違う。でも、あんたのお仲間を殺してるのは、私の血だわ」

「ほう、そうか。ならばお嬢さん、僕の花嫁になってくれないかな?」

「――――は?」

「吸血鬼の花嫁とは、その吸血鬼にとっての唯一の栄養源だ。私はいわゆる偏食家でね。かわいいものしか食べたくないんだ。その点、君は理想的だと思う。見目もかわいらしくて、血も至上の甘露のようだ」

「私の血はあんたらにとっては猛毒なんでしょ?」

「基本的にはね。僕は例外なんだ。ちょっと味見してみたのだけれど、君の血はまるで蜜のようだった。この姿を取り戻したのも、随分と久しぶりだよ」

「……悪趣味ね。それ、偏食じゃなくて悪食って言うのよ」

「それでは聞こえが悪いだろう? だから僕は偏食家を名乗っているよ」

「どっちも似たようなものじゃない。変なの」

「そうかもしれないね。それで、どうする? この手を取ってくれないかな、お嬢さん」

「お嬢さんじゃないわ。私は慈雨。堀井慈雨よ」

「ホリィ・ジウ? うん? 違う? ……ああ、極東の国と同じ語順なのか。ではジウ・ホリィ。僕と結婚してください」

「ここから攫ってくれるなら、喜んで。これからよろしくお願いします、旦那様」



――あの会話から、三年。


私は旦那様の花嫁となり、助けていただいた恩を返すために侍女としても働いている。旦那様は「君は僕の奥さんなのだから、そんなことしなくていいんだよ」と言ってくださるけれど、こうして旦那様のために働けるのが嬉しいのだから私はこれからも侍女業を廃業する気はない。

そして今日も今日とて私は、旦那様のために、愛情をたっぷり込めた、かわいらしく甘いお菓子を作る。


「ジウ、今日のメニューは何かな?」

「今日はピンク色に染めたビスキュイと、色鮮やかなイチゴをたっぷりと使ったシャルロットケーキです。お茶請けにはパステルカラーのアイシングクッキーをご用意いたしました」

「ほう。それは素敵だ」


けれど旦那様にとって一番かわいくて甘いものは、他ならぬこの私であるのだという。

本当に私の主人は、悪食――もとい、偏食家だ。

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