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私の主人は偏食家【中編1】

短編版とほぼ同じです。

という訳で、場所は変わって、町である。食料と日用品の買い出し以外ではわざわざやってこない場所に、私はわざわざやってきていた。

いつものお仕着せのエプロンドレスではなく、数少ない私服を身に纏っている私は、どこからどう見てもその辺の一般人にしか見えないことだろう。


旦那様のお屋敷はこの町の近隣に位置する森の最奥にあり、お屋敷に住まわせていただき始めた頃は旦那様の助けなしには町までやってこれなかったけれど、三年も経てばいい加減慣れもする。今ではどんな獣道もどんとこいだ。旦那様の前では淑女であろうと決めている私は、わざわざそんな道を選ぼうとは思わないけれど。


「……旦那様の馬鹿」


思わずぽつりと呟いて、慌ててそれを撤回するためにふるふると頭を振る。

いけないいけない。いくら心細いからと言って、私のためを思って休暇をくださった旦那様に『馬鹿』だなんて暴言、許されるはずがない。というか、誰が許してくれても……たとえ旦那様が許してくださろうとも、自分で自分が許せない。旦那様は誰よりも素晴らしい素敵なお方なのだから。


でも、それでも、恨み言の一つくらい言いたくなってしまうというのも本音である。

別に町になんて興味はないのに。私は旦那様がいてくれればいいのに。

でも、その想いを旦那様に理解してほしいと思うのは、私のわがままだ。私には旦那様しかいないけれど、旦那様には私以外にもたくさんの『かわいいもの』があるに違いないのだから。


そう考えると無性に寂しくなって、旦那様からいただいたお小遣いがズンッと重くなったような気がした。旦那様は私がドン引きになるくらいにたくさんの金子を握らせてくださったけれど、それを素直に喜べない私は、旦那様の侍女失格である。


はあ、と溜息を吐きながら、石畳の道を歩く。この町は旦那様が仰るところによると、それなりに栄えた都会であり、同時にそれなりに寂れた田舎でもあるそうだからか、立ち並ぶ店先に並ぶ商品は多彩で、見る者を飽きさせない。


どうせとくに欲しいものもないことだし、旦那様にお土産を買って帰るのはどうだろうか。私が作るお菓子ばかりではなく、本業の職人のかわいらしいお菓子は魅力的だろうし、読書家の旦那様に最近発売されたばかりの人気の本を買って帰るのだって素敵だ。


――ありがとう、ジウ。


そう笑顔で受け取ってくださる旦那様の笑顔を想像するだけで心が躍る。憂鬱な一人散歩もこれで楽しいものになる。そうだ、そうしよう。となればじっくり店先を見て回らねば。


そうして私は、昼食を摂るのも忘れて町中を練り歩き、パステルカラーが愛らしいドラジェと、羽を広げた鳥の形の美しい飴細工をまずはゲットした。さてお次は本だ。本屋さんへ向かうことにしよう。


この町に唯一の本屋は、王都から頻繁に仕入れを行っているらしく、多彩な本で溢れている。それはいい。それはいいのだが、ここで一つ、問題が発生した。


「どれがいいんだろ……」


膨大な量の本を前にして、私は呆然と呟いた。お恥ずかしいながら、私は文字が最低限しか読めない。せいぜい絵本を読むのが精一杯な私に、読書家の旦那様が好まれるような本を選ぶなんて大役が務まるはずがない。

たまに旦那様にこの本屋さんにお使いを頼まれることはあるけれど、その時はいつも旦那様がご所望の本のタイトルをメモした紙を手渡してくださるので、それを店員に渡すだけで話が棲んでいたのだが、今回はそうはいかない。


どうしたものか、と頭を抱えていると、ふいに後ろから声をかけられた。


「あれ、いつもお使いに来るお嬢さんじゃないか。今日もお使いかい?」

「へ?」


振り返れば、その両手に何冊もの本を抱えた、いつもお世話になっている店員が立っていた。そうだ。この人におすすめを聞けばいいのではないか。入荷する新刊のチェックを怠らないと自慢するこの人ならば、きっといい本をおすすめしてくれるに違いない。


「こんにちは。今日は私個人の用事というか……その、主人にお土産として本を贈りたくて。おすすめを教えていただけませんか?」


元を正せば旦那様のお金なのだから、私がお土産だのプレゼントだのと言うのはおこがましいことなのだろうけれど、自分のために買い物するよりも、旦那様のために買い物する方がよっぽど楽しいし嬉しいのだから仕方がない。「ジウは困った子だね」と旦那様に苦笑されてしまうような気もするが。

とはいえ、申し訳ありません旦那様。今回ばかりは譲れません。私のために無駄遣いするより、旦那様ご自身のために何かを購入させていただく方が、私はずっと嬉しいです。


私が問いかけると、店員は抱えていた本の山を一旦下ろしてから、ふむ、としばし考え込み、そしていつも新刊が並んでいる棚から、一冊の本を取り出した。


「おすすめかぁ……。そうだな、これなんかどう? 一昨日王都から届いたばかりの本なんだけど」

「どんな内容なんですか?」

「冒険活劇だよ。若き祓魔師が、美しき聖女と共に、悪の吸血鬼を倒すために旅をする物語さ」

「!」

「ほら、やっぱり吸血鬼は恐ろしいものだからね。王都にいらっしゃる聖女様と祓魔師様のおかげで最近は大人しくしているみたいだけど。これはその聖女様と、祓魔師様をモデルに書かれた物語なんだ。シリーズもの第一巻で、これがもう最後の一冊なんだよ。やっぱり異世界からいらっしゃった聖女様の人気はすごいよね。一時はどうなることかとおもったけど、やっぱり主は俺達を見捨ててはいなかったんだなぁ」

「そう、ですね」


身体が震えるのを、他人事のように感じた。それを誤魔化すために、抱えている紙袋をぎゅっと抱き締める。幸いなことにそんな私の反応に店員は気付いている様子はない。


「ああそうだ。今日、教会に、王都から司祭様と祓魔師様がいらしてるんだよ。もしよかったら、一緒にお姿を見に……」

「すみません。用事を思い出したので、これで失礼しますね」


皆まで聞かずに踵を返す。後ろから追い縋るような声が聞こえてきたけれど、構ってなんていられなかった。今後もお世話になる予定の本屋さんの店員相手に失礼な真似をしてしまった自覚はあっても、胸の奥底から沸き起こる感情の前ではどうすることもできなかった。

こわい。こわい。こわい。その三文字がぐるぐると頭の中を巡り、他のことを考えられなくする。


――何も怖がることはない。


「だんな、さま」


震える声で呟いた。それだけで恐怖が和らいだ気がした。ああそうだ、大丈夫だ。私には旦那様がいてくださる。あのお方の仰る通りだ。何も怖がることなんてない。旦那様は夕方まで帰ってくるなと仰ったけれど、今日はもうお屋敷に帰らせてもらおう。そしてこのお土産を旦那様に渡して、それから当初の予定通りアップルタルトを作ろう。そうだ。それでいい。それがいい。

雑踏の中を足を急がせ、近道のために裏道に入る。



――――それが、失敗だったのだ。



「……ジウ?」

「え?」


人通りのない裏道で、その声は奇妙に大きく響いた。真正面に立っているのは黒いカソックに身を包んだ青年だ。うなじでまとめられた長い銀の髪。青い瞳。女子供ばかりではなく男性すら憧れるに違いない、整った容貌。その首から下げたロザリオが、きらりと光った。


「ジウ、なのか?」

「ッ!!」

「待て!」


確かめるように呼ばれた名前にも、その後に重ねられた制止の声音にも、そのどちらにも答えることなく踵を返して走り出す。

見つかった。見つかってしまった。だったらすべきことはただ一つ。何としてでも私は、逃げなくてはならない。


あんな、あんな日々は、もう二度とごめんなのだから!


けれど、私よりもずぅっと運動神経に優れた青年……王都においても屈指と謳われる、美しき銀の祓魔師の足には敵わなかった。


「待て、待ってくれジウ!」

「離して!」


青年の腕に囲い込まれ、そのまま裏道に連れ込まれる。どれだけ暴れようとしても、簡単に抑え込まれてしまう。せめてもの抵抗に睨み付けるけれど、そんな私の視線なんてちっとも効果がない。ただますます私を拘束する力が強くなり、私はとうとう涙目になる。

こんな奴のせいで泣くだなんて、そんな真似はしたくなかった。私のすべては旦那様のためにある。だったら涙一滴だって、旦那様のために向けてのものでなくてはならない。


「いい加減にして! あんたが何をしようが何を言おうが、私は絶対にもうあんなところへは戻らないんだから!」


あんな地獄に好き好んで戻りたがるおめでたい馬鹿がどこにいるというのだ。私の帰る場所はもう旦那様の元だけなのだ。そんな思いを込めて怒鳴りつけると、かつて私の世話役だった銀の青年――ディートリヒは悲痛に顔を歪めた。いかにも傷付きましたとでも言いたげな表情に腹が立って仕方がなかった。

辛かったのも苦しかったのもこの青年ではなく私なのだ。そしてそれを救ってくれたのが旦那様だったのだ。この青年が神とかいうクソッタレを信じるというのならば、私が信じるのは、他の誰でもなく、旦那様ただお一人だ。


「私がいなくても、あの聖女様は上手くやってるみたいじゃない。だったらもう私はいらないでしょ!? 放っておいてよ、今更私に関わらないで!」


そう怒鳴りつけると同時に、ディートリヒの顔に抱えていた紙袋を叩き付ける。旦那様のためのお土産だったけれど、この際仕方ない。今は一刻も早くこの青年から逃げてお屋敷に帰ることが先決だった。けれど、そんな私の目論見は、成功することはなかった。顔に紙袋をぶつけられても、ディートリヒの拘束は緩むことはなく、彼は私のみぞおちに、拳を入れてきた。途端に意識が遠退いていく。

「すまない」と彼は最後に言っていたようだったけれど、それが何に対する謝罪なのかを判断するよりも先に、私の意識は闇に呑まれた。

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