男の子だもんね
その日の夕飯は賑やかなものとなった。
父さんは『ささやかな』って言ったが、高級な寿司屋から注文した特上の握り寿司の桶がテーブルの真ん中に置かれてあり、その周りに母さんとばあちゃんが作ったローストビーフや巨大な海老の串焼きが並び。
更に父さんの仕事仲間から鯛の尾頭付き塩焼き、酒屋からはビールと日本酒、ウィスキーの差し入れまであった。
父さん達は兄貴の合格を言い触らしたりしていない。
しかし学校での騒ぎが子供達から大人に伝わり、近所の知るところとなっていたのだ。
やって来た兄貴の家庭教師も御馳走に目を丸くしていた。
パーティの時間になり、まず兄貴の挨拶。
「今日はありがとうございます。
皆さんのお陰でこうして合格できました。
僕の夢はこれからも続きます。
今後も宜しくお願いします。
ありがとうございました」
そしてじいちゃんが乾杯の挨拶。
「今日は有一の合格祝いじゃ。
受かった事も嬉しいが、最後までやり遂げた事がなにより嬉しい。
先生達の協力あっての合格じゃ、ありがとう。
乾杯!」
当時のお寿司は回転寿司の様に気楽な食べ物じゃなく、本当に高級な料理だった。
みんな一斉にお箸が寿司に向かう。
俺も久し振りのお寿司、しかも海老やトロに興奮してた。
まずは烏賊のお寿司を、と口にいれる。
次の瞬間、猛烈なワサビの辛さが突き抜ける。
すっかり忘れてた、この時代のお寿司はワサビ入りが常識だった。
鼻がツーンとなる感覚に固まる俺に気づいた兄貴が、
「大丈夫浩二?
お水を早く飲んで」
なみなみと注がれているコップを渡してくれた。
「ありがとう兄さん」
鼻を抑えながら、一気に中身を口へ流し込んだ。
「ん!これ?」
この水...いや水じゃない。
これお酒だ冷酒だ!
久し振りの冷酒、しかも今日の日本酒は父さんの大好きな特級酒。
この日本酒、俺も大人になってから愛飲したんだよな。
まさか今飲めるなんて、うまい!美味すぎる!!
「どうしたの浩二?」
感動にうち震える俺を心配そうに見る兄貴。
兄貴に恥を掻かせてはいけないので、ニッコリ笑い、
「兄さん、これお酒だよ。
余り入って無かったから大丈夫だったけどね」
そう言ってコップを父さんの前に返した。
「そうだったんだ!
ごめん浩二、大丈夫だった?」
「うん、殆ど入って無かったから大丈夫」
俺は鼻に残る日本酒の香りを楽しみながら返事をした。
「あれおかしいな?
確かなみなみに入れてたはずだけど...」
父さんが不思議そうに空のコップを手にしてる。
ごめん父さん、うまかったよ。
心の中で謝った。
祝賀会も楽しく進み、最後に家庭教師さんの挨拶で締めとなる。
「今日はお招きいただきありがとうございました。
正直私では力不足かもと心配致しましたが、有一君の努力のお陰で今日の佳き日を皆様と迎える事が出来ました。
私も今回の経験が今後の私自身の力になると思います。
有一君」
「はい」
「本当におめでとう。
先生は今日でお別れですが有一君の夢が叶う事を祈ってます」
兄貴はしっかり抱き締められていた。
とても綺麗な先生に..
...ちょっと羨ましい
「いかん!いかんぞ!!」
慌てて頭を振る。
無表情な由香の顔が頭に浮かんで来た。
「どうしたの浩二?」
母さんが心配そうに聞いてきた。
「大丈夫だよ由香」
「え?」
「いやなに...あの兄さんが大丈夫で良かったなって」
余りにも苦しい言い訳だけど、仕方ない。
「先生お世話になったの、達者でな」
じいちゃんの言葉でお開きとなりました。
最後にお土産と給料を渡して、謝礼金を封筒の中に忍ばせていた。
由香、ごめんね。
俺は今日の邪な考えを詫びた。
翌日いつもの場所で由香と合流する。
「おはよう浩二君」
「おはよう由香」
「どうだった、そっちの祝賀会は」
「えっ...凄く楽しかったよ。
兄さんも、家族全員喜んでたし」
昨日の兄貴と家庭教師の先生との熱い抱擁を思い出してしまう。
「ふーん...」
「何?」
「一瞬何考えたの?」
やっぱり由香は何かに気がついたのか。
「いや別に...」
「言えないの?」
「何を?」
「言えないの?」
ダメか、由香には全てお見通しみたいだ。
「いや実は.....」
「別にそんな事で怒らないわよ」
「そうなの?」
意外な由香の反応。
「だって、浩二君も健全な男の子だもん。
でもね、隠し事は駄目だよ」
「はい」
「宜しい」
「いつも何で分かるの?」
知りたい、どうしてこんなに見通せるの?
「内緒」
由香には絶対隠し事は出来ない事を悟った。
「所で由香の方はどうだった?」
「橋本家は凄かったわ。
本家だけじゃなく、近所の分家まで集まっての大祝勝会よ、50人ぐらい来てたわね」
「昨日急に呼んだんでしょ?
よくそれだけ集まったね」
「それが本家って事よね。
それに学芸大学附属だもん。
一族から初めて受かったそうよ、伯父様も落ちてたらしいし」
「伯父さんも昔受けたの?」
「そうみたい。
志穂さん、美穂さんのプレッシャーになるから隠していたって」
だから兄貴から聞いたあのはしゃぎようだったんだ。
「聞いたでしょ?
伯父様がこっそり発表見に行ってた事」
「うん」
「浩二君の言った通りだったね」
「そうみたいだ」
俺達は笑い合った。
「で、家族合同の祝賀会だけど」
「聞いてるわ、でも今回はホテルでやるって」
「ホテル?」
「エンペリアルホテルで大広間貸し切りだって」
「エンペリアルホテルって最高級の?」
エンペリアルホテルは地元で一番の最高級ホテル。
その威容は外国からの要人を迎える際に態々利用される程だ。
俺が大人になっても、利用した事は当然無かった。
「やっぱりやり過ぎよね。
でも伯父様が聞かないの。
お爺様も大乗り気で、もう止まらないの。
ごめんなさい」
「それって僕の家族は知ってるの?」
「知らないと思う。
今日予約取るって言ってた」
「予約ってすぐ取れるの?」
「普通は半年先まで無理ね。
でも支配人が一族だから、1ヶ月ぐらいの間にすると思うわ」
あらためて由香の一族に驚くのだった。




