ある男(の子)の朝
修学旅行から戻った翌日だが、学校はいつもと同じように授業があった。
「少しまだ眠いな」
時計を見ると6時13分を回ったところ。
少し疲れた体を起こし、ベットから這い出る。
11歳の身体は全てにおいて優れ、どうして前回はもっと上手く使えなかったのかと今さらながら思う。
今回は違う。
自分で言うのもあれだが、勉強も頑張っているし、友人関係も上手く行っている。
なにより由香が居る訳だし。
「幸せだな」
まさか小学生の内に彼女が出来ると思わなかった。
本当に好きだから後悔は無いが、少しマセている気がする。
中身はオッサンだが、由香に決して手を出したりはしない。
そこはそれ、鋼の理性で本能をねじ伏せている。
「さて、今日もやりますか『
机に置かれているラジカセのスイッチを点けた。
ラジオのダイヤルを合わせ、お目当ての番組が始まるのを待つ。
もちろんボリュームはかなり絞ってある。
やがてラジカセのスピーカーからラジオ体操の歌が流れて来た。
「「新しい朝が来た 希望の朝だ」」
一緒に口ずさむ。
『なんて良い歌なんだ』
前回は何も思わなかったこの歌だが、今回改めて聞いたのは何年か前の夏休みだった。
近所の公園で毎朝やっていたラジオ体操。
数日間は気づかないままに聞き逃していた。
ある日ふと、
『体操の前に流れるこの曲は?』と気がついた。
歌詞をじっくり聞いたその日、俺は流れる涙を止められず、一緒にラジオ体操へ来ていた由香がびっくりしていた。
「「それっ!いち!にい!さん!」」
いつの間にか少し声が大きくなる。
さすがに大声は憚られる朝の時間。
続いて体操の始まりを告げる軽やかなピアノの旋律が流れた。
体操もしっかりやる。
体操の歌だけでラジオを消したりはしない。
「俺は歌いたい。
ラジオ体操の歌を大声で歌いたいんだ」
抑えきれない欲望が口をついて出る。
当然だが、この時代に通信カラオケ等無い。
あるとしても8カセットのカラオケ位だ。
そんな時代にラジオ体操のカラオケなんか絶対存在しないだろう。
やはりラジカセからテープに録音し、マイクで唄う位しか方法は無いか。
「エコーは欲しいよな」
前屈みから後ろに体を反らせながら呟いた。
ラジカセのマイクではカラオケみたいなエコーは期待出来ない。
(何で俺は前回大学時代に理工系に行かなかったんだ?)
「そうすればカラオケのマイクにエコーを付けるなど容易かったのに!」
心の声が途中から口に出てしまった。
「浩二?」
「わ!!」
俺以外誰も居ない筈の部屋に兄貴の声。
心臓が飛び出そうになる。
いつの間にか兄貴は部屋のドアを開けて立っていた。
「に...に、兄さん、いつからそこに?」
「ついさっきだよ、安心して」
何が安心なのか?
「さっきって、どれくらい?」
色々聞かれてはいけない事を口にしたのでは無いだろうか。
俺が未来から戻って来た事は兄貴に話す事は出来ない。
兄貴の事だ、未来の自分に起きた悲劇に嘆き悲しむだろう。
額に汗が滲んだ。
「えーとカラオケが歌いたいとか、ラジオ体操がどうとか」
「それだけ?」
「うん、後マイクにエコーをどうとか。
一体何を考えていたの?」
「いやそんなに特別な事は...」
「そう?
凄く真剣な顔でラジオ体操しながらブツブツ呟いてるからさ、何か悩みとかない?相談にのるよ?」
いや本当に無い!俺は充実した生活を歩んでいるから。
本当に悩みはラジオ体操の歌を歌いたい、それだけだよ。
「ねえ浩二、僕じゃ頼りにならないの?」
兄貴が哀しそうに、俺を覗きこむ。
何でも良い、適当に誤魔化さなくては...
「み、未来から凄い技術を身に付けて帰って来られたら、きっとマイクのエコーなんか直ぐ作られたかな、そう考えてたんだ」
兄貴は俺の言葉に何とも言えない顔をした。
「浩二、未来からの凄い技術で何故作るのがマイクのエコーなんだ?」
「それが僕に一番必要な物なの」
「浩二、やっぱり大丈夫?」
更に心配された。




