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私の主人は偏食家【前編】

短編版とほぼ同じです。

この私、ジウ・ホリィの主人はそれはお美しいお方である。


彼の元で侍女として働き始めて早三年が経過するが、この三年間というもの、一度たりともその認識が間違っていると感じたことはない。むしろ毎日更新中と言ってもいいくらいである。


我が主人である旦那様は、きらつくプラチナブロンドの髪を後ろへと撫でつけ、ピジョンブラッドと謳われる最高級のルビーのような美しい赤い瞳、鼻の下に立派な真白い口ひげをお持ちの、それは素敵な老紳士だ。

そう、老紳士。少年でもなく青年でもなく中年でもなく、老年の男性である。

だが「なんだ、ジジィか」などと侮るなかれ。そんな不届き者は私が成敗してくれよう。


旦那様はそれは素晴らしいお方だ。

ぴんと細身の背筋を伸ばし、上流階級の貴族としてどこに出ても恥ずかしくない立派な衣装に身を包み、その手にはいつも黒檀製の精緻な細工の施された杖をお持ちになられている。顔には深い皺が刻まれ、彼のお方がこれまで歩まれてきた人生の長さを表しているが、そんな皺の一本一本もまた大変魅力的なお方である。


実年齢は存じ上げないが、かなりのお年を召していらっしゃるに違いない。にも関わらず、いつも柔和な笑顔を浮かべ、余裕を持ち、毅然とした態度を心がけていらっしゃるそのお姿に、私は何度見惚れたことだろう。

旦那様は本当にお美しいお方なのである。それは容姿ばかりではなく、その言動、立ち振る舞い、お心の在り様も含めたすべてに言えた話だ。

慈悲深く思慮深い旦那様にお仕えできる私はつくづく幸せ者である。


「おはよう、ジウ」

「おはようございます、旦那様」


目尻に皺を刻んだ穏やかな笑みをその整ったお顔に浮かべ、問いかけてくる旦那様に、私はお仕着せのエプロンドレスの裾を持ち上げて一礼した。小鳥の囀りが心地よい朝、今日も今日とて旦那様は大変魅力的である。

そんな旦那様のためであれば、掃除も洗濯も庭のお世話もお手の物。この広いお屋敷で使用人が私だけであると言っても、何一つ辛いことなどない。ないのだが、しかし。


「……本日は、マカロンをピスタチオとベリーの二種ご用意しております」

「ほう、それは素晴らしい。さあ、早く持ってきてくれないかな。ああ、紅茶にはもちろんアカシアの蜂蜜をたっぷりと入れておくれ」

「かしこまりました、旦那様」


そんな私も、食事の準備だけは毎日苦慮させられている。何せ旦那様は、とんでもない偏食家でいらっしゃるのだから。

早速用意した綺麗なピスタチオグリーンのマカロンと、ベリーピンクのマカロンを、それはそれは嬉しそうにお口に運ばれる旦那様のお姿は眼福以外の何物でもない。しかし、それで誤魔化されてはならない。


「旦那様、差し出がましいことと存じますが、たまにはお肉やお野菜も……」

「僕はかわいいものしか口にしないと決めているんだ」


だからお断りだね、と、ティーカップを片手に穏やかながらも有無を言わせないお言葉に、私はひっそりと溜息を吐いた。ああ、このやりとりも何度目であったか。

旦那様にとって食事というものがそう重要なものではないとは知りつつも、それでも口を挟みたくなってしまうのは、旦那様のご健康を心配してのものであると解っていただけているのだけが救いである。解っていただけていても受け入れてくださらないのだからまああまり意味はないが。まったく、いいお歳であるというのに、子供のようなことを仰るお方だ。


けれどまあそんなところもおかわいらしいと思ってしまうので、私もあまり旦那様のことを責められない。


「うん、今日も美味しいよ。ありがとう、ジウ」

「ありがとうございます。光栄ですわ、旦那様」


ああ、今日も旦那様の笑顔が眩しい。内心で合掌しながら、私はすまし顔で一礼したのであった。



* * *



さて、今日の昼食は何にしようか。中庭に咲き誇る薔薇に水をやりながら、私は食糧庫の中身を思い返していた。


旦那様が召し上がるものは、『かわいいもの』に限る。そしてその条件に加え、もう一つ、『甘いもの』という条件も欠かせない。

この三年で磨きに磨いた製菓技術。町に出れば腕のいいパティシエールであると持て囃されるに違いない……なんて、自分で自分を褒めたくなるくらいの腕前であると自負している。だが、私はこの腕を旦那様のため以外に使う気は毛頭ない。旦那様にだけ解っていただければいいのである。


食糧庫には先日町に買い出しに出た時に購入した林檎があるはずだ。アップルパイか……いや、やはりここはアップルタルトにしよう。

薄切りにした林檎を大輪の花が咲き誇っているかのように並べれば、きっと旦那様はお気に召してくださるだろうから。


うん、そうしよう。

そう結論付けて、私は目の前の白から薄紅へと移り変わるグラデーションの花弁が美しい朝咲きの薔薇を何輪か摘み取り、お屋敷の中に戻って食卓の上に飾った。


「これでよし、と」


さて、お次は掃除だ。この広いお屋敷を一人ですべて掃除しようと思うと、一日がかりどころではない時間がかかってしまう。だからこそ私は、日によって掃除する場所を振り分けて掃除に励んでいる。今日は西棟の書庫の掃除だ。さっさと終わらせてタルトを作らねば、と意気込みつつ西棟へと向かう。


「おや、ジウじゃないか」

「まあ、旦那様」


書庫の扉を開けるなり、安楽椅子に揺られながら読書に耽っていらしたらしい旦那様に声をかけられてしまった。他ならぬ旦那様の読書の時間を邪魔してしまうなんて、このジウ、一生の不覚である。


「お邪魔してしまい誠に申し訳ありません。出直させていただきます」

「いや、構わないよ。今日はここの掃除だったのかい?」

「はい。ですが出直させていただこうかと……」

「ジウは本当に働き者だから、僕は時々心配になるよ。わざわざ家事なんてしなくてもいいんだが」

「旦那様。働かざる者喰うべからずです」

「おや、では僕も働かなくてはならないかな」

「え、あ、そういう意味じゃ……!」


既に引退なさり、余生を存分に楽しんでいらっしゃるのだという旦那様に働かせるなんて以ての外である。焦る私をしばらくその赤い瞳で見つめていらした旦那様は、やがてくつくつとその喉を鳴らし始めた。


「いや、すまない。意地悪なことを言ったね。君があまりにかわいらしい反応をしてくれるものだから、つい」

「旦那様……」


昔からかわいげがないにも程があると言われ続けてきた私にそんなことを言うのは旦那様くらいだ。顔が赤くなっていくのを感じて、それを隠すために俯くと、ふいに旦那様が安楽椅子から立ち上がられる気配がした。そのまま旦那様は私の目の前まで歩み寄ってくると、その手でぽんぽんと私の頭を優しく叩いた。

どきりと心臓が跳ねる音がした。恐る恐る顔を上げると、そこには旦那様のお優しい笑顔がある。


「さて、そんな働き者のジウにご褒美だ。今日は休暇になさい。お小遣いもあげるから、町にでも行って少し息抜きしておいで」

「え?」

「この三年間というもの、ずっと働き詰めだろう? 今日は昼食も用意しなくて構わないから、楽しんできなさい」

「私が好きで働いているのです。そんな、遊びに行くだなんて」


旦那様を一人このお屋敷に残して町に遊びに行くなんてとんでもないことだ。一人で町に出たって何も楽しくない。そんなことをしている暇があったら、このお屋敷で旦那様のために働いているほうが何百倍も楽しいというのに、旦那さまったらなんてことを仰るのだろう。


旦那様の仰ることを否定したくなんてないけれど、こればかりは譲りたくない。

そんな思いを込めて旦那様を見上げるけれど、旦那様は先程の言葉を撤回してくださることはなく、困ったようにその眉尻を下げられた。


「大丈夫だよ、ジウ。何も怖がることはない。もし何かあったら、すぐに僕を呼びなさい。何があろうと駆けつけるからね」

「……はい」


こうなってしまっては、旦那様は私の言葉なんて聞き入れてはくれないだろう。私のことをとても大切にしてくださる、誰よりもお優しい旦那様だ。ここは一旦諦めて、大人しく町へ行くのが得策だ。うん、さっさと行ってさっさと帰ってくればいいことであるし。

そんな私の内心の声は、ばっちり旦那様のお耳に届いていたらしく、「夕方まで帰ってきてはいけないよ」と釘を刺されてしまった。耳が痛いです旦那様。

かくして私は、町へと出かける羽目になったのである。

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